最初の依頼人は老人
週末、早速俺はホームページを作成した。
黒地に白文字で
「あなただけの物語売ります」
でかでかとその言葉を表示する。
その下に注意書として”1文字1円~、メールのみでは契約成立しません。こちらの住所に出向ける方、土日のみ。”とやや小さな文字サイズの文章を付け加え、その下にメールボックスをおいた。
本当はメールのみでの交渉の方が俺にとっても都合が良い。ただ、顔が見えない分、依頼人の情報を得られなくなるのを避けたかった。依頼人がどんな人物でどんな考えを持っているのか。そして、どんな物語を必要としているのかは事前調査をなくしては書けない。
また、それだけの労力を思えば原稿用紙1枚で400円というのは安すぎる。だが、文章を買う経験をしてきてない人にとって原稿用紙1枚に400円支払うというのはある種のハードルの高さがあるだろう。仮に文庫本1冊分の依頼なら10万円だ。これを安いととるか高いととるか。この価格を適切あるいは安いと思う人だけを対象にしたかった。
ホームページ内に法律関係の細々した情報や注意書、自己紹介等をページに配置してとりあえず体裁は整った。
あとはこれをどうやって宣伝するかだが……。
試行錯誤をしながら、ようやく1件目の依頼に漕ぎ着けられたのは、立ち上げてから1年経った春だった。
「はじめまして。鳴海 創と申します。ご依頼内容は、お孫さんへの童話を書いて欲しいとの事ですが……」
俺は今、近所のカフェで依頼人に会っている。
依頼人、田中 栄太は目もとに笑い皺が深く刻まれた男性の老人だ。ポロシャツにズボンという出で立ちで、趣味の良い帽子を被っている。一つ一つの所作が丁寧なので、育ちがいいのだろうなと感じた。
「もう、10才になるんだが自分に自信のない子でね。いろんな本やオモチャや体験をさせてみたのだが、どうしても他人の持っている物の方が羨ましくてたまらないらしい。どうにか自分の手元にあるもので満足できる物語はないだろうか」
一気にそう言い終えた田中 栄太は湯気のたつコーヒーカップを持ち上げ香りを楽しんだのち、ごくごくと飲んだ。
「その頃の年齢は周りが気になるものですからね」
俺は同意してアイスティーを飲む。
「ところで、田中 栄太さん、お孫さんの生年月日はいつですか?」
「あぁ、いつだったかな……それがなにか物語作りに関係しますか?」
田中 栄太が質問を返す。
「はい。物語を読ませる対象年齢が本当に10才で良いのかの確認です」
俺は依頼人をじっと見つめる。生まれ年は答えられないにしても、これほどまでに大切に思っている孫の誕生日を言えないものだろうか?俺はこの老人が自分に向けた物語を欲しているのに、孫のためだと言っているのではないかと考えたのだった。だが、このまま10歳に向けて欲しいと言い切るならそれはそれで良い。
「……あぁ、10歳に向けたものにしてくれ」
田中 栄太は俺の考えを見透かしたような表情でそう言った。
「何か、自信を失うような出来事があったのですか?」
作品の方向性を決めるために少し突っ込んだ話をする。
「あぁ、初恋に破れたのがちょうどそのころだ」
過去を懐かしむような表情で田中 栄太が答えた。
「それでは、400文字程度で頼む」
俺の分までカフェ代を支払おうとする田中 太郎を制して割り勘にした。
「それでは鳴海君が損してしまうのではないかね?」
心配そうに聞かれ、
「今回は、大丈夫です。物語をお渡しした時にまだそのお気持ちがあればよろしくお願いします」
俺は丁寧に挨拶をしてカフェを後にした。本格的にするなら事務所も構えた方がいいだろうかと考えながら。
家に帰って早速構想に入った。
依頼人の他人が羨ましくてたまらないというのは恐らく、|初恋に破れた《好きな人に認めてもらえなかった》からだろう。その気持ちを認めながら前を向けるような童話を作ろう。1人目の依頼ということもあって、俺は気合いが入っていた。紙に軽く構想を書き出し、ミントのラムネを一粒口に放り込む。その清涼感で鳴海 創としての価値観や考えを彼方へと飛ばした。代わりに丑弌 論咲としての自分を中心に据える。ノートパソコンのスイッチをいれ、一気に文字を入力していく。