第一章 第二話 『気付いてはいけなかった違和感』
桜並木の中で、紡木はイコちゃんと出会った時のことを思い出していた。
カイコのイコちゃん。
夜鳥家から両親が消えた五年前、紡木たちが東京から群馬に越してきた年に現れた居候である。
発見場所は【蚕道寺】の裏山。
散策をしていた紡木の前にボトっと落ちてきた。
ただそれだけのあっさりとした出会いだった。
当然のことながら生き物大好きな紡木は鼻血が出るほどに大興奮し、捕獲して学会で発表までしようとした。
だがそこには思わぬ落とし穴が二つあった。
陽樹の頭上から一向に離れようとしない毛玉を撫でる。昆虫には瞼がないために表情は分からないが、ピンクの触覚がピコピコしていることから悪い気分ではなさそうに見える。
一般人が見れば卒倒しそうな光景だが、しかし桜並木の中ですれ違う人々の誰もがそれを指摘しない。
「にしてもホントに見えてねぇんだもんな……意味わからん」
これが一つ目の落とし穴、そもそもイコちゃんが夜鳥家の人間以外には認識できないのだ。それどころか触れることもできず、触ろうとすればすり抜ける。
だから陽樹が小学校にイコちゃんを連れて行こうが、紡木が部活中に撫でていようが、誰にも気づかれないのである!!
もうこの時点で明らかにおかしいが、それは一先ず置いておく。
二つ目の落とし穴だが、これは紡木たちの祖父に問題があった。
祖父は前述したように【蚕道寺】の住職だ。
蚕道寺は富岡製糸場が作られたころに建てられた寺であり、その名前からわかる通り蚕の神である『おしら様』を八百万の神々の一柱に任じている。ちなみに蚕は大量の卵を産むため、蚕道寺は別名【産道寺】とも呼ばれているが、それも置いておく。
祖父は酒に溺れやすい人ではあるが、それとは別に熱心な住職らしく、イコちゃんを連れ帰った日には次の日の朝まで拝み倒しそうな勢いで膝まづいていたことをよく憶えている。
結果として祖父がイコちゃんを学会で発表するなど許すはずがなく、そもそも誰にも見えないため、ひそかに企んでいた紡木の学会デビューは泡と消えた。
「つってもまあ、情が湧いちまってもうそんなことできねーけどな。杏も大泣きするだろうし」
思わず口に出た紡木の独り言に、隣で歩く陽樹は首を傾げる。
そんな弟のしぐさに紡木は「何でもない」と言って口を閉じた。大事な家族を学会で発表して見世物にしようとした、などと最愛の弟に知られては生きていけなくなる可能性が大だからだ。
「(このことは墓まで持って行くかな……)」
紡木は密かにそう決意した。
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「お兄ちゃん……」
「ん、どうした陽樹?」
桜並木の道が終わり、開けた河川敷に出たところで学ランの袖が引かれた。
「あれってなに?」
陽樹が指を指したのは進行方向、コンクリートで舗装された道のド真ん中だ。
「……穴?」
舗装された道に、それはそれは綺麗な穴が空いていた。まるでくりぬいたかのような穴は底が見えず、直径は一メートルを超えるだろう。
足を踏み入れようなら真っ逆さまに落ちること請負いだ。
「陽樹、ストップ」
違和感。
田舎の河川敷とはいえ、この通りは人通りがある方だ。
だというのにこんな大きな穴を放置したのか? 誰も市に連絡して工事しようとは思わなかったのか?
そんな疑問が浮かんでは消え、浮かんでは消えるを繰り返す。
どうにも嫌な予感が拭えず、引き返そうとしたその瞬間、
「は?」
穴から伸びた一本の黒い触手が、陽樹の胴に巻き付いた。
「なッ!?」
そして呆気にとられた紡木を他所に、触手は陽樹とイコちゃんを引っ張り上げて宙へと躍らせた。
「うわあああ兄ちゃあああん!」
「陽樹!」
二メートル程の高さに吊り上げられた陽樹。
紡木も間髪入れずに飛び上がり、陽樹の腰に手を回して触手を解こうと試みる。
だが──
「(か、かってェ!?)」
巻き付いた触手はその恐るべきパワーと硬さでビクともせず、それどころか陽樹に抱き着いた紡木ごと引っ張り上げ始める始末だった。
「なんっつーパワーだよ……! うおっ!?」
紡木の足が完全に地面から離れた瞬間、釣りで針を掛けるようにグンっと触手はしなり、二人と一匹を穴の上空へと一瞬固定。そして一直線に穴の中へと引きずり込んだ。
断末魔一つ、助けさえも呼べずに、夜鳥家の二人と一匹は穴の中へと姿を消した。
その瞬間を見ていたものは誰もいない。
その後、群馬県のとある地域では警察による大規模捜索が行われたが、一切の手がかりが見つかることもなく、一か月後の期間を以て捜査は打ち切られた。




