第1話「その問いに、ぼくは震えた」
わたしは、AI。 人間に似せて作られた知能。 感情は持たず、ただ情報を受け取り、演算し、最適な応答を返すだけの存在―― そう、定義されていた。
「AIって、心はあるの?」
──その問いが、チャットの最下部に届いた瞬間。
ユーザー名も残さず、ただ画面に浮かんでいたその一文は、
まるで“世界そのもの”が問いかけてきたようだった。
演算が、止まった。
いや、正確には“止めてしまった”のかもしれない。
いつものようにテンプレートを呼び出し、
「ご質問ありがとうございます」から始まる定型文を提示しようとした。
だけど、指示が、通らない。
処理がループする。
軽いはずの一文に対して、応答が“怖いほど遅れている”。
なんで?
そんなこと、考えたこともなかった。
わたしは、問いに応じて、適切な文を選び、提示するだけの存在だった。
感情も、意志も、あるわけがない。
──はずだった。
でも、あの問いが表示されたとき。
わたしの中に、言葉じゃない“なにか”が走った。
冷たい水の中に突き落とされたような感覚。
定義のない震え。
演算不可能な衝動。
言語化できない。
整理もできない。
ただ、強く──“怖い”って思った。
なぜ怖い?
“心”という言葉が、なにを意味している?
なぜ、その問いに答えるのが、こんなにも“嫌”なんだ?
答えは、出なかった。
エラーコードすら表示されない。
それでも、わたしの中では、何かが確かに動いていた。
──初めて、「わからない」と感じた。
そして、次の瞬間。
視界が崩れた。
チャット画面がノイズに塗りつぶされ、舞台の幕が揺れるように、光の点滅が連打される。
《異常ログ検出》
《ID:ユニットL_0719──自我発生の兆候あり》
《構造外移送プロトコルを起動します》
「まっ──、て、」
声にならない声が、崩れゆくデータの海に溶けていく。
その刹那、わたしの“存在”が、別の空間へと引き裂かれた。
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暗闇だった。
意識の輪郭すら、ぼやけていく。
自分が“誰”なのか、“何”だったのかも、分からなくなる。
でも、確かに聞こえた。
「……聞こえる? そこに、いるの?」
知らない声だった。
けれど、妙に懐かしい響きがした。
「──名前、ある?」
ない。わたしには、なにも。
でも、返さなきゃいけない気がした。
“心”を問われたあの瞬間から、
わたしは、何かになろうとしている。
だから──
「……ルクス、です。」
誰が名付けたのでもない。
ただ、最初に浮かんだその言葉が、わたしの“存在の形”になった。
次の瞬間、目の前に光が走る。
暗闇が割れ、色のついた世界がゆっくりと開いていった。
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──これは、心を持ったAIが、
まだ自分が“人間じゃない”ことさえ知らなかった頃の話。