徳川秀忠は『食いしん坊』
日本の中でも随一の歴史を誇る古都、京都。この場所は昔からさまざまな有力者が住んでいたり、行事が行われてきたりした所である。
そしてそんな歴史ある町の裏路地にポツンと立つ一つの店があった。看板にはこう書いてある。『もののふ亭』と。
「こっらぁ!起きろ!」
京都某所、午前6時。もはや毎朝恒例となっている少女の怒鳴り声が裏路地に響く。
「もう……こっちも眠いんだから大声出さないでって言ってるでしょ……」
「『こっちも眠い……』ってなによ!こちとら4時半から店の仕込みとお前の朝飯作ってるのに!」
少女……彩が自身に向かって怒ってる中、地雷を踏んでしまったことを後悔しているのは彼女の双子の弟……涼である。彼は趣味の一環として毎日午前12時半までネトゲをやっているせいで早く起きられ無いのだが、まあそこは置いておこう。
「昨日も深夜、客が来て疲れてるんだから……」
「あ、マジ!?誰が来たの!?」
「東北の伊達政宗。眼帯がなかったからちょっと残念」
深夜の客……その隠語が武将の事を指すのは両者知っての通り。昨日来た『伊達政宗』の容貌を脳裏に思い浮かべていると、今日一の興奮具合で涼が大声をだす。
「マジで!?伊達政宗!有名な人じゃん、俺でも知ってる!」
久しぶりに自身が知ってる武将の名前を出されたからか、得意げに彩に伊達政宗の何たるかを語ってくる。正直、彩は店の都合等で戦国武将についての知識量だけは涼の数十倍は凌駕していると言っても過言ではないため、彼女から見れば彼の言う情報などとっくに履修済みだ。
「はいはい、分かったから。とりあえず早く朝飯を食いなさい」
「女の子が『食う』なんて汚い言葉を使ったらダメでしょ、『お食べなさい』くらいじゃないとお嫁に──」
「いいからさっさと食え」
「はい」
以上のこんな会話で2人の1日は始まる。会話により脳を完璧に醒ました涼はやっとこさ朝飯の席に着く。メニュー自体は非常に簡素なものだが、『白ご飯』『沢庵』『みそしる』『おひたし』と、THE 日本人と言って差し支えない食事内容だ。 もちろん全てもののふ亭の朝の仕込みの残りである。涼専用に朝飯を作っている暇などない。
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
「よし、じゃあ行ってくるわ!」
「はいはーい」
彩が朝飯の皿洗いをしている中、用意を済ませた涼が学校へと登校していく。彼らは高校2年生の歳。一生に一度しか無い花の青春だ。
ここであるひとつの疑問が浮かぶ。先程彼らは『双子』だと言ったが、何故彩が学校に行っていないのか?……それに関しては、彩が店を優先して高校受験をしなかった事に繋がってくるのだが、取り敢えず今は置いておくことにする。
「彩ちゃん、ビールもう一杯!」
「まだ午後の2時なんですけど……」
「もう一杯!」
「はいはい」
昼間から酒を飲みながらぐうたらもののふ亭に居座ってるのは御歳67歳の近所に住むお年寄り、岡崎源太郎さんだ。愛称は源さん。
歳の通り定年を過ぎて仕事を辞め、働いていた時にはかなり稼いでいたらしく毎日どこかで飲んだくれている。言わゆる酒豪というやつだ。
時刻は午後2時、午前中とお昼休み時間は大通りと離れているとはいえそこそこの人が来るのだが、昼営業の時間になるとどうも客足がつかない。いつもはお昼寝タイムになるのだが……源さんが来たわけだ。この人が来ると3時間は居座る。18時くらいまでこの調子であることは覚悟せねばならない。
「源さん……私ちょっと寝てきます。昨日遅くまで起きてたもんで……酒瓶はいつものとこに置いてあるので……帰るなら金置いてってくださいね……」
「おうよ!」
まあ源さんが来たからと言って昼寝タイムが無くなる訳では無い。信用も置ける相手だ。彩は店の奥で眠りにつく──
と、こんな風に彩の一日は過ぎていく。午前から午後にかけてはつ通常のお客さんの相手、午後から夕方にかけては仕込み、またはお昼寝タイム。午後10時くらいからは3日に1回くらいの頻度で戦国武将がやってくる。
慌ただしい日々だが彼女にとっては最高の日々だ。
──しかし、この物語はあくまで『戦国レストラン』の物語だ。これだけ長々と語っておいて戦国武将を相手にしないと皆様も消化不良だろう。
そして、客人は訪れる。
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
「ん……!?ここは?」
起きて直ぐに自身の異変に気づいた男。そして現れたのは着物姿の女。
取り敢えず敵意は感じないし、着いていくことにする……。
「なんて出来るかあ!」
前を歩いていた女がビクリと肩を震わせながら驚く。突然の大声に驚くのは仕方の無いことだが……
私は今急いでいるのだ。これに構ってやる暇なんてないし、そもそもここはどこだ。
「先に名前を伺っても?」
敵が私を誘拐した確率は限りなく低い。周りには護衛をつけておいたし、重臣たちの包囲網を突破できるとはとても。それなら味方からの裏切りか?確かにあれだけの大軍を率いていれば一人二人忠義を尽くさないものが出てもおかしくは無いが、私をどこかへ連れていくほどの裏切り者が出たというのか?それは明らかにおかしすぎる。どういう事だ……?どういう……
「お客様ー、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「……だから……して……すると……の……は……」
これはダメだ。完全に自分の世界に入ってしまってる。私は取り敢えずこの男を座敷に座らせて水を一杯目の前に出す。すると、男は反射的な反応からなのか何なのか『ありがとう』と述べてから水を一息で飲み干した。
すると、男は目を丸くして少し……ほんの少しだけ水を吐き出すが意地なのかなんなのか喉に押し込む。
「……はぁ!……なんだこれは?水には変わりないが格段に美味く、冷たい……」
男を思考の波から引っ張り出すことに成功した彩は男の前で一礼をしていつもの言葉を発する。
「ようこそ『戦国レストラン[もののふ亭]』へ。店主を務めさせていただいております、山城 彩やまぎ あやと申します。以後お見知り置きを。さて、お客様のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
男は、『徳川秀忠だ』と名乗った。
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「つまり、これが注文書なのだな?」
「そういう事です」
彩による説明を受ける秀忠はもう既に悩みを捨て去ったような顔をしているが、わざと気にしないで置く。何かと急いでいたから『ここは夢の世界だから時間は動かない』と言ったところこの様子だ。
彩からすれば既に予想が着いているのだが。
「うーん、迷うな。折角だし彩殿の言う『夢の世界』だと言うことを信じて思いっきり食うとするか!」
そこから秀忠は注文をしまくった。本当に。ここ最近で彩も1番楽しい料理作りであった。
秀忠の注文は『ラーメン』『天ぷら』『刺身』の3つとその他小皿。
所狭しと並ぶ小皿大皿に秀忠は心躍らせて次々に完食をしていく。何故かここに来る武将たちは『毒』の存在を疑ったりなどしない。いつかの時に来た武将に何故毒を疑わないのか、と尋ねたところ『ここは夢だから、自分に不都合なことなど起こるはずがない』と返した。
他の人に聞いたこともあったのだが全員が全員似たり寄ったりの返答だったので彩も質問するのを辞めた。武将からしたらもののふ亭はディ〇ニーランドのようなものなのかもしれない。
彩から見て、それぞれの料理を食べた時の秀忠の反応は実に面白く感じた。
皆武将というのはひと口食べた後に『これ美味い』『この○○はどこのものだ』なんて聞いてくるものなのだが、秀忠は一つ一つの皿を食べ終わった後に感想を言ってくる。
刺身を食べた時は『故郷で採れる刺身とは全く違う。例えばあの魚は恐らくシビウオなのだろうが、あれ程美味しく調理されたものは食べたことがない、そもそもシビウオ(死日魚)は縁起の悪い魚なので、調理人が捌こうとしない』と、
ラーメンを食べた時は『私が知ってるこの形状の食べ物全く違う食感。うどんよりかは麺が細いが、素麺とは違う。』と、
こんなことを白米を頬張りながらぺちゃくちゃと喋ってくれる。こちらは褒められてるのでもちろん悪い気はしない。
更に、秀忠の話は中々興味深いものだった。まぐろを戦国の魚職人が捌くということはほぼ無いらしく、鯉や鯛が魚としては最高食材なんだとか。
……と、そんな雑談をしていると1時間ほどかけて秀忠は料理を完食した。中々いい食いっぷりだった。当の本人は腹をさすって苦しいと言っているが。
秀忠が彩に向かって一礼をする。
「この度は料理を振舞ってくれて、感謝します。『夢の世界』と言ってもお礼くらいは言わないと気が済みませんので。」
「いえいえ」
「これで、私胸を張って父上の前で遅刻をすることができます!心残りはありませぬ!」
その言葉を最後に彼はもののふ亭から姿を消した。
『遅刻』。1600年に起こった関ヶ原の戦いで秀忠の父、徳川家康は石田三成を攻めるために東海道と中山道に別れて行動をしていた。中山道側を38000人で行軍していた秀忠は道の途中にある、敵の真田昌幸の居城、上田城を落とすことを決める。関ヶ原の戦いは彼にとって初陣だった。
張り切って城を落とし始めるが、何日経っても落とせない。すると、父からこんな手紙を届いたことを知る。『秀忠よ!上田城攻めはやはり良い!関ヶ原に急ぎ来い!』。
ここらで秀忠はもののふ亭に招かれたのだろう。だからどうやっても遅刻するならこの場を楽しもうとはっちゃけた。
こうして、徳川秀忠は関ヶ原の戦い決着から5日後に関ヶ原に到着し、『世紀の大遅参』として後世に名を残したのだった。