石田三成と『柿』
かつてオーストラリアの心理学者、ヴィクトール・フランクルは自身の著作の中で「最期の瞬間までだれも奪うことのできない人間の精神的自由は、彼が最期の息をひきとるまで、その生を意味深いものにした。」という文面を書き表した。
人間の最期の時間は誰にも奪うことができない……つまり、最期の時間をどう過ごすかは個人次第で、その瞬間にこそその人の本性が現れるということではないだろうか。
群雄割拠の戦国時代にも死の瞬間、自分の生き方を見せつけたという話はよくある。
織田信長の最期、自身の気に入る「敦盛」と言う舞を舞ってから果てたという話もその一種だろう。
そして、今回はそんな生き様を見せつけた武将がもののふ亭に……
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「……これが……か……」
半分期待、半分絶句といったところだろうか。
目の前に出された定食を見ているひとりの男の目は輝いていた。
「さあ、食べ物を残すことなんてせず、さあさあ」
笑顔で美少女(?)に料理を勧められて食べない男などいないだろう。
彩は先日、秀吉の件でせめて料理を頼まない人が現れてもデフォルトの定食くらいは出そうと心に決めたのだ。
料理を出さないとわざわざ武将のために起きているのに彩自身の存在意義がなくなるではないか。
「だから儂は食べぬと言ったろう。ただでさえ私はこんなことをできる身分ではないのだ。確かに飯は魅力的なものだが」
それに対して首を横に振って否定する。彼の名は石田三成。関ヶ原の戦いで負けた男。
三成は彩の顔を見る。
「水と……漬物だけは貰おうか。ただしそれまでだ」
その言葉に彩の顔が少し明るくなる。
一応……一応漬物だけとは言え、彩の料理を食べることになる。随分と都合がいいと彩自身も思ってしまうが彼女は他人に認めてほしいのだ。
三成が箸を取り出して漬物をつまむ。
「……いい漬物だな。最近……いや、人生で一番のものと言えよう」
三成は目を閉じて感傷に浸るように……まるで悟りを開いた僧のような様子だ。
「なにがあったんですか?」
「ははは、笑える話よ」
そういいながらも三成の顔は全く笑わない。
「儂は負けたのだ。あのタヌキに。化かされたのだ」
三成の目からはポタポタと涙があふれだす。
「儂には人望がなかった。それだけだ。それは儂の手がタヌキに届かない要因でもあった」
1600年関ヶ原の戦い。彼は西軍の大将として戦った。最初は戦力が拮抗していたが、小早川秀秋の謀反をきっかけにして多くの軍が寝返り。
そのまま押し切られる形で関が原は終わった。
「……」
「それが負けたこと以上に悔しいのだ。もしあそこで小早川が裏切っていなかったら。そう考えてしまうのだ」
「もし小早川秀秋が裏切らなかったら……私にはわかりませんが、それを考えたところでどうなるのでしょうか」
「は?」
三成が素っ頓狂な声を上げる。
「それならば、目が覚めた時にどんな風に徳川軍からどうしたら抜け出せるか。そんなことを考えたほうがよっぽど有意義だと思います」
「徳川から逃げられるわけ……」
「あくまで一例です。何でもいいのです。例えばどの様な気持ちで処刑に挑むのか。そんな事でもいいと思います。縄で縛られていようと、殺されそうになっても、一秒でも先の未来を見る。それが武士の……人としての『生きる意味』なのではないでしょうか」
「生きる……意味……」
「そうです! さあ、漬物だけとは言わずに一秒後の話をするためにこの白米を食べ……あれ?」
彩の前に、もう三成の姿はなかった。
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秋特有の涼しい風が彼の横を通り抜ける。
思わず身震いしてしまいそうだ。寒さではない。これから起こることに対しての震えだ。
夢で見た会話を思い出す。すると、少しのどが渇いてきた。
「すいませぬ」
「なんだ」
「水を一杯頂きたい」
「すまんな。それは無理だ」
「なぜ?」
「私が今水を持っていないから。それ以外の理由が?」
「いや……すまない」
「ただし」
監視役の男が口を開く。三成に後世まで残るあの言葉を言わせるために。
これから死ぬ男の死を最大限彩るために。
「柿なら持ってる。どうだ?食わないか?」
「それなら要らぬ。柿は喉に毒というからな」
「へッ、言っちゃ悪いがもうすぐ死ぬんだぞ? 今更体を気遣って何になる?」
「確かに何にもならないかもしれないが、私は未来を見る男だからな」
「は?」
監視役の男は三成が何を言っているのかが分からない。
しかし、これが歴史に残った石田三成の偉大な最期だ。
「今より、関ヶ原の大罪人、石田三成とそれに列挙する重臣の処刑を開始する!」
処刑が始まる。
石田三成は首が斬られた瞬間、笑っていた。