最初の依頼人は老人3
「これだけですか?」
カフェで物語を読み終わった田中 栄太は視線をあげて俺に聞いた。
「それだけです」
俺は自信のなさを気取られないように努めて冷静に話した。
「400文字ぴったりに納めることに拘ったのなら、倍の値段にしても構わないのだよ?」
田中 栄太は言葉を選びながら未完成だろうというニュアンスを俺に向けてくる。そしてそれは事実だった。
「例え、倍の値段になったとしても、このお話はこれが最善なのです」
果たして伝わるだろうか。俺は早鐘のように打つ心臓をどうにか意識しないようにして言葉を紡ぐ。
田中 栄太は大きくため息をついて
「残念だ」
と言った。あぁ、失敗したか。俺は次に来るクレームの言葉を覚悟した。
「君が明確に答えのある物語をつくって来てくれたなら、私はそれがどんなに素晴らしいものでもケチをつけてやるつもりだった。若造が知ったような口を利くなと説教する用意もあった。そして、正規料金を支払い、君に詫びのケーキを追加注文して立ち去るつもりだったんだ」
やれやれ参ったと体全体で田中 栄太は表現した。肩をすくめ首をふる。落胆したその様子にどんどん俺の心が追い詰められていく。
「まさか悩みをただ、隠喩で表現しただけとはね。この丸いおにぎりが紡ぐ言葉は読み手の中にしかないと、そう言いたいのだろう?」
田中 栄太の言葉を首肯しながら、俺は意図が正しく伝わっていたことに安堵した。しかし、ここまでの説明では残念だと言われたことの説明がつかない。黙って田中 栄太が続ける言葉を待つ。
「私はね、もう誰かと腹を割って話をするには歳を取りすぎている。だから刹那的に真剣に話を聞いてくれるなら誰でも良かった。料金を支払えば後腐れないだろうと考えた」
そんなものなのかといまいち共感できないまま、俺は気の抜けたような返事をしてしまった。
「そうですか」
こちらとしても料金を支払ってくれるのなら特になんの問題もない。
「だから本当に残念だ。私は鳴海君、君に興味が出てしまった」
「と、いいますと?」
話の展開についていけない俺が田中 栄太に聞く。
「あとどのくらい生きていられるのかわからないが、君の友人になりたい」
田中 栄太はまるで清水の舞台から飛び降りようとする人の顔をしてそう言った。
「そのぐらい容易いことです。よろしくお願いします」
表情の割りに出てきた要求が容易くて拍子抜けする俺の顔を見て田中 栄太が豪快に笑った。