第一章 第五話『Encount』
『ギョォ~~』と鳥とも爬虫類とも似つかない鳴き声が空から幾つも響いた。
しかも陽樹が見つけた一匹だけではない。
俺たちの背後、山の向こう側から一羽、二羽、三羽と、鳴き声の主たちが群れを成して続々と上を通り過ぎて行く。
開いた口が塞がらなかった。
言葉もなかった。
なんなら失禁しかけた。
「………………」
「………………」
俺たちは、プテラノドンの群れが見えなくなるまで終始無言だった。
ただ、圧倒された。
町中をカラスが飛ぶのとは違う。
コンドルが山間部で滑空するのとも違う。
異なるのは大きさ、圧倒的な生物としてのスケールの大きさだ。
カラスが翼開長(翼を広げた際の翼の端から端までの長さ)約一メートル、現在の地球の飛行可能な鳥の中で最大種のアンデスコンドルは三メートルもあるが、プテラノドンは更にその上をゆく。
プテラノドンは主に二種の存在が認められているが、そのどちらの成体(成熟した大人)もが七メートル以上、一種は大きいもので九メートルにもなるという。
現代の地球の環境と酸素濃度では存在し得ない、空想であり遺産であったモノたち。
そんな馬鹿げた存在が、ついさっきまで目の前で空を横切っていたのだ。
「………………~~ッ!!」
「………………~~ッ!!」
「「スッゲェェェェェーーーー!!」」
そりゃあこうもなる。
むしろならない方がおかしいというものだ。
「でっかくて!」
「あのデカさで羽ばたいてて!」
「へんな鳴き声してて!」
「グループで編隊組んでた!」
「「スッゲェェェェェーーーー!!」」
ハイタッチにアルプス一万弱、フォークダンスに抱っこしてグルグル大回転。締めにはハンドシグナルでガシガシグッグッ。このハイテンション、もはや今日一日で納まるものではない。
だって翼竜ぞ?
白亜紀で消えた生命ぞ?
化石でしか見たことのない動物が、世界中の誰もが一度は視たいと思う存在が、この大空を飛んでいたんだぞ? しかも『海沿いの崖などで上昇気流などに乗って滑空していたと思われる』なんて仮説を吹き飛ばしてだ。
こんなの喜ばない方がおかしいだろう。
「生きてて良かった~~!!」
自分の頬が緩み切っているのを実感する。
夢が叶ったも同然だ。
こんな状況なのに不謹慎極まりないが、落ちて(?)きて良かったとさえ思える。写真が撮れなかったのだけが非常に悔やまれるが、そこは仕方ない。
仮に持っていたとしても、この場所に来た時に池ポチャしているので壊れていた可能性が高いだろうからな。
「兄ちゃん! ティラノサウルスもトリケラトプスも何処かにいるかなぁ!?」
「………………」
陽樹の無邪気な問いに体が硬直した。
「………………」
「……? 兄ちゃん? どしたの?」
急に動かなくなった俺を不思議に思ったのか、陽樹が下から顔を覗かせている。普段ならすぐに返事を返すところだ。
だけど、俺の頭の中では今、危険を知らせる非常サイレンが徐々に大きく鳴り始めていた。さっきまであったドキドキは、すっかり鳴りを潜めてしまった。
「……まずいな」
背中に冷や汗が流れる。
体の芯が、手足の先が、陽光の下でなお冷えていく。
──────嫌な感じだ。
「陽樹、服着ろ。急いでここから離れるぞ」
「え?」
「水飲み場で、しかもこんな開けた場所で肉食恐竜から逃げるのは無理だ。急いで森に入って逃げるぞ」
「う、うん。わかった……!」
陽樹も今のヤバい状況に気付いたらしく、そそくさとその辺の地面に干していた生乾きの服を急いで着ていく。そしてもちろん、俺も陽樹に続いて服に袖を通し始めた。
その僅かな時間、俺は脳の奥から知識を引っ張り出して思考を回す。
プテラノドンがいるということは、同じ時代に生きた動物達がいても何らおかしくはない。その動物達とはつまり“白亜紀後期”に存在していたモノを指す。
その中にはもちろん恐竜がいるわけだが、恐竜の中でも“獣脚類”は圧倒的な捕食者だ。
これにはティラノやオヴィラプトル、デイノニクスなどが分類され、幅広い地域に、大小様々な種類が存在した。
彼らの特徴は何と言ってもその身体。
獲物を追うための嗅覚、殺して傷付けるための爪と牙、そして確実に仕留めるための集団行動。
「(もし本当に肉食恐竜がいた場合だけど、いま見つかったら確実に終わる……!)」
恐竜がいる、それはまだは確定事項じゃあない。
だけど、ここがもう元の世界じゃないことも確かで、タイムスリップしたか、別の世界かも不明だ。しかしプテラノドンがいる以上、タイムスリップしたかもという考えは否定できない。
なら万全の準備をするべきだし、想像力を働かせることは必須だ。
ここはもう、群馬でも東京でもないのだから。
「兄ちゃん、着た!」
陽樹の合図が耳に届いた。
とにかく、いまやることは三つ。
拠点と食い物の確保、そしてその間、肉食恐竜に見つからないこと。
無論、肉食恐竜は見てみたい気持ちもあるが、命には変えられない。何より弟を危険に晒す気なんて毛頭ない。
俺の中での第一優先は、弟を、陽樹を無事に元の群馬に返すことだ。
「陽樹、何か見つけたらすぐに俺に言うんだぞ? 分かったか?」
「うい!」
「よし、じゃあ早速────」
─────ミシ。
入りやすい森の入り口を探そう、と言おうとした俺の口が動く前に。
─────パキパキパキ……ガサガサガサ
聴覚が音を拾った。
「………………」
「………………」
その音は、徐々に大きくなって、明らかに近づいていた。
何の音かは分かる。
樹木の音だ。樹木が何かに踏まれ、押され、パキパキと折れて潰れる音。それが俺たちの背後から聞こえた音の正体だ。
そして、俺たちは。
ゆっくりと。
現実を、振り返った。
「………………ぁ」
その声が、俺の口から漏れたのか、陽樹の口から漏れたのかは分からない。
ただ目が合った。
「グルルルル…………」
森の木をかき分けて、巨大な顔が現れる。
────俺たちは、この王者を知っている。
その唸り声は、まるでワニやライオンの如く重く、閉じられた口からはみ出た牙は鋭く、大きい。
濃緑色や茶色、暗灰色の混ざった鱗肌を持ち、森の色が抜け出てきたような体色をしている。
羽毛はない。
さらに目を引くのは、巨大な顔と反比例してあまりにも小さな手だ。
あまりにも、想像図通りのソイツは、のしり、のしりと、小さな地響きを立て、遂にその全身を日の下へと曝けだす。
「……兄ちゃん」
「ああ……」
逃げることも忘れて、その威容を体感した。
何もかも、誰もが知っている姿そのものだった。
その恐竜の名は────
「ティラノサウルス……」
「ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
「「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」」
そして俺たちは脇目も降らずに逃げ出した。
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「ぜぇ……ぜぇ……」
「ハァ……ハァ……」
満月が照らす深い森の中に、二つの息切れした呼吸音。
その呼吸音の持ち主は、もちろん紡木と陽樹だ。
「こ、ここまで来れば流石に大丈夫だろ……」
「に、兄ちゃん……おれ、もう疲れた……」
息も絶え絶えにそう零す二人の視線は、八メートルはあるであろう高さから、背の低い草木に覆われた地面を見下ろしていた。
二人がいるのは、全長で20メートル程もある巨大な樹、その中間層だ。
日本にあるスギやヒノキのような針葉樹であるのは確かだが、日本のそれとは違い、幹と枝の太さが段違いである。
「とりあえず、休める場所があって助かった」
眼下を眺めていれば色々な生き物の様子が見えた。
街灯も無い山の中ではあるが、満月であったことが幸いした。
雲一つなく、周りに余計な人工の光もない。この条件であれば月明りだけでも周りがよく見える。
ネズミにトカゲ、小型の肉食恐竜、見れば見るほど、ここが現代の日本とは程遠い世界であることを実感させられた。
「ティラノが追ってこなかったのはいいけど、まさかクマにイノシシ、ゾウまでいるとは思わなかったな……。一体、どうなってんだこの森は。生態系って言葉を知らんのか」
紡木はため息を吐くとともに、肩をすくめて愚痴も吐いた。
恐竜が栄華を極めた中生代(三畳紀、ジュラ紀、白亜紀)において、哺乳類は被食者、つまり食われる側だった。だからこそ、食べられないために身体が小さいものが多く、細々と命をつないでいた。
それがどうだ、ゾウやクマなんて、とてもじゃないが小さい哺乳類などと言える生き物じゃあない。普通に考えればそれこそ大型の肉食恐竜に狙われる立場だろう。
しかしそれでも確かにこの世界に生きているという事実を前に、紡木は考えることを放棄し、背中から枝へと倒れ込んだ。
もういい加減、体力と気力の限界だった。
「狂ってんなぁ……」
「ねーー……」
寝転がった兄に続いて、陽樹もその背を枝へとくっつけた。
いい加減、キャパオーバーもいいところだった。
「やっべぇーー超眠ぃ。陽樹は? 疲れた?」
「疲れたけど、それよりもお腹へった……」
「あーーそうだ、それも考えなきゃなぁ……」
もうすぐ19になる紡木はともかくとして、陽樹はまだ小学三年生、10歳にもなっていない子どもである。
育ち盛りということもあるが、何よりも体力がない。
このまま食料の確保の安定が無いサバイバルを続けることは難しい、現実的ではないということだ。
「(かと言って、こんな危ない森で食料調達できるのか?)」
クマやゾウだけならまだ何とかなったかもしれない。
だが恐竜までいるとなると、話は変わる。
小型の恐竜は基本、群れで狩りをする。
しかも鼻が利くときた。
そんな連中に山で追いかけっこを仕掛けて勝てるのか?
答えは簡単。
絶対に無理だ。
「(だけど、このままずっと山の中に籠りきりになるわけにもいかない。なら危険を冒してでも打って出る必要がある。でも、その後は? そもそも人がいるのかが分からないし、いたとしても恐竜のいるような山の近くに住む人間なんているのか? いや、まずこの世界の霊長が人間でない可能性も……)」
ぐるぐるぐるぐると、頭の中で思考が渦を巻く。
疲れた身体が動かないせいか、余計に頭の中で考えてしまう。
答えの無い螺旋の問いに、紡木は大きく息を吐いた。
「……ダメだ。なーーんも解決策が浮かばん。もう詰んでねぇかコレ?」
あまりの詰みっぷりに思わず紡木はケラケラと笑ってしまった。
そして一旦考えることをやめてみれば、先程まで会話していた弟が静かなことに気が付いた。
「陽樹?」
返事はない。
まさか何か病気にでもかかったのかと思い、上体だけ起こして弟の様子を確認してみれば、スピーと鼻息を立てて完全に熟睡する弟の姿があった。
やっぱり我が家の弟は肝が据わっているらしい、と紡木は密かにニヤつき、羽織っていた学ランを眠る弟へと掛けた。
何処でも寝れる弟の姿がなんだか羨ましく、それが面白くもあった。
「……とりあえず、俺も寝るか。収穫がないわけじゃあない。いくつか獣道が見つかっただけでも充分だ。何とかなんだろ」
諦め半分、明日の自分への責任転嫁半分の、もはや投げやりな状態になった紡木は、弟に倣って目を閉じた。
まるで一年間煮込み続けたラーメンのような一日を振り返り、最後に紡木はこう思った。
「(でもやっぱ、恐竜って、いいなぁ……)」
ああ、太古のロマンよ。出逢いに感謝を。
紡木と陽樹。
二人の古代世界生活は、まだまだ始まったばかりだ。




