沈黙の聖域
村の奥へ進むにつれて、空気は変わっていった。
風は止まり、木々はざわめくのをやめた。音が、ない。鳥の声も、虫の羽音も、森を流れる川のせせらぎさえも、どこか遠い世界のもののように感じられた。
「……気持ち悪い。全部が、死んでるみたい」
クレメンタインが言う。黒髪のポニーテールを後ろで束ね直しながら、鋭い視線で茂みの奥を見つめていた。
「この感じ……礼拝堂の地下に近づいた時と同じだ。間違いねぇ。あの“影”の根っこが、この先にある」
シャムスが銃のスライドを軽く引き、確認してから歩を進めた。銃には残り四発。だが、それが本当に通用するかはわからない。
リナナは二人の間を歩いていた。怯えているようで、しかし足取りはしっかりしていた。
「丘の上に……隠された場所があるの。小さい時に一度だけ、あそこに行ったの。ママみたいな人に、連れていかれた」
「どんな場所だった?」
クレメンタインが問う。
「……石でできた建物。すごく古くて、柱に変な模様が彫ってあって、真ん中に井戸みたいな穴があったの。でも、その時は覗いちゃいけないって言われた」
「覗いたら、何かが見えちまうってことか」
シャムスが低く呟く。
三人はやがて、森を抜け、開けた丘の斜面へと出た。
そこにあったのは、地面から突き出るように建てられた、丸い石造りの構造物だった。まるで遺跡のようなそれは、中心が陥没しており、かすかに黒い霧が漏れ出している。
「……あれが“沈んだ聖域”」
クレメンタインが目を細めて言った。
近づくと、建物の周囲に奇妙な模様が彫り込まれていた。どれも人の形をしているが、顔はなく、胸の中心に赤い点が描かれている。
「……核の位置を示してる?」
「まるで、“殺し方”を教えてるみたいだな」
シャムスがつぶやいたその時だった。
カサリ…
乾いた枝が踏まれる音。
三人が反射的に振り向くと、森の中から黒い影がのそのそと這い出してきた。
「出た!」
シャムスが銃を構えた。
それは、今までの“影”よりも異様に大きかった。まるで人間の集合体のように、ぐにゃぐにゃとした腕が複数本、地を引きずるように蠢いている。
胸元、赤黒い光が脈動していた。
「……成れの果て、か」
クレメンタインがナイフを抜く。彼女の目は恐れよりも闘志に満ちていた。
「リナナ、下がって!」
シャムスが叫び、次の瞬間、影が突進してきた。
銃声が響く。シャムスは狙いを定め、連続して二発を撃った。
弾丸は、影の“核”に命中した——ように見えた。だが、影はその場に膝をつきながらも、崩れなかった。
「くそっ、まだ浅い!」
「私が引きつける!その隙に——!」
クレメンタインが走り出し、影の横をすり抜ける。影はそれに反応して触手のような腕を振り回すが、彼女はすんでのところで躱す。
「シャムス!」
「……っ、今だッ!」
シャムスは深く息を吸い、狙いを定めた。
パン!
一発。真っ直ぐ、赤い脈動の中心へと吸い込まれるように飛んだ。
——影が震えた。
悲鳴のような音が響き、影の身体がひび割れ、内部から黒い煙を噴き出す。
「やったか……?」
その瞬間だった。
影の背後、地面が崩れ、さらに巨大な“何か”が、地下からのたうつように出現した。
「下がれ!!」
シャムスがリナナを抱きかかえて飛びのいた。
黒い霧の柱が天に向かって立ち昇る。丘が、まるごと揺れた。
クレメンタインが振り返り、息を呑んだ。
「あれは……“核そのもの”……?」
彼女の視線の先に、浮かび上がっていた。
巨大な黒い人影。だが人ではない。腕も足もあるが、それは形を持った“恐怖”そのものだった。中心に燃えるような赤い光が浮かんでいた。
「……ここが“根”だ。この村を蝕んだものの、本当の中心」
シャムスがつぶやく。
風が止んだ。月が、影に呑まれて消えた。
戦いは、ここからが本番だった。