第二話 転生と決意
俺の名前は、成宮 海斗。どこにでもいる、普通の高校生だ。
成績はまぁ、良い方だった。有名大学を狙えるとかそういうレベルじゃなく、あくまで俺の通っていた高校の中ではって話。
地頭の良さより手先の器用さやセンスの方が大事な工業高校だから、それほど自慢になるかというと微妙なラインだ。
「ねえ海斗、今日も勉強教えて?」
それでも、成績が良い部類なのは間違いないからか、こうやって教えてくれって頼んでくる奴もちらほらいる。
顔を上げれば、どうしても男所帯になりがちな工業高にあって珍しい、整った顔立ちの女子生徒が、顔の前で小さく手を合わせて拝んでいた。
「零羅か。まあ、別に教えるくらい構わないけど……いつも言ってるが、なぜ俺に?」
教えること自体は吝かでもないんだが、俺より成績の良い奴もいる中で、なぜ態々俺を選ぶのか。
そう尋ねれば、「だって」の一言と共に、決まった台詞が返ってくる。
「海斗の説明が一番分かりやすいし。それにほら、私達それなりに付き合い長いから、頼み事しやすいし?」
「お前の頼みなら断る奴もいないだろうに……まあいいや。それで、どこが分からないって?」
「全部!」
「お、お前な……」
はあ、と盛大に溜息を溢せば、「てへっ」とわざとらしく舌を出して誤魔化そうとする。
この女子……岡本 零羅とは、中学からの付き合いだ。幼馴染みと言えるかは怪しいけど、気心の知れた仲というのは確かだろう。
見た目は良いのに頭は悪く、普通科高校じゃなくこんな工業高に通う理由も、ここ以外に受かりそうな学校が近場で無かったからなんだと公言する、明るいバカ。
そんな取っ付きやすい性格もあって人気は高く、当然俺の元には……。
「海斗ー! 俺も勉強教えてくれ!」
「俺も頼むわ!」
こんな感じで、少しでも零羅とお近づきになろうと、男子共が群がって来る。
一応、彼らの名誉のために言っておけば、真面目に勉強もしてるんだけど、中には俺と大して成績が変わらない奴も混じってるんだよなぁ……。
「分かった分かった、纏めて教えるから、机くっ付けろ」
まあ、そうは言っても俺自身、家に帰って一人真面目に勉強するかと言われれば若干怪しい部分はあるから、こうやって人に教えるのは復習になってちょうどいい。
何事も、一人よりみんなでやった方が楽しいし、楽しんだ方が物覚えが良くなるからな。
案外こいつらも、同じようなことを考えてここに集まってるのかもしれない。
「海斗先生! ここ分かりません!」
「どれどれ……って、これ昨日教えたとこだろうが!」
「あれ、そうだっけ?」
「ったく、もう一回説明するからちゃんと覚えろよ? ここは……」
そんな感じで、時々他愛ない雑談を交えながら勉強する、日常の一コマ。
テストになれば誰それが何点だった、誰それが追試になって小遣い減らされたと嘆き合って、バカにし合って、笑い合って……そんな、なんの変哲もない一日だった。
「ねえ海斗、海斗は将来どんなことしたいの?」
「んー?」
その日の帰り道、家が近いからと、いつものように零羅と一緒に帰る道すがら、そんなことを尋ねられた。
急にどうしたのかと視線を向ければ、零羅は慌てた様子で手をパタパタさせる。
「いやほら、海斗って勉強出来るし、なろうと思えば何にでもなれそうだなー、なんて」
「何にでもは無理だろ……でもそうだな、安定した公務員にでもなって、細々と末長く生きたいところだな」
「何それ、男ならもっとこう、ドカーンと一発当ててやる! みたいな野望ないの?」
「ないない、普通でいいよ、普通で」
特に、将来の夢があるわけでもない。
とはいえ、食いっぱぐれるのは嫌だし、病気だの怪我だので苦しんで死ぬのも嫌だし、出来るだけ健康なまま老衰で死にたい。
なんてことを素直に話せば、零羅からは「つまんなーい」との一言。いや、どうしろと?
「でも、その方が海斗らしいのかもね。こう、平凡な幸せ? みたいな?」
「人生、それが一番だよ」
波乱万丈な人生なんて、物語の中だから面白いんだ。自分がそうありたいとは思わない。
「ふーん。それじゃあ、さ……海斗もそのうち、お嫁さん見付けて、結婚するの?」
「は? いや、まあ、そのうちそうなる……と、いいな? って、なんで急にこんな話してるんだよ」
なんだか気恥ずかしくなって目を逸らすと、なぜか零羅は俺の意識を繋ぎ止めるかのように手を引いて、その場に立ち止まる。
振り向けば、いつになく緊張した様子で俺を見つめる零羅と目が合い、ドキリと胸が高鳴る。
「いや、その、ね? もし良かったら、海斗……その、私と……!」
何かを必死に伝えようとする零羅に注視していると、ふと、俺の視界が何かを捉えた。
それが何かを認識した瞬間、俺は咄嗟に動き出す。
「危ない!!」
「えっ?」
零羅の体を抱え、その場から飛び退く。
直後、俺達が直前まで立っていた場所のすぐそばにある電柱に、暴走する乗用車が突っ込んできた。
「きゃあああ!?」
激突、悲鳴。
フロントガラスが砕け散る破砕音が響き、俺たちは受け身も取れずに地面を転がる。
「うっ、ぐう……! 大丈夫か? 零羅……」
「わ、私は平気、海斗は?」
「ああ、俺も……」
平気、と言おうとして。
ごぽ、と口から溢れ出た血が、それを妨げた。
あれ? これ、どうなってんだ……?
「い……いやぁぁぁ!! 海斗、海斗ぉ!!」
全身から力が抜け、倒れる俺の体が零羅に抱き止められる。
わけも分からず、何とか状況の把握に務めようと手を動かせば、俺の首筋に、何かの破片が突き刺さっていることにようやく気が付いた。
事故の時に飛んできたんだろうけど……まさか首に刺さるなんて、どんだけツイてないんだよ、俺。
「海斗、しっかりして、海斗!!」
零羅の声が、やけに遠くに聞こえる。
全身の熱が抜け落ち、大切な何かが欠けていくような恐怖に襲われながら、けれど何をすることも出来ない。
……でも。
死にたく、ない。
俺は別に、誰もが応援してくれるような大きな夢や目標があったわけでも、特別やりたいことがあったわけでもない。
それでも、いざこうして死が目の前に迫ると、みっともなく縋りつきたくなる。
「うっ……ぐ、あ……」
震える腕を動かし、首から溢れる血を抑えようと押し付ける。
口から吐きそうになる血を飲み込もうとして、却って苦しみを増していく。
それでも、無駄な足掻きを続ける。続けざるを、得ない。
「お願い、死なないで海斗! 海斗がいなくなったら私、私……!!」
涙をボロボロと溢しながら、零羅がそう訴えかけて来る。
言われるまでもなく、死ぬつもりはないし、いなくなるつもりなんてなかった。
でも、もう、どうしようもない。体は氷みたいに冷たくなって、手足の感覚すらなくなってきた。
「……えっ?」
もう、声も出せない状態で、俺は零羅に手を伸ばす。
何がしたかったのか、自分でもよく分からない。
ただ、いつまでも泣きじゃくる零羅を見て……最期くらい、いつもみたいに笑って欲しかった。
「…………」
「海斗……?」
結局その手は届くことなく、力なく地面に倒れる。
どうしようもない眠気に襲われたように瞼が閉じ、意識が闇に落ちていく。
「海斗……ねえ、海斗……!」
そんな俺が、最後に感じていたのは。
「海斗ぉぉぉ!!」
零羅が掴んだ掌の、温かな体温だけだった。
「ブモッ、オォ……!?」
俺を回想から立ち還らせたのは、全身に浴びせかけられた猪の血液だった。
あれだけの猛威を振るっていた猪が、ただの一瞬で死の一歩手前まで追い詰められ、わけがわからないとばかりに小さく呻き、地面に倒れ伏す。
それを為したのは、巨体を貫く一本の槍。
ゴブリンの戦士が振るう、粗末極まりないそれだった。
「よくやった。次もこの調子で頼むぞ」
自分の背丈より数倍の大きさを誇る猪の体を貫いて見せた戦士は、それがさも当然のことであるかのように軽い口調でそう言った。
それが出来るからこその“戦士”なんだと言われてしまえばそれまでだけど、同じ種族でありながらここまで力の差があるのはやっぱり理不尽だ。
「何をしている、さっさと解体を済ませろ」
「……はい」
とはいえ、そんなことで逆らってどうなるわけでもない。
素直に頷き、俺は瀕死の猪の元へ向かう。
力なく横たわり、もはや暴れることも、起き上がることも出来ないでいる巨大猪。
その瞳に浮かぶのは、絶望でも、諦観でもない。ただただ、諦めきれない生への執着だった。
「お前も、生きたいんだな」
そう呟き、俺は石器製のナイフを取り出す。
……一度死んだ俺は、何の因果か魔物が跋扈するこの森で、ゴブリンとして生まれ変わった。
ファンタジーの定番雑魚モンスターみたいなゴブリンは、この場所でもさほどそのイメージと違いはない。
敵と相対すれば、数の暴力で弱らせて、たまにいる強い個体がトドメを刺す。その間にどれだけの数の仲間が死のうが関係ない。そんな戦いを繰り返しては、日々の糧を得る生活。
前世よりもずっと“死”が身近な弱肉強食のこの世界で、俺はこれまで何度も自分が一度死んだ時の光景を思い出し……その度に、何度も決意してきた。
「でも、悪いな……俺も同じなんだ」
たとえ人間じゃなくなったとしても、関係ない。
もう二度と、死ぬのはごめんだ。
「何がなんでも、生き抜いてやる。そのために……俺の糧になりやがれ!!」
あの戦士と同じ。いや、それ以上に強くなって。
この血みどろの異世界で、最後まで生き足掻いてやる!!
その覚悟と共に、俺はナイフを振り下ろした。