影の心臓〜後編〜
銃声の余韻が消えると、空気が、重く、変わった。
影の中心に撃ち込まれた弾はたしかに命中した。だが、それで終わりではなかった。黒い巨影は激しく身を震わせ、耳を裂くような叫び声を放つと、その姿をさらに禍々しく変貌させていった。
黒い肉塊が裂け、中から幾本もの骨のような腕が飛び出す。そのすべてが、憎悪と怒りだけで動いているように見えた。
「やば……っ!」
クレメンタインがシャムスを引きずるようにして距離を取る。だが、その背後から飛んできた影の触手が、シャムスの腹を深くえぐった。
「——っ!」
彼は声をあげなかった。あげられなかった。
息が、できない。
「シャムス!」
クレメンタインが彼を抱きかかえると、シャツの下から大量の血が溢れ出ていた。刺さった骨が内臓を貫いたのか、彼の口からも赤い泡がこぼれる。
「大丈夫、すぐに……!」
「クレム……」
シャムスの瞳はどこか遠くを見ていた。焦点が合っていない。腕に力が入らない。彼の指が、ぽとりと銃を落とす。
「やめて……死なないで……!」
リナナが涙声で叫んだ。
「お願い……まだ終わってないよ!立ってよ!」
シャムスの意識はもう限界だった。
燃えるように痛む腹部。肺が焼けるように苦しい。音が遠い。視界が霞む。
(……もう無理か……俺、ここまでか)
暗闇が静かに広がっていく。だが、その中で——
「シャムス、私は絶対に諦めない……!」
クレメンタインの声がした。揺るぎない、まっすぐな声だった。
「私がこの影をぶっ倒す!だから、もう少しだけ踏ん張って!」
彼女はシャムスから銃を拾い上げると、もう一度立ち上がった。
影の身体の中で、まるで胎児のように蠢く赤黒い「心臓」が見えた。
「見えた……本当の核!」
「私が……やる!」
クレメンタインはその場から跳び出した。影が再び腕を振り下ろす。
だが、その直前、リナナが石を投げて注意を逸らした。
「こっち見なさいよ、バケモノ!」
ほんの一瞬の隙。それだけで十分だった。
クレメンタインは全身を使って銃を構え、跳躍しながら撃った。
——カチリ。
空虚な音が鳴った。
「……弾切れ!?」
彼女の心臓が凍りつく。
影の心臓が脈打ち、こちらに気づいたように動きを止めた。
(まずい、間に合わない……!)
そのとき——血まみれのシャムスが、這っていた。
右手に弾丸、左手に銃。ぼろぼろの身体をずるずると引きずりながら、彼女の足元にたどり着いた。
「お前が……仕留めろ……クレム……」
指先が、銃に弾を込める。だが、動きが震えている。血で滑ってうまく入らない。
「貸して、私がやる」
彼女が手早く弾を装填し、再び構えた。
「次こそ——終わらせる!」
クレメンタインは跳んだ。影の正面から、真正面から、死を恐れずに突っ込んだ。
そして引き金を、引いた。
——爆音。
——閃光。
——崩壊する心臓。
影の本体が、悲鳴と共に砕け散る。
黒い肉塊は煙のように散り、風に溶けるようにして消えていった。
あたりには、静寂が戻った。
シャムスはその場に倒れ込み、もう二度と起き上がらないかのように動かなくなった。
「シャムス!」
クレメンタインが駆け寄り、血まみれの彼を抱きかかえる。
「しっかりして……!」
彼の胸は、わずかに上下していた。
「……お前の……勝ち、だな……クレム……」
「バカ……!誰が勝ち負けの話をしてるのよ!」
涙が止まらなかった。
リナナは、二人のそばで膝をつき、手を合わせて何かを祈っていた。
「お願い……神さま、シャムスを連れていかないで……お願い……!」
そして、朝が、来た。