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丑弌 論咲3

「論咲、大丈夫ですか?」

 ヒメの顔が俺の視界いっぱいに広がる。灰色の光彩がうっとりするほど綺麗だ。

「ベッドに寝た記憶はないぞ」

 むしろ、田中 栄太との会話が途中で終わっているような気がする。

「まぁ、人間。ろくに食べず、ろくに休まずに活動しつづけたら、一つの結果にたどり着くんじゃないですか?」

 ヒメはあきれたような口調で続けた。

「つまり、倒れたんです。論咲」


 早く戻らなくてはと思うがどうすれば良いのだろう。

「どうしたら良いんだ?」

 俺の言葉に姫がニッコリと微笑んだ。

「いっそのこと、ここで暮らしませんか?」

 答えになってない答えが返ってきて俺は間抜けな声をあげた。

「は?」


「悪い提案じゃないでしょう?いくらでも人に言葉を届けられるし、相手の反応に傷つくこともない。神様は論咲の能力を買っているし、理想的な姿でいられる」

 ヒメは自分の指を指折り数え言った。ときどき、俺の反応を見るようにちらりと視線を向けながら。

「現実世界での俺の身体はどうなるんだ?」

 まるでファンタジー作品の主人公になったような疑問が口をついてでる。

「まぁ、ごはんを食べたり排泄したりは必要なので……夢と現実が逆転すると思えば良いですよ。あぁ、でも仕事を続けるのは難しいかも……いや、セーブしながらなら大丈夫かな?」

 唇に人差し指の腹を当てて思案しながらヒメが言う。その具体的な説明に俺が口を挟んだ。

「人間から、この世界の住人になった人はいるのか?」

「はい、目の前に」

 前下がりのボブをサラリと揺らしてヒメが微笑んだ。

「聞きます?私と神様の出会いの話」

 俺の返事も待たずにヒメは喋りつづける。

「今、論咲のいる世界って評価されないと呼吸できないでしょう?評価されるために努力してもしても、更に上があって。私は窒息寸前だった」

 辛く苦しそうな表情が和らぎ、とろけるような笑顔を見せるヒメ。

「ある日夢に表れた神様が、身の回りのことを手伝ってほしいって。沢山の人が出す評価基準を満たすよりは楽な暮らしになるだろうからって。最初は半信半疑だったんですけどね。神様のお手伝いをして、”よく頑張ったね”って言われるたびにもっとがんばろうって思えて。初めてだったんです。息をするためじゃなく、人に喜んでもらいたくて努力したの。心が満たされていくのを感じました」

 ヒメの言葉に、俺は頷く。ついさっき自覚した理屈と似た理屈を言うヒメ。きっとオレなんかよりも沢山努力して生きてきたのだろう。人に喜ばれたいだけだと思い込んでいた俺とは違い、ヒメはきちんと自分の心を分析できていると思う。評価されないと呼吸ができないという言葉は俺の中に水が染み込むみたいに何の抵抗もなく入ってきた。


「その神様が、論咲を仲間に入れたいと言った時は正直、嫉妬しましたけどね」

 いたずらっぽく笑うヒメ。それで、あれほどそっけなかったのかと俺の中でも納得がいった。

「でも、一緒に暮らすなら仲良くやりましょう」とヒメは手を差し出してきた。


 俺はその手を取らない。

「まだ、あと、2作品書かないといけないから」

 イジメとジョーカーの売上が伸びるような話。この二つを仕上げることからは逃げ出したくなかった。


「うーん、少なくとも1つはいらなさそうですけど?」

 ヒメが足元を指差す。そこにはテレビ画面のようにカフェ、ジョーカーの様子が映し出されていた。大森 朱音と大森 誠がなにやら真剣な顔で向かい合い話し合っている。


「あの人だけ、何の傷も負わないなんて許せるか」

 大森 誠が机をドンと叩いた。

「だからって、この店を潰したところで」

 その音に顔をしかめながら大森 朱音が言葉を紡ぐ。

「他にあの人に僕らの気持ちをわからせる方法があるか?」

 感情を剥き出しにした大森 誠の声は今にも何かを破壊してしまいそうだった。

「鳴海さんなら何て言うだろう?」

 フイッと大森 誠から視線を外して大森 朱音は言った。

「はっ?あの平和ボケは”許したら良い”って宣うだろうさ。ご都合主義の、許す話ばかり書いて、怒りや憎しみから目をそらして生き続けてるんだ」

 攻撃的な言葉に反して泣きそうな顔の大森 誠。

「私は鳴海さんの書く許しは目をそらしたからって書けるもんじゃないと思うけどね」

 大森 朱音が静かに反論し、自分の作品が評価されたことに思わず浮足立った。すぐに今、気にするべきはそこではないと思い直す。

「今は創さんの話してるんじゃないんだよ。それにまだ学生の朱音になにが分かる?……この店を潰して母さんに借金を被せる話してるんだ」

 大森 誠は強引に話を戻した。

「創さんに頼んだ物語もキャンセルするの?読みたかったなぁ……」

 大森 朱音は大森 誠の言葉を無視してそう続けた。


「待てって」

 目を開いて最初に見えたのは茶色いテーブルの角。視線を動かすといつも座っているカウンターが見えた。どうやらカフェでそのまま眠りこけていたらしい。身体を起こしあたりを見回した。スマホを取りだして日付を確認する。23時59分。幸い日付は変わっていないと安堵のため息をついた瞬間に日付が変わった。


「えぇっと……」

 思ったよりかすれた声が出た。ぼーっとした頭をはっきりさせようとあたりを見回していると「おはようございます」と背中から声がした。ついたてを挟んだ奥から大森 朱音が顔を出し、遅れて大森 誠も顔を出した。


「田中さんから、鳴海くんが寝てしまったと聞いたときはびっくりしました。叩いても揺すっても起きないんですもん。イビキかいてるから寝てるのは分かったんですが……。体調はいかかですか?」

 大森 朱音が心配そうに眉をさげた。

「大丈夫、迷惑かけて申し訳ない……田中さんは?」

 俺は頭を下げて謝った。

「30分ほど様子を見て帰ったよ。同居している孫が心配だからって……何かあったら連絡してくれって電話番号渡されたけど、創さん、どう考えても寝てるようにしか見えなかったから特には連絡してない」

 事務的なトーンで大森 誠が答えた。

「ありがとう」

 俺はすぐさま田中 栄太に「話の途中で寝てしまい申し訳ありません」とメールを送る。間をおかず、「体調悪いのに無理させて申し訳なかった」と返信が来た。スマホをしまった俺は、大森 誠をまっすぐ見据えて切り出した。

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