シューバの過去
五年前、僕はまだ二十歳で王都の冒険者だった————
今のカナフ村のような時間の流れが緩やかな生活とは違い、あの頃は仲間と共に大都市の著名な冒険者として一つでも多くの依頼をこなす日々だった。
「ふぅ~終わったぜ~……なぁ、帰ったら皆でメシ食わないか? もちろん俺の奢りで」
「ハルバ、警戒を解くのはまだ早いよ」
彼は僕の幼馴染であり数少ない友人。王都でもトップクラスの剣術とその高い身体能力を武器にパーティーの前線をほぼ一人で担っている。
「分かってるってシューバ。でもいいのか? 何十年も国を騒がせてた山のヌシの報酬が入るんだ、今日ほど俺の財布が潤う日なんて次いつ来るか——」
「その台詞、先月ドラゴンを倒したときも言ってなかった?」
彼女はナターレ。ハルバと同じく僕の幼馴染で、綺麗な空色の髪が特徴的な天才弓使い。
「うるさいぞー? ほらさっさと剥ぎ取り済ませて帰ろうぜ」
「ちょっと待ってて。すぐ済ませるから」
ハルバが見張りをしている間に、僕はナターレともう二人の男の仲間を連れて馬車のように大きな魔獣の死体に近づき換金できそうな部位の剝ぎ取りを行う。
「…………あれ……?」
僕がこういう声を出すと基本的にナターレは横からそっと手元を覗き込んでくる。
「どうかしたの?」
「この魔獣、近くで見ると爪が若い気がするんだけど、気のせいかな」
「まーたシューバの剥ぎ取り解説が始まったぜ……比較対象のない特殊個体なんだから気にするだけ無駄だっての」
その時、僕に背中を向け曇り空を眺めていたハルバが何かに気付き、勢いよくこちらに振り返って山頂を見上げた。
「——上だ避けろ!!」
ハルバの声が山に響き渡った瞬間、僕はすぐさま持っていたナイフを投げ捨てて目の前のナターレを抱きかかえ、上から降ってくる”何か”を飛んで回避した。
固い地面を転がった僕とナターレが体を起こした時最初に目に映ったのは、魔獣の死骸と同じ容姿を持つ数倍巨大な黒い魔獣だった。
容赦なく踏み潰された僕たちの仲間二人、自分よりも小さな魔獣の死骸を庇う動作、毛は逆立ち歯は剝き出し状態。
僕は確信した——さっき倒したのはやはり幼い魔獣で、目の前にいる巨大な魔獣こそが”本物の山のヌシ”だと。
そして何かに気付いたナターレも思わず口元を隠した。
「もしかしてあの魔獣……親子……!?」
ハルバは僕とナターレの前に立ち剣を構えて言う。
「お前ら、どうにか隙を作ってここから逃げるぞ。あのデカブツは俺たち三人じゃ厳しい」
「分かった」
「自分の命優先かばい合いは無し、いざとなったら互いを見捨ててでも逃げろいいな!?」
その後戦闘を開始した僕たちだったが、魔獣の攻撃に抵抗するので手一杯で逃げる隙を作る余裕なんてこれっぽっちも無かった。
体力の限界が近づき集中力も切れかけていた時、ナターレの矢が魔獣の右目に深く突き刺さった。
「逃げる準備だー!!!」
痛みに悶えながらも攻撃を仕掛けてくる魔獣をハルバが牽制する。
「シューバ、ちょっとずつ下がろ……!」
背後から聞こえたナターレの声に僕が頷いてみせたその時、激昂した魔獣が咆哮をあげ同時に強烈な熱波が放たれた。
すると、三人が熱波で怯み体を屈めた隙を狙い魔獣が大きく跳び上がった。
「なっ——そっち行ったぞー!!!」
魔獣は僕の頭上を軽々と跳び越えナターレに爪を振りかざす。
慌てて彼女を覆うよう防御魔法を展開したものの、杖は死骸の傍に置きっぱなしで素手で発動された僕の魔法は質が落ちていた。
そして魔獣の爪は僕の魔法を破り——ナターレの胸を切り裂いた。
「ナターレ!!!!」
「シューバ杖だ!!!」
ハルバが咄嗟に投げた杖を受け取り、倒れたナターレを何重もの防御魔法で覆う。
目を負傷した魔獣は僕たちを無視しナターレを執拗に攻撃し始めた。
ハルバはその隙を狙い、大きく跳び上がって魔獣の後頭部に全身の力を込めて剣を突き刺す。
「はぁぁあああああ!!」
彼の渾身の一撃によって魔獣の巨体は地面に倒れたが、僕たちはそれどころではなかった。
「ナターレ!! ナターレ!!」
杖を放り投げ、意識を失い大量の血を流す彼女を抱きかかえ急いで倒れた魔獣の傍から離れる。
「山を下りろ! 麓に村がある、ナターレの治療を急ぐぞ!」
その後、村の医師の協力のおかげでナターレはなんとか一命を取り留めた。
しかし胸の傷が深く魔獣の毒が全身に回った後遺症で彼女は声が出せなくなり両足も麻痺してしまった。
後日ナターレを連れて王都に戻った僕とハルバは彼女の両親から日が暮れるまで責められ、当然ナターレは冒険者を引退。
パーティーメンバーが一気に三人も減り僕とハルバもしばらく冒険者の仕事を休止することになった。
しばらくして、ある日僕はナターレに面会を求めて彼女の家を訪ねた。
この時玄関先でナターレの父親に言われた言葉は今でも鮮明に耳に残っている————
「君たちが娘を冒険者に誘った時、私はそれを反対した。そのとき君は私に言ったな……”ナターレはこの僕が必ず守る”と。その誓いを破った君に二度と娘の顔を見せるつもりはない。娘の声ひとつ取り戻せないなら、さっさとこの町から出て行ってくれ」
僕が王都を去ったのは、その日の夜だった。