血の誓い
シャムスが小屋の扉に背を当て、外の気配を探る。
クレメンタインはその隣でノートを握りしめ、リナナは折れたポケットナイフを懐に収めたまま、震える手を必死に抑えていた。
「……まだいるな。だが、さっきよりは数が少ねぇ」
シャムスが銃の残弾を確かめる。あと三発。心もとないが、それでも行くしかなかった。
「私が先に出る。囮になる。影を引きつけたら、二人はノートにあった場所まで走れ」
クレメンタインの声に、シャムスが眉をひそめる。
「待て。俺がやる。ケガしてても走るくらいはできる」
「だからダメ。あんたはリナナを守るって、そう言ったでしょ」
シャムスは目を伏せた。肩の傷は深く、まともに力を込めることさえできない。痛みと疲労が全身を鈍らせている。……けれど、それでも。
「俺がやるって言ってんだ、クレム」
クレメンタインがじっと彼を見つめる。その瞳には怒りも呆れもなかった。
ただ、静かな決意だけが揺れていた。
「だったら、私も一緒に行く。リナナを一人にするわけにいかない。あんた、背中は預けてくれる?」
シャムスは小さく笑った。
「いつだって、預けてるつもりだったけどな」
リナナは二人のやりとりを見つめていた。すでに小さな体から恐怖は消えかけている。
代わりに、何か固く強いものが芽吹いていた。彼女は首を横に振った。
「私も行く。一人になんてさせない。だって、私は……シャムスに守ってもらった。それを、返したいの」
シャムスは目を細め、短く息を吐いた。
「……お前たち、強すぎだろ」
クレメンタインが片眉を上げる。
「今さら?」
その瞬間、扉が揺れた。ゴン、と重い音。すぐに、異様な影の触手が隙間からぬるりと差し込まれてくる。
「来たな……!」
シャムスが銃を構えた。次の瞬間、扉を蹴り破るように影が侵入してきた。室内が一瞬にして闇に染まる。
「伏せろッ!」
轟音と共に銃が火を吹いた。影の一部が裂け、瘴気が噴き出す。クレメンタインが素早く椅子を掴み、触手の一本を叩き落とす。
「リナナ、今!」
「うん!」
リナナが床を滑るようにすり抜け、小屋の窓から飛び出す。シャムスとクレメンタインもそれに続き、外の林へと駆け出した。
夜の森は、かすかな月光に濡れていた。三人は息を切らしながら木々の間を縫い、ノートにあった“印の壁”を探す。
「クレム、ノートに書いてあった印、見覚えないか?」
「待って……たぶん、あの先!」
木々が途切れ、そこにあったのは半ば崩れかけた石造りの小祠だった。
地面に半分埋もれたその壁面には、うねるような影と、心臓のような印が描かれていた。
リナナが立ち止まり、目を見開く。
「この印……私、見たことある。前に、夢の中で……!」
その時、背後から爆音のようなうなり声が響いた。地面が震え、巨大な影が木々をなぎ倒して現れる。
「ッ、来やがったか!」
影は人型のようでありながら、その体は液体のように揺れ、無数の手と口を備えていた。中心部、心臓のように脈打つ暗い“核”が、確かに見えた。
「シャムス、核だ!あそこ!」
「わかってる!」
シャムスが銃を構える。だが、その瞬間——
ズガッ!
影の触手が彼の脇腹を貫いた。銃声と同時に、彼の体が吹き飛び、地面に叩きつけられる。
「シャムスッ!」
クレメンタインが叫び、影へと飛び込んでいく。彼女は肩に掴みかかる触手を斬り、回し蹴りで核の防壁を打ち砕こうとする。だが、影はあまりにも強大だった。
シャムスは倒れたまま、かすんだ視界でリナナを見る。
(動けない……くそ……ここで終わるのか)
その時、リナナが駆け寄り、シャムスの血で濡れた手を握った。
「シャムス、お願い、起きて!あなたの分まで……私、絶対あの核を……!」
——ガキン!
その瞬間、クレメンタインの声が森に響いた。
「シャムス!立てッ、あんたがあの子を守るんでしょ!」
(ああ、そうだったな……守らなきゃ)
シャムスはぐらつく体を無理やり起こし、銃の最後の一発を核に向ける。
「親父……頼む……っ!」
引き金が引かれた。
——銃声が、夜の森を裂いた。