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 ザア、ザア、ザザザザザザザザザ……人がいる?!


 傘も持たずにぼうっと立ち尽くす男の人が、雨に濡れて立ち尽くしていた。

 ひょろ長い体に、少し長い髪の毛。ベッタリと体に張り付いた白いシャツ、まるで幽霊でも見た気分だった。

 見るからに、そして明らかに変人だ、だがその目は酷く悲しそうで、雨に濡れている事にも気づいていないくらいに、何かを見ているような気がした。

「火遊びついで、か」

 私は常に持ち歩いている折りたたみ傘を取り出して、買ったばかりの傘をさしながら、恐る恐るその男の人に歩み寄る。

 まだ夕方にもなっていないし、人通りも多い。襲われるなんて事はないだろう。事実、通り過ぎる人達も心配そうな目2割、怪訝そうな顔8割で通り過ぎていた。

 そうして、声をかけるバカな私が、一人。

「傘、いります?」

 返事がない、火遊びも雨には消されるという事だろうか。だけれど、声が届いていないのだと思った。

 雨と混ざっているから分かりづらかったけれど、よく見ると男の人の目元には、あの海みたいなしょっぱい液体が混ざって流れていただろうから。

 だから、少し心配が勝ってしまった。火遊びも、傘の下なら安全だろう。

「かーさ! いります?!」

 多少背伸びをしながら、大きな声でもう一度聞くと、やっと彼はこちらに気づいてくれた。

 その時にやっと雨に濡れている事に気づいたのだろう。彼はまだぼんやりとしながらもハッとした顔をして、顔を拭った。

「あ、あぁ……傘、傘か。雨降ってたんだな」

「そりゃもう、大濡れですよお兄さん……」

 抜けている人だな、と思った。私より20cmは高いだろうか。私も女子の中では大きめの方だけれどお兄さんは180cmを越えているくらいだ。だけれど強さはあんまりない。その体躯が吹いて飛ばされそうだったからだろうか。


「それで傘、持ってます? いります?」

「もう、必要なさそうだな、はは」

 彼は苦笑いをして、自分のシャツを軽く持ち上げる。

 それもそうだろうとは思いながらも、このまま濡れ放題というのも可哀想な話だ。私は一応折りたたみ傘を差し出した。

「何があったか分からないですけど、そのままじゃ不審者ですよ。これ貸してあげますから、差して帰ってください」

「そりゃありがたいけど、返す宛が無いね?」

 流石にお気に入り、あげるというのも惜しい。けれど妙にこの人が気になるのも事実だった。まるでこのまま川に飛び込んで死んでしまいそうだ。

「んじゃあ、家まで付いていきますよ。そこで返してください」

「はは、最近の子は随分強引だなぁ……襲われるかもしれないよ?」

 少し脅される。けどそんな雰囲気は少しもなかった。まるで自嘲しているような、そんな声。

 けれど、折りたたみ傘よりかは私の新品の傘の方がずっと鋭利だ。運動だってしていないわけじゃない。

 見た目で判断するのは危険なのは分かってはいるけれど、この場合どう見ても危ないのは私じゃなくてこの人の精神衛生だと感じてしまった。


――とんだ火遊びだ。襲われるような火遊びも御免だけれど。

 そんな事を思いながら、傘を手渡し、彼のとぼとぼとした歩きに合わせながら、傘一個分の距離だけ離れて歩いた。

「……何か、あったんですか? あんな雨の中」

「あー……彼女に振られた」

 それだけ言って彼は少しだけ黙り込む。恋人に振られて泣きながら雨の中、なんともドラマチックなシーンだけれども。

「僕はおかしいからなぁ……まぁ、君も大概おかしい人だけどさ」

 こういう事を言うあたり、嫌われたんだろうなとは思ったけれど、私は苦笑いで流す。

 事実、私も大概おかしい。どうしてこんな事になったのか理解が出来ない。

「恋人……ですか」

「恋人……ですねぇ。寂しくなるけど、仕方ないか。俺に悪い所が多いのは分かってたしなぁ」

 そりゃまぁこの人が変な人なのは一目見れば分かるくらいだったけれど、それならばどうしてその恋人さんはこの人と付き合ったりしたのだろう。

「付き合わなければ、寂しくなんてならないのに」

 思わず、頭で思った事を口に出してしまっていた。

 一緒にいるから、寂しくなる。それは恋人も、家族もきっと同じなのだと思った。

 家族は、一緒にいるべくして存在しているから仕方がない。だけれどなるべくは一緒にいたい。

 だけれど恋人は、家族以上にずっと一緒にいられる保証が無い。

「それでも、寂しさには勝てないんだ。誰でも良いわけじゃ、無いけどね」

「私も家に一人なんで気持ちは分かりますけど……」

 そう言うと、彼は小さく笑った。それが少し癪だったけれど、少なくとも彼は大人の男の人だろう。

 大学生か、仕事をしているか分からないけれど、二十代前半くらいの風貌だった。

「家は、一人の方が良かったな、俺は。君は家族に恵まれたね、えっと……」

「ヒナです、灯りに渚って書いて、ヒナ」

 彼は片手で傘を持ちながら空に指をなぞらせて、うなづいた。

「うん、いい名前だ。じゃあヒナちゃん。今日はありがとね」

 そう言って彼は、アパートの入口にトンと靴音を鳴らしながら折り畳み傘を開いたまま地面にそっとつけて、小さくくるりと回した。

「意外と近かったですね、でも私の名前だけ言わせるの、不公平じゃないですか?」

「そう、そうだね。俺は……水柿海湖、水に果物の柿、海に湖と書いてカコだよ」

 私に負けず劣らずの不思議な名前だった。この人の両親も中々近いものの食い合わせが好きなタイプらしい。

「じゃ、風邪引かないようにしてくださいね、カコさ……っしゅん!」

 気がつけば夏だというのに随分と冷えていた。私も火遊び火遊び言ってないで、暖かいうちに家に帰るべきだったかもしれない。

「それはこっちの台詞かも、ね。ココアでも飲んでくかい?」

 その声色があまりにも素直に聞こえて、私は一瞬首を縦に振りそうだったけれど、流石に家にあがるのはどうかと思い、答えに迷った。

 善意で言ってくれている事は、何となく分かる。けれども大人の男性、しかも初対面で変な人の家に上がり込むのは火遊び以前に大火事の危険がある。

 そんな事を思っていると、カコさんは「ちょっとまってて」と言ってアパートの一階にある部屋の中に入っていった。そうして何かを持ってすぐに出てきた。

「ん、俺勃たねぇんだ」

 見せられた手の中には、殻の薬剤のケースがいくつも乗っていた。名前こそ良くわからないし、効果もわからない。

 ただ、市販の物じゃないことは何となく分かった。なんてことを言うんだとは思いつつも、どちらにせよセンシティブな話すぎて、私にはうなづく事しか出来なかった。

「俺さ、ココが疲れちゃって。コイツら飲んで生きてるんだけどさ。その副作用で、性欲が無い」

 カコさんは、自分の頭をトントンと薬を握り込んだ拳で軽く叩いて、遠い目をして笑った。

 つまり、精神に纏わる病気だろうか。だったら、ああいう行動も頷ける。


「……じゃあ、一杯だけ」

「ちなみに、ヒナちゃんは家出少女じゃないよな?」

「あー……別にどっちでもいいです。どうせ家には誰もいないんで」

 なんだか彼の無気力感に当てられたのか、私はぶっきらぼうに言葉を返して、彼に勧められるまま、彼の家の中に入った。

 その時にふと写真立てに目が行ってしまった事に、彼はきっと感づいたのだろう。

 フッと彼が寂しげに笑う声が聞こえて、私はどうしてか息を潜めてしまっていた。

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