第三話 魔石と魔法
猪の魔物――ビッグボアと言うらしい――との戦いを終えた俺達は、拠点となる村に戻って来た。
村と言っても、ゴブリン達が手ずから作り上げた村というわけじゃない。
人が放棄し、森に飲み込まれた廃屋の群れ……そこにゴブリンが住み着き、補修とは名ばかりの継ぎ接ぎを施しながら出来上がったのが、この村だ。
「カエッテキタ!」
「メシダ! メシダ!」
ビッグボアを小分けにした肉塊を運んで帰って来た俺達を、ゴブリンのダミ声による歓声が出迎える。
狩りに出ないゴブリンは、生まれて数日の赤子を除けば全て雌だ。
雌に喜ばれ、生き残ったゴブリンの雄の多くが鼻息を荒くしてるけど……俺は前世の感覚を引きずってるからか、全くそういう気になれない。何なら、雄と雌の見分けもほとんど付かないくらいだ。
一応、生まれてしばらく経ったら……というか、何度か出産を重ねたゴブリンなら、胸が多少膨らんでるから分かるんだけど……まあ、だからなんだという話で。
「お前達、静まれ! まずは長からだ」
そんなことを考えていると、戦士が一喝して騒がしいゴブリン達を黙らせた。
途端にピタリと止む歓声。同時に、村の奥から一匹のゴブリンがやって来た。
「戦士よ、よくぞ戻った。首尾は上々のようじゃな」
杖を手に、ゆったりとした足取りで現れたのは、この村の長。
生きた歳月の長さを感じさせる皺だらけの顔を喜色に染めた老ゴブリンを見て、戦士は恭しくその場に膝を突く。
「ええ、今日はかなり上質な魔石が手に入りました。おい、お前」
「はい」
呼ばれた俺は、長の前に進み出ると、ずっと大事に抱えていたものを差し出した。
黒光りする、大きな石のようなもの――魔物の体内で生成される魔力の結晶、魔石だ。
「おお、これは素晴らしい。では、早速……」
それを見るや、長はもう待ちきれないとばかりに掴み取り、口の中へ放り込む。
ビッグボアから取り出して、そのまま持ち込んだ代物だ。多少は落としたとはいえ、まだ血糊や肉片がついていようがお構い無しな態度に思うところがないでもないが、そうなってしまうのも無理はない。
「お、おお……!」
魔石を喰った途端、長の体を漆黒の光が包み込み、歓喜の声が上がる。
痩せ細った手足に活力が漲り、皺の寄った肌が瑞々しさを取り戻していく。
若返ったと、そう表現しても差し支えない変化の大きさに、俺はもはや声も出なかった。
「これは……素晴らしい。体中から魔力が溢れておる。この分なら、また一年は生き永らえることが出来るはずじゃ」
掌を開いては閉じ、その具合を確かめながら、長は呟く。
そう、魔物は、他の魔物からとれる魔石を喰らうことで、その力の一端を吸収し、自らのものとすることが出来る。嘘か本当か、寿命も延びるらしい。
寿命については確かめようもないけど、力については間違いなく上がると確信が持てる。なぜなら……。
「皆の者、今日は宴じゃ! 存分に喰え!」
その一言と共に、長が手にした杖を掲げ――刹那。
先端から炎が吹き上がり、並べられたビッグボアの肉塊に降り注ぐ。
再び、沸き上がる歓声。
肉が焼ける香ばしい匂いと、油が弾ける小気味良い音が響き、どこからともなく聞こえてくる腹の虫が合唱を奏でる。
そんな光景を、俺はただ呆然と見詰めていた。
「やっぱり、何度見ても凄いな……」
これまでも何度か目にした光景ではあるけど、それでも目の前で引き起こされたその現象には、畏怖を覚えずにはいられない。
魔法。
魔物が、その体内に宿る魔力を用いて起こす、奇跡の御業。
この魔法があるからこそ、この老ゴブリンは老いてなお村の長という地位に居座れるし、戦士もまたあんな粗末な石槍でビッグボアを仕留められる。
とはいえ、魔物なら誰でも扱えるかというと、もちろんそんなことはない。
大前提として、魔法を使うには相応の魔力量が必要だし、生まれて数ヶ月程度のゴブリンにそれほどの魔力は宿ってない。
そんな魔力量を増やす方法は、ただ一つ。
他の魔物を喰らうしかない。
「ニク! ニク!」
「マテ、ソレハオレノダ!」
「アチ! アチ!」
だから、こんな大物を仕留めた日には、それはもう激しい肉の奪い合いが起こる。
本当は魔石を喰うのが一番良いんだけど、獲物からとれる魔石は長が持っていくし、狩りの途中で死んだ仲間の魔石さえ、戦士が全て喰ってしまうので、俺達みたいな下っ端ゴブリンにはその一欠片すら回って来ない。
なので仕方なく、こうした魔物肉を食べて、少しでも生き残るための力を付けようと足掻いているのだ。
炎に巻かれていようが、生焼けだろうが、黒焦げだろうが、もはや関係なし。とにかく胃袋に押し込んで、無理矢理にでも飲み下す。
「ン? オマエハクワナイノカ?」
「ああ、俺はこんだけでいいよ」
そんな、宴とは名ばかりの醜い争いから、俺は最低限の肉片だけを持って抜け出した。
同年代のゴブリンからは訝しがられたが、ボヤボヤしているとすぐに肉が無くなってしまう以上、変人なぞに構っている余裕はないんだろう。すぐに興味を失い、食事に戻っていく。
「……ここなら、いいか」
宴の場から離れ、辿り着いたのは建物の陰。
そこで懐から取り出したのは、小さな魔石。
本来なら全て戦士に差し出すべき、仲間の死体から剥ぎ取ったものの一部だ。
「バレてないよな……?」
少しだけ挙動不審になりながら、小さく呟く。
ゴブリンは、人型の癖に滅茶苦茶繁殖力が高く、その戦い方も相まって、毎日毎日産まれては死に、産まれては死にを繰り返している。そんな中、仲間の数を正確に把握しているゴブリンなんていない。当然、今日死んだ仲間の数も。
だから、こうして一つ二つ魔石をくすねたところで、バレるはずはない……けど、バレたら粛清だと思うと、どうしても無駄な警戒心が募って仕方ない。
「ええい、今更ビビってどうする! これくらい、生き残るためには必要なリスクだ」
ゴブリンに生まれ変わって一ヶ月、戦士の下で狩りの毎日だったけど、ハッキリ言って命がいくつあっても足りない。
突撃志向の戦術は改善する気配もなく、むしろ自分が喰らう魔石のため、わざと犠牲を増やしている節すらある。
生き残るためには必要なことなんだろうけど、巻き込まれる側としては堪ったもんじゃない。どうにかして力を付けて、自力で魔物を狩れるようにならないと。
「んっ、ぐ……!」
意を決した俺は、雑な処理で肉片がこびりついたままのそれを、ひと思いに飲み込んだ。
どうせクソ不味いんだろうと思いきや、意外と悪くない味わいにほっとする一方、味覚は完全にゴブリンのそれになってしまっていることにちょっとばかりショックを受ける。
「お……?」
変化は、一瞬。
体の奥底から力が溢れ、未知の感覚が全身を満たす。
外見はあまり変わってないようだけど、確かに俺は“強くなった”のだと、理屈抜きで理解出来る。
「とはいえ、まだあいつには遠く及ばないよな」
俺が喰ったのは、たかがゴブリンの魔石が一つだけ。
その程度、戦士は日常的に食べているし、とてもじゃないが同じことが出来るとは思えない。
あいつを越えるには、それこそビッグボア以上の大物の魔石が必要だ。
「魔物に殺されないためにあいつ以上の強さが必要なのに、あいつ以上になるには魔物を殺せるくらい強くならなきゃならない……ままならないな、ほんと」
それでも、やるしかない。
身体スペックでも、魔力でも勝てないなら、俺があいつに勝てる部分はなんだ?
「今、この村にない新しい武器と戦術を作り上げる。それしかないな」
俺には、前世の記憶がある。
にわか知識が大半とはいえ、元々物作りは得意だったし、石斧と石槍しか知らないゴブリン達よりはずっと良い武器が作れるはずだ。
武器がまともになれば、多少のスペック差はひっくり返る。それで魔物を狩って、狩って。
魔石を喰って、喰って、強くなって、それで……。
「絶対に、この村の長まで登りつめてやる!」
生き延びるためには、一人でいるよりも群れの中にいた方が安全なのは間違いない。
でも、普段の生活はそれで良くても、いざ群れが襲われるなどした時、下っ端ゴブリンのままでは殿となって長を逃がす役目をやらされてしまう。
逆に言えば、長にさえなれば、俺はただ群れの中に属するのみならず、群れによって守られる立場になれるわけだ。これは大きい。
「待ってろよ、この野郎」
炎を巻き上げ、騒ぐゴブリン達を睥睨して楽しげに笑う老ゴブリンを見ながら、俺は密かにそう呟くのだった。




