第一章 第三話『Black Monster』
長くなりました。許してつかぁさい……。
「……んあ?」
背中に冷たさを感じて目が覚めた。
視界は暗いが、見えない程ではなく、水族館のような深い紺の世界が目の前に映った。
「……どこだよここ」
開口一番、口から洩れたのは困惑だ。
連れ去られそうになった陽樹とイコちゃんを追って(しがみついて)みれば、いつの間にか冷たい通路で仰向け大の字で寝ていた。
「……ッ! 陽樹、イコちゃん!?」
気絶する前の状況を思い出し、紡木は考える間もなく上体を起こして辺りを見回した。
「誰も、いない、か」
どうやら紡木一人だけ、連れ去っておいて放置のようだ。学ランも靴も脱がされておらず、何から何まで変化なしだ。
しかし同時に納得もいく。
触手は真っ先に陽樹を狙っていた。
目的は分からないし、偶々近くにいた弱そうな存在を狙ったということも充分にあり得る。
が、紡木を放置していることから、誰でもいいという訳ではないらしい。
「……とにかく、じっとしてる訳にもいかねぇ」
この状況が連れ去られた状態だとして、まずは自らの状況を確認することが第一。無策で行動することなど愚の骨頂、バカのやることだ。
立ち上がり、縦横二メートルほどの正方形の通路を壁に沿って歩く。後ろは行き止まりだったため、進む方向に悩むことはない。
電球や松明のような発光物はない。それでも水底のようなユラユラとした仄かな青色光が通路中に満ちている。どいった仕組みなのかは不明だ。
壁に触れてみれば土埃がたち、パラパラと細かな土砂が零れた。
「見たことのないデザインだし、結構古いな。それにボロボロだ」
近しい遺跡の模様としてはアステカだとか、マヤ文明が妥当だろう。
直線で象られたものよりも、蛇のようにうねった紋様や動物(?)が多く彫られている。
しかしどれほどの年月が経ったのか、欠けているものも多く、描かれていたものがゴッソリとはげ落ちたと思われる空白もあった。
「なんつーか、忘れられた寂しい歴史って感じだな」
誰にも届かない呟きだけが、通路に響いた。
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それからはただひたすらに直線の通路を歩き続けた。
最初は珍しく感じていた遺跡通路も、変化と刺激がなければ何も面白くない、というのがこの短い遺跡生活時間で紡木が得た結論だ。
「ホント、いつまで続くんだよ……」
何より辛いのが他に選択肢などないということだ。
誰しも経験があるだろう、夏休みや冬休みの宿題に近い。終わりの見えないゲームの周回だって似たようなものだ。
やらなければならないことを続けることは想像以上にエネルギーを消費する。ストレスこそが人類が進化の果てに唯一得たモノという説も、あながち否定はできないのが非常に悲しい。
「いやいやいや! まだだ、まだイケる!」
しかし、紡木には愛する家族を探すという重大な使命がある。たかが退屈に負けて、立ち止まることなど許されない。
何よりも、紡木自身が許さない。
拳を力いっぱい握る。
柔らかな意思を決意に固めて、飲み下し、腹の底から熱を生む。
「俺はお兄ちゃんだ。兄貴として、漢として、これからの人生は一回でも逃げちゃいけないんだよ……」
『後悔の少ない人生を送ること』
幼かったあの日、今でも夢に見る亡き父と交わした約束だ。
この誓いと家族が紡木の生きる指針である今、ただ前に進むしか道はない。
「待ってろよ……陽樹、イコちゃん! いま兄ちゃんが行くからな!」
そこから紡木は、ただひたすらに走った。
一直線の通路だけでなく、階段を上り、階段を下り、また直線を走ってを幾度となく繰り返した。文字通りの終わりの見えない迷路に、精神はすり減り、摩耗していく。
「ハァ……ハァ……」
だが、止まらない。
汗をかこうが、足が折れようが、腹が空こうが、足を動かし続けた。
「ハァ……ハァ……」
肺が痛む。
「ハァ……ハァ……」
脇腹に激痛が走る。
「ハァ……ハァ……」
足裏の皮が捲れた。
「ハァ……ハァ……!」
それでも、紡木は走る。
「まだまだ……!」
痛みはむしろありがたかった。
こんな誰もいない寂しい遺跡に弟たちを置いていく、そんな嫌な想像を頭に留めなくて済んだからだ。
抱いた焦燥感は凡そ三時間、紡木の背を押し続けた。
そして──
「……………………すげぇ」
一際長い直線の階段を登りきったそこには、これまで一切見ることのできなかった遺跡の全貌が一望できた。
その景色は紡木の疲労と苦痛を吹き飛ばし、その威容を以て精神を圧倒。搾りカスしか残っていない体から感嘆の吐息を吐き出させた。
「……海底都市」
そこにあったのは、まるで海に沈んだかのような古代の街だった。
構成する物質が遠目からでも全て石材だと判断でき、それが地平線の彼方まで続いている。
デザインはやはり不明、地球上に存在したかどうかさえも定かではない。
その全てが海底に沈んだかのように真っ青になっていて、人が住んでいるとは到底思えない上に、何の音も聞こえないという異常な空間でもあった。
『未知』の塊が、莫大な情報の山が、ただ静かに眠るのみ。
「ホントにすげぇ……。学術的な価値だなんて言葉でも足りないレベルでやべー遺産だぞこれは……」
『海底に沈んだ未知の古代都市』。
考古学者にとっては垂涎モノどころか、命をかけて調査したくなるほどの絶好の調査対象のはずだ。学会で発表すれば即座に世界中から問い合わせが殺到。すぐさま調査団が組まれてお祭り騒ぎになること間違いなし。
金も研究成果も生まれ、発見地域の発展も狙える。
まさに最高の遺産だ。
「いや、待てよ?」
だが、今の紡木にとって重要なのはそこではない。
「まさか……この都市の中から出口と陽樹たちを探せってことか……?」
再度、前方百八十度の景色をグルっと眺める。
同じ高さから見た水平線は五キロ先まで見えるというが、紡木のいる位置は都市の中でもかなり高所に位置していることが景色から窺えた。
建物の後ろ側の景色は見えないが、もし同じような景色が広がっているのだとしたら、この都市の半径は下手したら十キロを超えている可能性すらも存在する。
「……………………マジかよ」
これからやらねばならないことと、ここに至るまでの経緯を思い返し、紡木は顔に手を当てて天を仰いだ。
腹も減った、身体は疲れた。
もう体のどこにも使用可能なエネルギーなんて残っていないのは自明の理、いくら運動部の紡木でも当然の末路。
ここまで走ってきた時間は無駄だったのか?
「いや……まだだ」
否である。
「だいぶキツイけど、足は動く。ならまだまだイケる。まだ……走れる!」
痛む体に鞭を打つ。
そうだ、よくよく考えれば建物の外が判明したという成果を得られた、それだけでも現状において充分な進歩のはずだ。
「やることは変わんねぇ。まずは陽樹とイコちゃんを探す、話はそっからだ!」
気合は充分。
静かな都市に高らかな宣言が響いた。
「さて、まずはどこから探すか……」
気持ちを楽にして肩を回すと、ゴキゴキと小気味の良い音が鳴った。
滞った血液が一気に流れるようなイメージが紡木の脳を流れて、疲れた思考がほんの少しだけリフレッシュされる。
後ろは元来た道、ならば進むは左右か正面。
それぞれが綺麗に階段に分かれており、左右に行けばまた遺跡の中、正面から行けばだだっ広い中庭を進むことになる。
紡木の今の気分では断然正面から攻めたい気分が群を抜いていた。
「……ん?」
ふと、中庭に視線が留まった。
正面に位置する中庭は前方後円墳のような模様が描かれていて、かつてはその形に添うように水が流れていたことが伺える。
紡木の視線を捉えたのはその円の部分だ。
「陽樹!?」
弾けたように紡木は走り出した。
乳酸の溜まったひどく重い足を力任せに動かして走った。
途中で足を踏み外したが、そんなことを言っている場合ではない。怪我なんて今更どうってことはない。
この余りにも広い遺跡群の中、途方に暮れかけ、これからどうやって探そうかと思ったタイミングでこれだ。
まさに僥倖。
最愛の家族に急いで駆けよらない理由など、紡木の中には一片たりとも存在しなかった。
だが、近づくに連れて妙なものが見え始めた。
「イコちゃんと…………なんだ?」
その妙なものが鮮明になるにつれ、駆け足だった紡木の足が遅滞していく。
横たわった陽樹の胸は微かに上下していて、呼吸はしっかりと行われていることは確認できた。
しかし紡木の視線の終着点はそこではない。
視線の行きつく先は上下する弟の胸──その上だった。
「なんだコイツ……?」
辿り着いた弟の横でしゃがみ込んで、その異様な光景を間近で眺める。
弟の胸の上では、カイコと黒い謎の生き物がキャットファイトを繰り広げていた。
「(うなぎ……? いや、タコ? トカゲか?)」
その黒い生き物の特徴を挙げていけば、まさに『奇妙』という他ない。
真っ黒なトカゲの頭部と、目立つパッチリとした一つ目。
胴体もそのままトカゲの身体だと思いきや、腕はなく、代わりにあるのは襟元から伸びる長い藍色の髪とコウモリのような皮膜のついた翼だ。
極めつけは、下半身がタコのように八つに分かれているところだ。
混ざりすぎて元の生き物が何なのかさえも分からない。
「このタコ足で陽樹にひっついてんのか……」
明らかに地球上の生物ではないその異形。
いくら紡木が生き物を好いているといっても、触れることに躊躇が生まれる。
『初見の生き物と野生動物には素手で触れないこと』、それが生物好きでは暗黙の了解にして絶対のルールである。
しかしこのまま弟にずっとくっついていて貰っても困ることも、また確かであった。どんな菌や毒をもっているかも分からないというのがどれだけ厄介か分かるだろう。
それでも意を決して、紡木は奇怪な存在に手を伸ばした。
「うっ!?」
「ウ”ウ”ウ”ウ”~~~!!」
が、正体不明の存在は蛇のような細い口から犬の如き唸り声を発し、紡木の手が触れる瞬間にその手を弾いた。イコちゃんとキャットファイトを続けながら。
「なっ!? こ、コイツ……! この触手は!」
紡木の手を弾いた得物の正体。
それは翼の根元から突如として現れた一対二本の触手であり、紡木にとって早々忘れることのない、見覚えのある形と質感をしていた。
「~~~~~~~~!」
おそらくは自分たち兄弟をこんな状況に引き込んだ元凶、それを前に紡木の感情は一気に沸点まで上昇する。全身の筋肉に力が入り、目の前の存在の拿捕に紡木の両の手が走った。
意思の疎通の可不可だとか、生物学的な分析をどうすべきかなどは頭にはなかった。
が、再度阻まれる。
「……ぶへッ!?」
先ほどの手を弾いた威力などよりも遥かに重い一撃が紡木の頬に直撃。二本の触手が束ねられた殴打は脳を揺らし、首筋の筋肉に膨大な負荷をかける。
紡木の身体を一瞬の浮遊感が包んだ。
「(コイツ……! 小せぇくせになんてパワー! 意識が飛びそうなぐらいに重い!)」
弾かれた衝撃と自らの首元から鳴る軋音の中、気絶寸前の意識を無理矢理に痛みと意地で固定させ、紡木は吹っ飛ばされた身体を立て直す。
片膝をついて顔を起こした瞬間、再度の衝撃。
「ぬあっ!?」
だがその衝撃は先の一撃とは程遠く、軽い。何よりもキャッチしたそれは触感が違った。
「イコちゃん!」
衝撃の正体は、不明の存在とキャットファイトを続けていた夜鳥家のカイコ、イコちゃんだった。
イコちゃんが吹っ飛ばされてきたの方を向けば、不明の存在──仮称『キメラ』は息も絶え絶えといった様子で触手を振り回し、その巨大な単眼をキッと歪ませて威嚇しているように見えた。
「(もしかして、守ろうとしてるのか?)」
こんな場所に引きずり込んだくせして、それなのに守ろうとする。紡木からしたら理解不能と言いたくなる行動でしかない。
いったい何なんだ、どういう状況だと、今日だけで何度思ったことか。
「ほんっとに──」
だが、その疑問の全てが口から出ることはなかった。
「ん?」
紡木は自らが抱えている存在が、突如としてその質量を失い始めていることに気付いた。
「……は!? お、おいイコちゃん!? なんで身体が崩れてくんだよ!」
あの『キメラ』に吹き飛ばされた時には確かに感じた昆虫特有のフワフワの身体が、光となってホロホロと崩れていく。
紡木は信じられないといった様子で揺さぶったが、返ってくる反応はない。
むしろイコちゃんの身体における生命活動が停止していることを、垂れて力なくゆれる脚と櫛状の触角が如実に示していた。
「なんで急に……」
更に異変は続く。
崩れて光球と化したイコちゃんの肉体が、まるでそうなることが自然であるかのように、紡木の肉体へと吸い込まれた。
同時に、陽樹の腹上で触手を振り回していた『キメラ』の全身がガクンと脱力し、泥のように黒く染まる。
触手もまたその活動を停止し、『キメラ』の身体が溶けるように崩れると、排水溝に流れる水の如き勢いで陽樹の体内へと潜り込んでその姿を消した。
「なっ!? ちょ、おいっ待てッ!」
届くはずもない、伸ばされた手が空を切る。
カイコは兄の中へと消え、キメラは弟の中へと溶けた。
後に残されたのは、今しがた目の前で起きた出来事に呆気にとられる紡木と、未だにグースカと眠り続ける陽樹だけであった。
「……………………」
こと、ここに至るまでの経緯が浮かび上がり、紡木の頭の中はぐちゃぐちゃだった。
学校に行こうとしたら変な触手に意味わからん遺跡に拉致される。
そして目を覚ましてみればアホみたく広い遺跡を走り回る羽目になる。
最後にようやく弟とペット、拉致犯を見つけたかと思えば、ペットと拉致犯はどちらも力尽きたかのように姿を消し、自分たち兄弟の身体に吸収されていった。
バカバカしいったらありゃしない、と言って呆れられればどんなによかったか。
これが夢だと言ってくれた方がまだ信用できるが、触手に殴られた頬の痛みが現実から目をそらすことを許さない。殴られたところはかなり腫れていた。首筋と併せてダブルで痛む。
「とにかく、陽樹を連れてここから出ねェと……」
イコちゃんの安否も無視できない問題ではある。
だが吸い込まれていった自らの胸に手を当ててみても特段反応はない。手がかりが何もない以上、今できることをやるしかない。
特に陽樹の様子を確認するにあたって、邪魔者がいなくなったことだけは不幸中の幸いだった。あの触手の雨を避けながら確認など、ヒグマの前で肉をぶら下げたまま踊るようなものだ。
紡木は足早に弟の下に駆け寄ると、直ぐさま陽樹のシャツを脱がして『キメラ』が潜り込んだ箇所を確認した。
「これ、刺青か?」
そこには、凡そまともな小学生であれば彫ることのないような刺青が刻まれていた。
模様のデザインは極めてシンプルで、トゲトゲの鉄球を影にしたような感じだ。刺青というよりも痣と説明した方が受け入れられそうな模様であった。
状況からどう考えても『キメラ』が原因で出来た刺青なことは疑いようがなかった。
こちらもイコちゃんと同様、触っても何の反応もない。紡木の手に帰ってくるのは子ども特有の妙にスベスベとした肌の感触だけであった。
現状で陽樹に何の影響も出ていないことに紡木は安心した。
だが同時に、手がかりとなったはずの存在がいなくなってしまったというもまた事実である。陽樹は見つかったものの、振り出しに戻ったことと同義だった。
「とにかく陽樹を連れて出口を探さねぇと……」
そして紡木は手始めに陽樹の両手を引っ張り上げ、自らの双肩に育ち盛りの軽い体を背負って立ち上がった。
と、同時にこけた。
「あ?」
立ち眩みに近い感覚だった。
急に太ももから下の感覚がなくなるような、疲れまくった身体でソファーに飛び込む寸前のあの浮遊感にも似た、言葉で言い表せない何かをその身で味わう。
いや、紡木と陽樹の現状に当てはめれば浮遊感という表現で間違いないだろう。
何故なら音もなく、二人の真下には直径五メートルはあろうかという巨大な穴が一瞬で出現したのだから。
「へ」
遠ざかる遺跡と藍の世界をその目に映し、兄弟は落ちてゆく。
先程までいた場所と違い、穴の中に光はない。
落ちた先に硬い地面があって叩きつけられて死ぬのか、それとも何処に辿りつくこともなく永遠に落ち続けるのか、それは分からない。
「ま」
それでも、いや、そんな状況になったからこそかもしれないが、紡木には声に出して言いたいことがあった。
「マジでなんなんだよもおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」
渾身の叫びだけが、もぬけの殻となった都市に響く。
穴の中から五秒ほど続いたその声は、チャポンという音を最後にアッサリと途切れた。
今度こそ、藍い世界が誰もいない静寂に満ちた。
しかしそこに寂しさという負の情景はない。
ただ役目を終えた街が、静かにそこに眠るのみ。
ここは【緩衝世界】。
またの名を【アルルイェアの聖都市】。
『希望の日』を待つ抜け殻の都市、そして偉大なる存在の揺り篭になる場所である。
さあ、目覚めの刻は、もうすぐだ。




