第十八話 蠢く悪鬼達
カイトが村の防備を着々と押し進めている中、洞窟のゴブリン達にも当然ながら動きがあった。
洞窟の奥、光の届かない深淵の闇の中、ゴブリン達の爛々と輝く眼光のみが火の玉のように無数に動き回り、ギャアギャアと耳障りな声を響かせながら武器の手入れを行う様は、まるで悪魔達による邪悪な儀式のよう。
見るからに殺気立った化け物達の不気味な舞いは、もし何の覚悟もなく一般人が目にしてしまえば、即座に悲鳴を上げて腰を抜かしてしまうことだろう。
しかし、そんな彼らゴブリン達を包む熱気の正体は、決してカイト達のように一致団結して戦に臨もう、という組織的なものではなく……一体どのゴブリンが戦に参加し、そんな彼らを誰が率いて、かの村を攻め滅ぼすのか――その一点を決めるための、いわば内輪揉めから来るいざこざである。そんなことに、早一週間ほども費やしていた。
なぜそのような事態になっているかと言えば、ゴブリン同士の闘争というのは、ゴブリンにとって自らの位を高める最大のチャンスだからだ。
たとえ今は弱くとも、運良く生き残り魔石にありつければ、戦士となって村の中でも重宝されるようになり、日々得られる狩りの成果に対する分け前がぐっと増える。
そしてそれは、既に力を得た戦士にとっても同様だ。
ここら一帯で自分達以外に最も力を付けたゴブリンの群れが相手ともなれば、そこらの魔物よりも強力に育った個体が何体もいる可能性が高く、そこから得られる魔石は確実に自分の力を一段上の次元へと引き上げてくれる。そんな戦に参加したがらない戦士などいるはずがない。
なまじ規模が大きくなり、自然と“複数の”戦士を擁することになった群れであれば、猶更。
ライバルに遅れを取らないため、中小規模の群れよりもよほど苛烈に、戦士たちは魔石を追い求めている。
「連中は俺が仕留める、誰にも譲るつもりはない」
カイト達と一度は対峙し、あと一歩のところで逃げられた水の戦士もまた、カイト達の力を認めるが故に、それを自らの手で討ち取りたいと考えていた。
元々、仲間内でどの群れをどの戦士が中心となって攻め滅ぼすかという話し合いがもたれた際、ゴブリンメイジ――ハロルドの村を攻めるのは水の戦士ということで、一度は決定したのだ。
今更それを覆すつもりはないし、当然ながら雑兵以外の、戦士階級のゴブリンなど連れていくつもりはなかった。
「だがよ、ついこの前襲撃に来た連中を仕留め損なったんだろ? 本当にお前で大丈夫かぁ?」
しかし、先日の迎撃戦での顛末が、一度は決まったそれを揺らがせていた。
早速とばかりに難癖をつけているのは、オーガと見紛うばかりの巨漢のゴブリン。ひたすらに筋力を増加させる身体強化の魔法を得意とする、怪力の戦士だ。
「何なら、俺様が一緒に行ってやってもいいんだぜぇ?」
ニタァ、と気味の悪い笑みを浮かべながら、これ見よがしに自分を売り込む。
もちろん、そこにあるのは仲間を助けたいなどという殊勝な心掛けではなく、手柄を横取りして自分が成り上がろうという野心だ。
それが分かるからこそ、水の戦士はその申し出を鼻で笑い飛ばす。
「いらん。確かに先日は上手く逃げられたが、今度はこちらから攻め込む番だ。雑兵も多めに連れていくし、逃しはせん」
「でも、向こうは戦士階級が少なくとも二匹はいるんでしょう? 直接攻め込むとなればそいつらに加えて、メイジまで出てくるわけで……いくらあなたでも、一匹でやるには厳しいのでは?」
続けて声をかけてきたのは、怪力の戦士から一転して小柄なゴブリン。
見た目通り、直接的な戦闘力はあまり高くないが、風の魔法を使った魔法支援を得意とするメイジタイプの戦士だ。
炎を操るハロルドとの相性があまり良くないことから、今回の争乱では洞窟に残り、長の護衛を行うことになっていたのだが、二匹以上の参戦ならば自分にもチャンスがあるのではと考えたのだ。
「それに、取り逃がした敵の一匹は風の魔法を使ったんでしょう? 同じタイプの魔石なら、僕が食べるのが一番効率的……違います?」
ヒヒッ、と引き攣った笑みを浮かべながら、風の戦士は自らを売り込む。
魔石と一口に言っても、どれほどの力が得られるかは個体差があり、大抵の場合は同族や、同じ属性の魔力を持つ者の魔石がもっとも効率良く自らの魔力を高められる。
本来、それを差し引いてもゴブリンの魔石は大したことはないのだが……戦士階級で同属性ともなれば相当な強化が見込めるだろう。群れの強化という意味では、風の戦士の言い分は一理あった。
「それを言うなら、元々確認されていた向こうの戦士は、俺様と同じ強化の魔法を中心に使う。お前の理屈なら、俺様も行くべきだよなぁ?」
しかし、だからこそライバルに塩を送る結果となってしまったことに、風の戦士は小さく舌打ちを漏らす。
弱気そうに見えて、案外強かなゴブリンである。
「ふざけるな、誰も連れていかんと言っているだろう! あの村の連中は俺が仕留める、これは長直々の決定だ!」
だが、いかなる理屈があろうと、水の戦士としては譲るわけにはいかない。
力を得ることもそうだが、長に一度託されておきながら、それを成し遂げられなかったとなれば戦士としての今後に関わる。
長の信頼を失えば、戦士の称号すら失いかねないのだ。
だが、しかし、と戦士達の間でも議論が白熱し、一触即発の空気を形作る。
各々の魔力が高まり、もはや決闘をし、力で分からせるしかないと、そう誰もが確信を抱き――
「……騒がしいぞ、貴様ら」
奥から響いた重々しい声に、戦士達は一斉に魔力を抑え、その場に膝を突く。
現れたのは、これまで洞窟の最奥にて、ただじっと力を蓄えて来たゴブリンの王。
“戦士”のような称号と違い、明確に他のゴブリンと異なる存在へと進化を果たした者。
ホブゴブリン――ヒトにも匹敵する頭脳と、魔物らしい強大な魔力を併せ持つ、危険種である。
食事中だったのか、彼の手に握られているのは巨大な熊の手。
森の暴君、強大な風魔法を操るブレードベアの肉を無造作に噛みちぎるも、僅かに顔を顰めると、食い飽きたとばかりに投げ捨てた。
このレベルの魔物になってくれば、その肉を喰うだけでも中々バカにならない魔力を得られるのだが、もはやその程度はゴミだと言わんばかり。
当然、それを放っておけるゴブリン達ではない。それまで戦士同様言い争っていた雑兵ゴブリン達が、今度はホブゴブリンの食い残したブレードベアの肉を求めて醜い争いを繰り広げ始めた。
そんな光景に、ホブゴブリンは不快げに眉を潜めるが、魔石の一つも喰ったことがないゴブリンに、自制心を養えなどと言うだけ無駄というものだ。
すぐに気持ちを切り替え、雑兵と違いブレードベアの肉程度では小揺るぎもせずひたすら頭を垂れる戦士達へ視線を投げる。
「誰が行くか行かないかで、いつまで言い争うつもりだ。俺はそんなことをしろと命じた覚えはないぞ」
「そ、それは……しかし、こやつらが連れていけと聞かぬもので。あまりにも多くの者を連れ出せば、それだけ長を守る者が減りますし、ここは俺だけで行くべきだと言っているのですが……」
水の戦士がそう釈明するが、その言葉こそが不愉快だとばかりに、ホブゴブリンは鼻を鳴らす。
「なんだ、お前は俺が、護衛が多少減った程度でそこらの魔物に遅れを取るとでも思っているのか?」
「い、いえ! そのようなことは決して!」
「ふん、どうだかな」
ジロリ、とホブゴブリンの鋭い視線が、その場に集うゴブリン全員に注がれる。
ようやく、自分達が長たるホブゴブリンの前でいかなる態度を取っていたか意識が追い付いたようで、雑兵達が大慌てでその場に膝を突いた。
滑稽な彼らの姿を見て僅かに溜飲を下げたホブゴブリンは、終わりの見えない言い争いに対して、長として迷わず決定を下す。
「行きたい者は全員で行け。魔石に関しては、仕留めた者が喰ってよい」
「は……? いえ、しかし、それでは長の取り分が……!」
「敵の長、ゴブリンメイジの魔石さえ持ってくれば、後はどうでもよい。好きにするがいい」
水の戦士の懸念に対し、ホブゴブリンはハッキリとそう告げる。
進化を遂げた彼にとって、もはや雑兵や並の戦士から得られる魔石など、微々たる強化にもなりはしない。
手駒を揃え、より強力な魔物が生息する森の深部に進出し、そこで更なる力を付ける。
そして――ホブゴブリンの更にその先へと進化を果たし、この森にゴブリン達の楽園を築き上げるのだ。
その目的のためならば、ここで配下のために多少のサービス精神を発揮したとて、バチは当たるまい。
「森の浅部に棲むゴブリンの群れは、次が最後だ。必ず勝利し、俺達はその先の地獄へと足を踏み入れる。死にたくなければ、仲間を蹴落としてでも強くなれ。いいな?」
長直々の命令に、三匹の戦士達の返事が唱和する。
こうして、ホブゴブリン傘下のゴブリン達――戦士級三匹に加え、雑兵総勢百匹を優に越す軍勢が、遂にカイト達の村へ向けて進軍を開始するのだった。




