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 海に近いこの街じゃ、潮の匂いが窓を突き抜けてやって来るような気がする。

 私はそれがいつも嫌で、寝起きに雨の音が鳴っていると、少し胸のすく思いがしていた。

「はぁ、晴れたかぁ……」

 カーテンを開けずとも分かる。そもそも開けたくも無い。

 明るい日差しも何だか苦手で、毎年近くの海に遊びに来る人達の気持ちもあまり分からない。

「ん、おはよー」

 トン、トンと自宅の階段を下って、誰もいない室内で、誰かと挨拶を交わす。

 果たしてそれが誰だったかなんて事は、もう忘れた。寂しくならない為の、私だけのおまじない。


 いつもの朝、いつものルーティン、いつもの光景、いつもの日常。

 同じ事を繰り返しながら、つまらない私は制服に包まれて、一人ぼっちの家を出る。


 母さんと父さんは、家を良く開けている。

 とりあえず潤沢な収入で買ったであろう我が家は、あの人達にとって寝に戻る所ですら無いらしい。同じ開発職の二人は、いつも私を放って仕事場近くにあるホテルで寝泊まりをしている。

 連絡自体は来るから、心配されていないという事は無い。私が中学生だった頃は、充分気を遣って家にいてくれたのだと思う。そうして私が高校生になり、大してグレもせず、いい子ちゃんの振りをしていたら、こんな生活になってしまった。


 もう高校に入って二年。この生活にも流石に慣れてはきたけれど、それでも一人きりの朝、遠くから聞こえる波の音で目を覚ますのを素敵だと思える程達観はしていない。

 人並みに寂しいし、学校へ行くまでと、学校から帰ってからの時間は、私にとって一番憂鬱な時間だった。


――高校二年の夏は、暑いようで、少し冷たい。

 そんな事を思う程度に、物想う日々が続くのも、やっぱり今日が嫌になるほどの日本晴れで、逆に心は全く清々しく無いからなのだろうと思った。

 登下校に時間がかからないというのも、それに拍車をかけた。自転車を使うような距離でも無く、とぼとぼ歩いて10分そこら、楽といえば楽でも、時間は余す。特に朝はもうルーティン化しているから、余計に余す。


 一番乗りというわけでもなく、かといって遅刻した事もないような時間、学校は人で賑わっていて少しだけホッとする。間違えて少し早く来てしまっても朝練の子達が元気に声を出しているのを聞いて、人心地がする。

 決して学校の勉強が好きでは無いし、成績が良いわけでもない。逆に考えているだけ、異常に寂しい日常よりかは、面倒でも騒がしい所で、大勢の一部でいたい。そんな気持ち。

「ん、おはよ」

「おはよー、ひなぁー。今日も晴れてんねぇ」

 やっと、今日始めての会話。今日始めて繋がり合う挨拶。

「そーだね。雨なら良いのに」

「へへ、今日もスレてんねー」

 最近バッサリと髪を切って、スッキリした顔をしている友人の茜が椅子からひっくり返ってこっちを見て笑う。

「逆に、なんで茜はスレないの? 振られたばっかなのにさ」

「言うねぇー……これでも私傷ついてるんだけどな! だからほら、これ!」

 茜は乙女の命らしい何かを一本プチっと千切って、「いでっ」と言いながらパッと床に落とす。

「ベタだよね、振られて髪を切るって」

 私は自分の髪を撫でて、ケアがしっかり出来ているか確認しながら長さを確認した。

 流石に寝癖がついていたら高校二年生女子としては、笑えない。一本だけ手に残った、肩くらいまでの髪を、そっと払い落とした。

「言うない言うない! さっぱりすんの! 灯渚も火遊びくらいしてみたらいーんだよぉ。いや私のは火遊びじゃないけどさ! もっとなんか、灯りっぽくて、渚でシンドバッドがどうたら的なさぁ……灯渚は私より余程顔も良いわけだし、もうちょっと健康的な方が私的にはいいけど!」

 私の見た目についてはともかく、名前いじりは慣れた物で、渚でシンドバッドがどうこうしている件については良く分からなかったけれど、灯に渚と書く名前は良く珍しがられる。だけれど海があんまり好きじゃない私的にはなんとも、灯台をイメージしたり、それこそ渚をイメージしてぐにゃりとした気持ちになってしまう。


「火遊びねぇ……、雨降って消えちゃうよどーせ。あと名字を弄ったら殴っかんね」

 沼澤、こんなに海っぽい名前なのに沼というのは、逆に悲しい。

 母さんも父さんも一生懸命考えてくれたんだろうけれど、名前に食い合わせはないのかと突っ込みたくなってしまう。


 そんな事をダラダラと話していたら始業のチャイムが鳴る。


 あとは、いつも通り、ダラダラと過ごしていたら終業のチャイムが鳴る。


 今日は友達と遊びに行く予定も無かったし、明日は土日を控えているのに予定を入れ忘れた。

 いつも通りダラダラしている暇は無かったなと気づいたのは終業後、クラスから出る時である。

「火遊び……ねぇ」

 私は一人、さっき茜に言われた言葉を思い出しながら、行きつけの雑貨屋に寄って傘を物色していた。数少ない私の趣味が、傘と靴集め。

 特段お洒落になりたいというわけじゃあないし、ブランド物に憧れているわけじゃないけれど、それでも年頃の自覚はある。綺麗な物には目を引かれるし、雨が降った後に水たまりを避けて歩いたりするのも好きだ。

 水玉が綺麗な傘を一本買って、雑貨屋を後にする。

 傘はそれなりに安いから数が増えていく、雨の日の方が少なくて寂しいくらいだ。


 同じ収集物でも、靴はそういうわけにはいかない。いくら私の親が自由奔放すぎてほぼ一人暮らしの状況だとしても、贅沢品という意識はある。お腹を減らしながら靴を見て白米を食べるのは御免だ。


――だけれど、しばらく晴れの日が続いていたから。


 今日は、そんな気持ちで靴屋に入ってしまった。決して大きな街ではないから、この靴屋も行きつけ、見知った顔の店員さんが話しかけて、来ない。

 逆に通いすぎて空気のようになっているのだろう。新作が入ったなんて話も、正直私くらい通っていればわかってしまう。それに私は自分で言うのもなんだが優良客なのだ。大体何かを買って帰る。

 だから店員も満面の笑みと共に「いらっしゃいませ」を私に投げかけてから、何も話しかけて来ない。少しはコミュニケーションを取りたいのになと思いつつも、わざわざ話すような雑な会話は大体話し尽くしてしまった。

「……なんか、凄い白い」

 此処まで白というのも珍しい。厳密には白一色というよりも、細かく色分けされた白で彩られた靴だった。一目惚れというのも不思議な話だけれど、思わず自分のサイズの箱を手にとってしまっていた。

 それと、ふと目を下にやると、カラフルな長靴が見える。

「……火遊びって、これの事か」

 普段長靴を買う事なんてないけれど、私はついでにその長靴まで買ってしまった。

 合計21700円、どでかい出費になった。つまり火遊びだ。

「ありがとうございましたー……?」

 やや不思議そうな声を出した店員の声色を私は忘れない。けれど特に何を思うわけでもなく、心の中で火遊びですよ店員さんと呟いておいた。


 店を出ると、地面が少し濡れているのが見える。

「あ、雨だ」

 思わず口にでてしまったあたり、そうして即座に傘を取り出そうとしたあたり、火遊びの後の高揚感が残っていたのだろう。

 傘を手に取り、靴屋の前、雨の当たらない所でぼうっと空を見ていると、徐々に雨の勢いは強まり、すぐに潮の匂いをかき消した。心地よい、夏の泥の匂いが、私を包みながら、しばしボウっとしている自分の胸が、スーッと満たされていくような、そんな気がしていた。

 目線の先に佇む、一人のびしょ濡れお化けのような人に、軽く飛び跳ねて驚くまでは。


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