テスト
午前10時半、7-28部屋。
4畳ほどのその部屋、入って手前、1.5畳のスペースには更衣スペース、そして飲食をする小さいテーブルと椅子が設置されていた。
そして奥、2.5畳ほどのスペースにはもうひとつ部屋、というか個室があり、入り口があった。
銀汰はまず、部屋の更衣スペースに置かれた『テスト専用スーツ』に着替えた。
そのスーツは黒い、全身タイツのようなもので、伸縮性に優れたものだった。計測機器が装着されているとはわからないほど、軽くて動きやすい。
スーツに着替えると、個室に入り、ドアを閉めた。
中は2.5畳の長方形の狭い空間。壁と床は全て黒く、長手方向の壁に設置された大きなモニターの光以外の照明はない。
銀汰の入室を確認したのか、モニターから自動音声が流れた。
「被験者番号を教えてください」
事前に伝えられていた番号を伝える。ランダムな4桁に、自分の誕生日を組み合わせた8桁の番号だった。
覚えていない場合は、個室から出て確認することも可能だったが、銀汰はその番号を覚えていた。
たまたま語呂合わせをしやすい『4141』だったのだ。きっと、ディギっちと会えたのもその番号のおかげに違いない。
番号を発生すると、自動音声が応答した。
「○○中学校、三年二組、秀井銀汰、で間違いありませんか?」
間違いない、と伝える。
「これから30分間、基本的な動作をしてもらいます。動作の前に『準備はいいですか?』と聞きますので、良ければ肯定してください。では、準備はいいですか?」
事前に送付されていたマニュアルには、肯定の言葉として、『はい』『うん』『うむ』『いい』『イエス』『ヤー』の六通りが記載されていた。これ以外の言葉には反応しないらしい。
銀汰はなんとなく、言いやすい『ヤー』と応えた。
「まずは手の指の曲げ伸ばしです。モニターの絵のように、立った状態で手を水平につきだし、5回連続して手をグーパーしてください」
言われたとおり、そして絵のとおりに5回グーパーした。
「終わりです。では、次です。準備はいいですか?」
ヤーと応える。
その後は音声のとおり膝の曲げ伸ばしや発声などの基本的な動作が続いた。
それらの動作は、予定どおり30分で終了した。
「これで基本的動作は終了です。次に、準応用的動作に移ります。全ての動作を終えるのに、約2時間かかります。準備はいいですか?」
銀汰は応えず、一度個室から出た。そして、飲食テーブルの上に置かれたペットボトルの水を一口飲んだ。
肯定しなければ、いつでも自分のタイミングで休憩をとることができる。
今後続く全ての動作を終えるのには、約4時間かかる。開始時間の10時半から、昼食も休憩もとらずに連続して行えば、14時半には終わるのだ。
だが、後半になるほど動きが大きくなる。とは言っても、全てを個室で行うので、その動きには限界があるが。
それでも、連続して行うにはよほど体力が無いと困難であろう。だが、一部の被験者の間では、いかに終了時刻が早いか、というどうでもいい競争もあったりするのだった。
被験者には弁当が準備されており、既にテーブルに乗っていた。そのテーブルで食べても、各フロアのロビーで食べても自由だった。銀汰は、とりあえず区切りのいいところまで進めて、12時にロビーで食べる予定だった。
「次です、準備はいいですか?」
ちょうど12時になったところで、銀汰は肯定せずに個室を出た。
そして、少し呼吸を落ち着けると、弁当を持って部屋の外に出た。
その部屋はオートロックで、部屋を出るときも入るときも鍵が必要だ。親切仕様で、鍵を持たないと部屋を出れない。
インキーせずに済むのは安心だが、少し面倒くさい。だが、お昼とトイレくらいしか外には出る必要がないのだから、まぁ、仕方がないだろう。
ディギっち、ロビーにいないかな。
そんな願望を抱いてロビーを見回す。だが、ディギっちはいなかった。
だけど、それは予想したとおりだった。
被験者が着用するスーツは、からだにフィットする全身タイツのようなもの。からだのラインがはっきり浮き上がってしまうのだ。もちろん、生地がタイツと比べれば厚いので、はっきりしたからだの形などはわからないのだが。
年頃の女の子にとって、他人、特に異性に見せたいものではないのだろう。
現に、ロビーには男しかいなかった。銀汰も第一回目のときは、少し人目を気にして部屋で食べたのだが、前回の二回目はロビーで食べた。そのときに、正直言うと、女の子がいたら、という淡い期待を抱いていたことを覚えている。結果、いなかったのだが。
ロビーに設置されたテレビを見ながら弁当を食べ終えると、トイレ経由で部屋に戻った。
椅子に座って食休みをすると、12時45分、テストを再開した。
準応用的動作は、走る、上に跳び上がる、投げる、聞かされた音と同じ音程を発声する、などの、基本的動作を複合した動きだった。
走るときには、床がランニングマシーンのように動く。その人が地面に与える力に応じて動くため、走っているがその場から前後に移動することは一切無かった。
そして、最後の応用的動作に移った。
走って跳ぶ、走って投げる、聞かされた曲のとおり歌う、などの、準応用的動作を複合した動きだった。
この動作では、さすがに、こまめに休憩をとる必要があった。
「全ての動作が終わりました。お疲れさまでした。家に帰るまでが能力評価テストです。気を付けてお帰りください。
なお、結果は二週間後、6月29日に個人端末に届く予定です」
終了の自動音声が流れたのは、16時45分だった。
服を着替えると、部屋を出た。
テストとは言えやはり、なかなかの運動量だったため、帰りの足取りは重かった。
帰りにディギっちに会えなかったのもその原因のひとつだったのだが。
ー WTNB報告書No.2023-5 ー
2023年、『機械による人間の自動化』を進める研究から、別の考えが派生した。
現在収集を進めている動作は、一般的、そして平均的なものであった。そのため、不特定多数の被験者を抽出していた。
一方で、この自動化させる動作のモデルを、高度なもの、例えば、料理であれば一流料理人、走るのであれば100mを10秒以内で走るトップアスリートなどの動作としたらどうだろうか。
もちろん、体型、筋力や視神経などにより、個体によっては不可能な動きもあるだろう。
しかし、ここで思い出してほしい。例えば、動画を観て動きを勉強するような場合のこと。
その動きを模倣するため、ときにはスローモーションにして、動きを細かくチェックすることがあるだろう。
同じように、この高度な動きを可能とするスーツの動作強度、わかりやすく言うと稼働速度を調節できるようにするのだ。
まずは初心者レベルで、ゆっくりした動作を反復する。正しい動きを学ぶとともに、必要な筋力や視神経を認知するとともに、微少ではあるが機能向上することも期待できる。
この動作強度を上げていくことで、日常生活の動作をより高度に、そして、スポーツであれば、そのパフォーマンスを向上することができると考えられた。
我々は、不特定多数の情報とともに、あらゆる分野の第一人者の様々なデータの収集を始めることにした。