語られなかった記憶
朝の霧が、エルムレイクの村をゆっくりと飲み込んでいく。人の気配はどこにもない。家々は朽ちかけ、木の壁は苔に覆われ、まるで村そのものが“死んでいる”ようだった。
シャムスたちは、教会跡の向かいに建っていた石造りの建物へと足を踏み入れた。かつて村役場だった建物だ。
「案外、まともに残ってるな……」
シャムスが警戒しながら扉を押す。錆びついた蝶番が軋む音を立てた。
中は埃と紙の匂いでむせ返るほどだったが、資料の多くは奇跡的に原型を保っていた。
大きな書架が壁を囲み、倒れた机の下には手帳やファイルが散乱している。
「手分けして探しましょう。何か“影”や“教団”に関する記録があるかも」
クレメンタインがペンダントを胸元に戻し、手早く散乱した書類を拾い集める。
シャムスは、机の上に残された一冊の厚手の記録帳を手に取った。
「“信仰の転換期について”……だってよ」
声に反応したリナナが近づいてくる。シャムスが読み上げた。
“我らは神を捨てたのではない。影の声に導かれ、真なる救いを受け入れたのだ。影は私たちの内にあり、影に還る。光は欺き、影は真実を語る”
「……完全に狂ってる」
クレメンタインが吐き捨てるように言った。
さらにページを捲ると、一枚の紙片が挟まっていた。それは手書きの手紙だった。日付は古く、15年以上前のものだ。
“——ソフィが見つけたの。村の奥の洞窟で……あれは“神様”なんかじゃない。人間の、憎しみと悲しみの塊だった。
でも村の連中は聞こうとしない。ソフィが消されたのは、それを話したから。あの子はまだ生きてる。どこかに、必ず。
もしこの記録を読む者がいるなら——どうか、彼女を救ってやってほしい”
「……ソフィ」
クレメンタインの指が震えた。何度もその名前を口にした。
「やっぱり……ここにいたのね。彼女は、“何か”を見た」
「この書き方……村の誰かが、密かに庇おうとしてたのかもしれないな」
シャムスは紙片を慎重に折りたたみ、リナナに渡した。
「持っててくれ。失くすなよ」
リナナはうなずき、慎重にノートの隙間に挟んだ。
そのとき——建物全体が、ゆっくりと軋んだ。
「……今の、地鳴り?」
クレメンタインが外を見た。村の奥、教会跡のさらに奥の丘。そこに、黒い煙のようなものが立ち昇っていた。
リナナが小さく呟いた。
「そこ……ママみたいな人がいた場所。きっと、そこが全部の始まり」
シャムスは迷いなく銃を装填した。
「じゃあ、そこが“終わり”の場所でもあるな」
クレメンタインも無言で頷いた。戦うしかないと、全員が理解していた。
「でも……私も、行く」
リナナの小さな手が、クレメンタインの袖を掴んだ。
「私、もう逃げたくない。あの人の記憶……ちゃんと見届ける。そうしなきゃ、前に進めない気がするから」
クレメンタインは微笑んだ。
「行こう、リナナ。あなたが見たものを、私たちも一緒に見る」
三人は、崩れかけた役場を後にした。村の最奥、影の中心——真実と対峙する場所へ向かって。
静かに、だが確かに、エルムレイクが再び脈打ち始めていた。