『異世界』
一は黒く冷たいものに覆われているのを感じながら眠っていた。しかし、暗闇に一筋の光が差し込むと覆っていた冷たい感覚は溶けるように消えていった。
「……ん」
随分と長く眠っていた感覚を感じながら瞼を上げる。何かに寄りかかって眠っていた一はそれから離れると寄りかかっていたものに自然と目が向けた。ぼやけた視界がはっきりしていき、それが明らかになっていく。
そこにいたのは男だった。そこら辺にいるような人ではなく、黄色のアイマスクを頭に付けており藍色のダボっとしたスウェットの上に黄色い半纏を着ている。肩には藍色の羽織を羽織っていてズボンは袴、前丈の左側には花柄の刺繍が縫われている。髪はつむじが黒く毛先に行くにつれて明るい金髪色をしていた。
一はその人物を見つめていると男は釣り眉にだるそうな目でこちらを睨みつけているのに気づいた。
「やっと起きたな」
尖り声で言う男に一は寝起きで回らない頭を働かせる。そして、自身が寄りかかっていたものの正体が目の前の男だという気付いた一は慌てて頭を下げた。
「すみません!」
彼は謝ったものの、なぜ公園のベンチで寝ていたのがわからず混乱していた。
「はぁ、話は後だ。まず、俺の家に帰るぞ」
「僕も、ですか?」
一は恐る恐る聞くと男は『当たり前だろう』と言いたげな顔でこちらを見てくる。威圧的な態度に拒否できない一は大人しく男について行くことにした。
当たりが真っ暗になっているのを見て一は随分と長い間、寝ていたんだと思いながら足を進める。次に背を向け歩く男の羽織に目がいくと羽織はズボンと似た花柄の刺繍が縫われているのに気付いた。花に詳しく無い一にはなんの花かは分からなかったが綺麗だと思いながら歩いていると黙っていた男が一に声を掛けてくる。
「俺は宇僚 紫珠陽。お前は?」
「僕は、一 風凛です」
「そうか、風凛。この世界には魔女狩りがあんだろ?」
「そうですね」
当然の事を聞く宇僚を不思議に思いながら一は答えると彼は控えめに後ろを向いた。
「その世間で恐れられてる魔女に。さっきまでお前がなってたんだ」
その言葉に思わず一は足を止めた。それは一に心当たりがあったからだ。自分を覆った黒く冷たい手、それに促される様に憎しみや怒りが溢れ出して周りから聞こえる笑い声を消そうと暴れ回っていた。一はあれを夢だと思っていた為、先程まで平然としていたが、宇僚に事実を告げられた事で絶望していた。魔女だと疑われた者、魔女だと確定した者は処刑対象になる。処刑対象とされた者は警察に捕らえられ最終的に火炙りにされる。自分にはもう死ぬ未来しかないのだと知り無表情の彼の顔が強張った。そんな時。
頭にポンと何かが乗り彼は顔を上げる。見れば宇僚が一の頭に手を乗せていた。その表情は子供を落ち着かせる様な優しげな笑みで久しく温かな目を向けられなかった彼は驚いてしまった。
「大丈夫だ」
彼の声に一は次第に落ち着きを取り戻していく。
「ほら、行くぞ。もう少しだ」
一の様子を見て、宇僚は言うとまた背中を向け歩き出す。商店街に入ると途中で路地裏に入っていった宇僚を一は不思議に思いながら付いて行くと路地裏は行き止まりになっていた。にも関わらず、宇僚は進んでいくと立ち塞がる壁に人差し指を向ける。すると黒い靄が壁に広がった。黒い靄は人ほどの大きさになるとそれ以上広がるのを止める。
「これに入れるぞ」
「え?」
未だ状況を飲み込めない一に宇僚は顎で促すと先に行ってしまう。
「ま、待って」
一はそう言うが彼は止まってはくれなかった。青と紫が混ざったような空間から光が漏れ、一の体に光が当たる。一は得体の知れないものに飛び込めるほどの度胸を持ち合わせてはいなかったが「大丈夫だ」言ってくれた宇僚を思い出し、今の一は足を踏み入れる程の勇気ができた。
一は目を瞑り勢いよく足を踏み入れると恐る恐る目を開ける。
「……綺麗」
見れば、まるで宇宙に来たのかと錯覚するほど星空の世界が広がっている。
「そぐわない物がちらほらと浮いているけどそれを除けば宇宙みたいだ」
一は辺りを見渡しながら羽子板にペンに本など宙に浮いているものを手で避け、光が漏れている場所を目指す。その場所を出ると光が体を包み、一は眩しい光に目を細める。徐々に目が慣れると出た場所は路地裏のようだった。さっきの路地裏とは打って変わり、木製建築物に囲まれた路地裏が見え、彼は不思議に思う。
「どう言う事? ここは」
路地裏を出ようと歩きする宇僚だったが一の言葉に宇僚は振り向く。
「お前のわかるように言ったら、違う次元。異世界と言ったとこか」
「異世、界」
彼は宇僚の言葉を理解しようとしたがその前に路地を出て見えた光景に息を呑んだ。見上げても屋上がはるか高くにある木造建築物に宙を浮いている提灯、魚すらも空中で泳いでいる。現実味がない光景に一は宇僚の言葉を理解できた。
「この世界では皆、魔法が使える。ここはお前の世界で恐れられている魔女しかいねぇ、そんな世界だ」
そう言うと宇僚はニヤリと笑う。
「ここなら警察も追ってはこねぇだろ?」
「……!」
その言葉に一は見た目の割に優しい人なんだなと思った。