提案に乗ってみる1
「こんにちは。マスター、神様よりお世話を申し付けられました。殿湯 ヒメと申します」
と、黒のタートルネックにノースリーブのトップス。ぴったりとしたインディゴブルーのスキニージーンズを履いた女性が恭しく頭を下げて名乗った。
動きに合わせてはらりと落ちたサイドの髪は前下がりのおかっぱと言うのだろうか? ボブ? そんな髪型だ。
「いや、俺、宗教勧誘とかそういうのいいから。必要ないから。金も持ってないし。旨味少ないよ。ってか、多分、無いよ」
形だけペコリと頭を下げてヒメと名乗る女性に背を向けた。すぐに目の前の景色が真っ白なのに気づく。
「はっ? 何コレ」
ぐるりと辺りを見回してみる。一面どこにも継ぎ目のないただの白。そのままの勢いで上と下も確認して、確認しなければ良かったと思った。
空間と地面の継ぎ目というか、境もない。あなたは今、空に浮いてますとか言われたらうっかり信じそうだ。1歩踏み出したら落下しますよ……とか。自分の想像にゾッとして踏み出そうとした足を戻した。この状況を受け入れ、動じてなさそうなヒメに向き直る。薄い灰色の瞳がこちらを見つめ、
「マスター?」
と首をかしげた。
「ココ、どこなんだ?」
「マスターと私だけがいる世界です」
何を当たり前の事を問うのかと言いたげな表情でヒメが答えた。
「マスターと私だけ? じゃあ、このイケメンは誰だよ」
さっきから棒立ちで俺の横に立っている男を指差す。俺に指差されても身動ぎもしないのは、よほどボーッとしているのからなのか。
「マスターです」
ポカンとした、何を問われているのかわからないと言った表情で、ヒメが言った。
「……わかった。ヒメちゃんには、マスターが2人いるんだな?」
俺は腕を組んでそう聞き返し、情報を整理しようとする。
「いいえ。マスターは1人です」
それを即座にヒメが否定した。
「えっと。わかった。俺の名前は……」
言いかけて、名前が思い出せないことに気づいた。じわりと嫌な汗をかく。
「マスターの名前は丑弌 論咲様です」
ヒメが継いでくれた言葉に安堵する。言われてみればそんな名前で生活していたような気がする。
「ありがとう。で、このイケメンの名前は?」
ようやく話が前に進みそうな気配に嬉しくなりながらヒメに問いかけた。
「丑弌 論咲様です」
至極当然といった様子でヒメが答えた。
「……は?」
女性にこんな言葉は使いたくないが、馬鹿じゃないだろうか。お話にならない。俺はここにいて、その俺が指差している人物が俺と同じ名前のはずがないのに。
「えっと、同姓同名ってことかな?」
あり得ないとは言えない可能性の話を聞く。
「言いましたよね? マスターは1人です」
イラッとした様子でヒメが答えた。
「マスターはひとり。マスターの名前は丑弌 論咲様です」
そう言われても、俺からイケメンが見える以上は1人じゃないわけで。
ヒメはどこから出したのか大きな姿見を持ってきて、
「見てください」
と、イケメンの前に鏡をおいた。
質問してるのはこちらにいる俺なのに。なんて失礼な行動するんだろうか。そう憤慨しながらも、俺はイケメンの後ろから鏡を覗いた。