第十一話 水の戦士と颶風の矢
「見つけたぞ、ここだ」
戦士の先導で森を進み、辿り着いたのは薄暗い洞窟だった。
広い森の中、ゴブリンの棲家を見付ける――難しそうに思えるが、ゴブリンは他の獣同様、匂いで自分達の縄張りを主張するから、それほどでもない。
最初は、ただでさえ弱いゴブリンが自分達の存在を誇示するなんて、死にたいのかと思ったけど……いくら単体では弱かろうと、群れの本体に直接喧嘩を売って勝てる魔物となると限られる。
何より、こうやって他のゴブリンに見つけられることで、ゴブリン同士の争乱を起こしやすくする。そんな意図もあるんだろうと、今では思う。
「行くぞ」
戦士に促され、ゾロゾロと引き連れた仲間達と共に洞窟の中へと向かう。
これから向かうのは、敵の拠点だ。罠とかあるかもしれないし、どれだけの数の敵がいるのかも不明。土地勘すらなく、ヤバい時にスムーズに撤退することも難しい。
正直、こんなところに足を踏み入れるなんて危険すぎるし、やるならせめて様子見から、と提案してもみたんだけど、思い切り却下された。
戦士曰く、「どうしても厳しければ、こいつらを囮にして逃げる。重要なのは、どれだけ数が減らせるか」だそうだ。
始まる前から見捨てられることが運命づけられた仲間に、思わず同情の目を向けてしまうが、返って来るのは首を傾げる所作ばかり。
本当、ろくでもない文化してるな、ゴブリンは。
「おい、お前も早くしろ」
「はいはい」
どうせやるなら、レイと二人で攻略したかったな。それか、俺だけ別行動にして欲しかった。
そんな願望を抱きながら、俺も少し遅れて洞窟の中へ。
当然と言うべきか、中は日の光がほとんど差さず、真っ暗だった。
にも拘らず、俺も他の仲間達も、はぐれることも何かに躓くこともなく、スムーズに奥へ進むことが出来る。普段の狩りは昼間だから意識することもなかったけど、ゴブリンの暗視能力は相当高いらしい。
……体格は小さめとはいえ、ポコジャカ増えて暗闇も平気、鼻も良いし、成長すれば魔法も使える。ゴブリンって、元々持ってたイメージより大分有能なんだよな。この世界の人間とか、どう対処してるんだろう?
「グギャ?」
そんなとりとめのないことを考えながら歩いていると、奥から三匹のゴブリンが姿を現した。
まさか、こんなところで余所者と出くわすなんて思っていなかったのか、ぽかんと硬直するゴブリン達。
その隙に、俺達は一斉に動き出した。
「やれ、お前ら!!」
「「「ガアァァァァ!!」」」
戦士の指示に従い、雄叫びを上げて吶喊する仲間のゴブリン共。
それを見て、俺は早くもここから逃げ出したくなった。
……こっちから声を上げて、わざわざ侵入を知らせるバカがあるか!!
俺と戦士で素早く無力化すれば、まだ声を上げられる前に仕留めきれる可能性もあったっていうのに、くそっ!!
心の中で罵声を上げながら、俺はクロスボウの代わりに足元の石を拾い上げる。
不意打ちにならなかった以上、今優先すべきは処理速度よりも矢の節約だ。
レイと一緒に連日作っているとはいえ、やっぱり矢の作成には時間がかかる。この場に持ってきているのも、全部で十本しかない。
敵の数が分からない以上、使うべき場面は慎重に見極める必要がある。
「……ふっ!!」
一匹のゴブリンを、仲間達が総力を挙げてボコボコにしているのを横目に、余った二匹の内一匹に狙いを定め、投石紐で石を投げつける。
「ギャ!?」
「はぁっ……!」
飛来した石礫で敵が怯んだ隙に懐へ飛び込み、石斧で脳天をかち割る。
クロスボウがメインとはいえ、この戦法だって連日の狩りで何度も実践してきたんだ、今更仕留め損なうなんてことはしない。
「終わったな。さあ、魔石を回収したらとっとと奥へ向かうぞ」
そうして俺が一匹、仲間達が一匹仕留めてる間に、残る一匹もまた戦士がその槍で仕留めていた。
そのことに何の感慨も抱くことなく、あくまで奥へ進もうとする戦士の言葉に、俺は顔を顰める。
「……まだ進むのかよ」
今でこそ特に増援もないが、仲間達の上げた雄叫びは、狭い洞窟によく響いた。
これで襲撃がバレてないなんて楽観が過ぎるし、正直今すぐ帰りたい。
だが、戦士にも退けない理由があるらしい。
「当然だろう? せめてここの戦士を仕留めなければ、来た意味がない」
「……そういえば、あんたが狩りで怪我して帰ったのは初めてだったよな。そいつにやられたのか?」
「ああ、強力な水の魔法を使うゴブリンだった。奴が相手では、長といえど分が悪い。本格的な衝突の前に、奴だけでも仕留める」
俺の疑問に、戦士はいつになく険しい表情で答えた。
なるほど、水か。
長の魔法は炎だったから、確かに相性が悪いな。
それを何とかするために、こんな無謀な襲撃を……しかし……。
「意外と考えてるんだな、そういうの」
「生き残るためだ、当たり前だろう? オレを何だと思っている」
「…………」
命を何とも思ってない突撃バカ……なんて、言わない方がいいんだろうな。
そんな俺の沈黙をどう受け取ったのか、戦士は「ふん」と鼻を鳴らす。
「ともかく、奴を引きずり出すためにも、まずは雑魚を減らす必要がある。もう来るぞ」
『ガアァァァァ!!』
「っ」
戦士のその言葉と共に、洞窟の奥から響くゴブリンの雄叫び。
ああもう、いらん話に時間を割き過ぎた。どうせなら罠を仕掛けるとかしておけば……いや、レイがいないんじゃ、そんな時間はなかったか。くそっ。
「お前たち、前に出ろ!!」
戦士の指示で、仲間のゴブリン達が前に出た。
石斧を構え、一列に並ぶ彼らの奥からは、敵のゴブリン達が群れを成して襲って来る。
その数は、十じゃ効かない。二十以上はいやがる。
「くそっ……!」
ことここに至って、出し惜しみなんかしてられない。
投石紐の代わりに、当たれば確実に致命傷を与えられるクロスボウに切り替え、素早く発射。
接近される前に一匹倒すも、それでは焼け石に水。敵の勢いは全く緩まない。
「「「ガアァァァァ!!」」」
再装填している間に、仲間のゴブリン達がついに敵とぶつかり合う。
けど、数の差が単純に倍以上ある中で勝てるはずもなく、ほんの数回石斧をぶつけ合っただけで打ち倒される者が続出した。
「ハッ……!」
次々と倒れていく仲間達。
それを壁代わりに安全を担保しつつ、戦士の振るう槍が敵を屠る。
無駄のない、最小限の動きで的確に急所を突くその動きは、ゴブリンとは思えないほどに流麗で、こんな時じゃなければ見入ってしまいそうなくらいだ。
それでも、敵を仕留めきるよりも、仲間が全滅する方が早い。
俺自身もまた必死に抵抗するも、そもそもクロスボウ自体、多数の敵を正面から相手取るには向いてない。
暗闇の中で血飛沫が舞い、ゴブリンの悲鳴が木霊する。
殺して、殺して、殺して。最後は装填も間に合わず、死に物狂いで石斧を振り回す。
仲間の生死なんて気にしている余裕は無くなり、戦士と同じように周囲の味方を囮に使いながら、敵を横から殴り付ける。
こっちに意識を向ける敵がいれば、他の味方の後ろに下がり、狙いが移るのを待って改めて殴りかかる。
卑怯で、下劣で、血生臭い、一度は俺自身が否定した戦い方。
それでも生き残るためならと、必死になって足掻き続け、もはやどれだけのゴブリンを殺したのかも分からなくなって――
「はあっ、はあっ、はあっ……!」
最後は、俺と戦士の二人しか立っていなかった。
大きく肩で息をする俺と違い、戦士はまだ涼しい顔だ。
くそっ、こんなところでもまだ差があるのか。
「ふん、生き残ったか。やはり、お前は他の連中とどこか違う……一体、何を喰った?」
そんな有様だったけど、戦士からすれば随分と予想外だったらしい。
思わぬ問い掛けに、俺は内心の動揺を悟られないよう表情を取り繕うのに苦労した。
「……さて、何の話だか。俺はあんたと狩った魔物の肉と、自力で狩ったゴブリンの魔石しか喰ってないよ」
あくまで堂々と、そう言い切る。
いくら戦士が賢かろうが、ゴブリン相手に舌戦で負けるつもりはない。
そんな俺の言葉を信じたのかどうか、戦士は「ふん、そうか」とだけ呟き、槍を構え直す。
「ならいい。それよりも、本命が来たぞ、構えろ」
「っ!」
戦士の警告を聞き、俺はすぐさまクロスボウを再装填、洞窟の奥へ照準を向ける。
すると、パチ、パチ、パチ、と、掌を打ち鳴らす乾いた音が響いて来た。
この場に似つかわしくない軽快な音に、俺は益々表情を固くする。
「ククク、見事だな、倍以上のゴブリンを相手に勝利するとは。流石、この辺り一帯を支配するゴブリンメイジの群れの一員なだけある」
「ゴブリンメイジ……?」
「長のことだ。ヒトが使う呼称だな」
初めて聞く単語に戸惑う俺に、戦士が小声でそう教えてくれた。
そうか、この世界にもやっぱり人はいるのか。
いや、俺達の棲んでる村が明らかにゴブリンじゃない別の何かに作られたものだったから、いるんだろうなとは思ってたけど。
そして、うちの群れはそんな人間達が存在を認める程度には脅威と見なされてるのか……それとも、単に魔法が使える後衛職のゴブリンを纏めてメイジと呼んでいるのか。
分からないけど、今はそれは重要じゃないな。
「お前が、この洞窟に住むゴブリン達の戦士なのか?」
「いかにも。この俺こそ、偉大なる長より戦士の称号を賜った者。そして、貴様等の群れを潰す者だ」
俺が問い掛けると、目の前にいるゴブリンは誇らしげに語り出した。
両腕を広げ、舞台俳優か何かのように語るその戦士は、端から見れば隙だらけに見える。
いっそ、今のうちに攻撃してしまうかとも思うけど、なぜだかその気になれない。
今攻撃しても、なぜか通用するイメージが湧かないのだ。
「たった一匹でお出ましだなんて、余裕だな。それとも、もう仲間はいないのか?」
「そんなはずがないだろう? 最近、少々子供が増えすぎたのでな、間引きと魔石集め、それに貴様等の消耗を狙って程良く使い潰したまでのことだ」
さらりと告げられた言葉に、俺は思わず顔を顰める。
仲間を使い潰すなんて、簡単に言いやがって……本当に、ゴブリンってのはろくでもない。
「そろそろ頃合いかと思って来てみたが、予想通り、いい具合に減っているな。……長が戦うまでもない、貴様等ごとき、俺がこの場で殺してやろう!」
ゆっくりと、言い聞かせるような声量と速度で話していた敵の体から、魔力が迸る。
静から動へ、唐突な雰囲気の変化に俺達が戸惑っている間に、敵が掲げた掌から水球が産み出され、瞬く間に巨大化していく。
ヤバイ、来る!?
「ハァッ!!」
雄叫びと共に放たれる、水の大砲。
俺と戦士が同時に反応し、左右に散った直後、すぐ足元に着弾した攻撃によって岩が爆ぜる。
こいつ、ただの水でなんて威力だよ! こんな攻撃、まともに受けたら即死だぞ!
「はぁ……!!」
敵の攻撃に慄いている間に、戦士は跳び上がった勢いのままに洞窟の壁を蹴り、石槍を構え全速の突撃。
身体強化――魔力によって高められ、ビッグボアすらあっさりと貫く力を手にした戦士の一撃が、敵へと迫る。
「このっ!」
それに便乗する形で、俺もまたクロスボウを放った。
戦士の槍と、俺の矢。左右、やや斜めの位置からほぼ同時に襲い来る攻撃を前にして、それでも敵は余裕の態度を崩さぬまま、掌を掲げる。
「温い、その程度で俺に届くと思うなよ」
途端、敵の周囲から水が溢れ出し、渦を巻きながら水のカーテンを形成する。
激しく渦巻く渦潮のようなその壁は、その意に反して突破しようとした俺達の攻撃をその激流によって飲み込み、全く明後日の方向へ逸らしてしまった。
「んなバカな、そんな使い方も出来るのか!?」
岩をも砕く水の砲撃に、クロスボウすら通じない水の壁。
同じ魔法で、こうも応用が利くものか。こいつ、ゴブリンの癖になんて強さだ!
「まずは一匹」
「くっ……!?」
俺はまだ、放った矢を逸らされただけで済んだが、戦士は手に持った槍ごと逸らされたせいで、大きくバランスを崩している。
その眼前へ突き付けられた掌へと、水が凝縮していく。
「させるか!!」
そこへ、俺は石斧を投げ付けた。
攻撃する時だけ守りが薄くなる、などということもなく、水の壁は展開されたまま。
当然、敵もそんな悪足掻きに頓着することなく、戦士にトドメを刺そうとして――
「ぐあ!?」
背中にぶち当たった石斧によって狙いが逸れ、地面を水弾が抉り飛ばす。
その衝撃で戦士が吹き飛ばされて壁面に叩き付けられたが、直撃しなかっただけマシだろう。
しかし、そんな結果は予想外だったのか、敵の戦士は鬼のような形相で俺を睨みつけて来る。
「貴様……一体どうやって俺の守りを!?」
「はっ、工夫が足りないんだよ工夫が。少しは自分で考えろ」
クロスボウを再装填しながら、俺は思い切り鼻を鳴らして挑発する。
わざわざ教えてやる義理もないからはぐらかしたけど、別にそこまで難しいことをしたわけじゃない。
こいつの生み出す水流が攻撃を逸らすなら、逸れるのに合わせて狙いを修正する、ただそれだけだ。
もっと複雑な渦を巻いてるなら無理だったけど、こいつの水流はどこを見ても同じ方向に一定速度で流れてる。これなら、調整も可能な範囲内。
純粋に体が丈夫がために攻撃が通じなかった他の魔物に比べれば、これくらい、十分隙だらけなんだよ!
「この……俺を愚弄するなッ!!」
敵が叫ぶと同時、展開していた水の壁が飛び散り、無数の水球へと姿を変えた。
一つ一つはこれまでのように大きくないものの、その分数がとんでもない。
そんな水球の全てが、一斉に四方八方へと降り注ぎ始めた!
「くっ、この……!」
恥も外聞もなく身を投げ出し、水球を躱す。
いくらなんでも、こんな激しい攻撃の中で、あの水壁を抜けて本体に攻撃を届かせるのは無理だ。
「この程度!!」
そんな中、降り注ぐ水の弾幕を槍で弾き飛ばし、体勢を立て直した戦士が突っ込んでいく。
水の壁が消えた以上、自分の攻撃でも通ると思ったんだろう。逃げるので精一杯の俺とは大違いだ。
「しゃらくさい!!」
「ぐっ……!」
それでも、最後の一歩が踏み込めなかった。
敵が掌から散弾のように放った水球に弾き飛ばされ、戦士が大きく後退する。
そして距離が開けば、容赦なく降り注ぐ水弾の雨。
避けても、弾いても、絶え間なく続く攻撃に、俺も戦士もどんどん追い詰められていく。
「ふん、あれだけの雑兵を先んじてぶつけてやったというのに、よく耐える。だが、いつまでもつかな?」
抑え込めたことで余裕を取り戻したのか、ニヤニヤと醜悪な笑みを浮かべる敵の戦士。
くそ、防御自体は付け入る隙があっても、攻撃手段があまりにもえげつない。俺と戦士だけじゃ、狭い洞窟の中でこれを突破するのは不可能だ。
流石に、潮時だろう。
「おい戦士、いい加減逃げるぞ」
「何を言う、まだ目的は達成できていない。第一、この状況からどう逃げる?」
「俺がどうにかする、残りたければ勝手に残れ」
突き放すようにそう言うと、俺は敵の攻撃を避ける傍ら、自身の魔力を高めていく。
結局ぶっつけ本番になっちまったけど、今頼れるのはこれしかない。
「お前、それは……!」
戦士が俺の魔力に気付いて驚いた声を上げるが、それは無視。高めた魔力をクロスボウに叩き込み、風を巻き起こす。
イメージするのは、風の弾丸。
目の前で散々敵が実践してくれたんだ、今の俺には魔力の動きだってちゃんと見えてるし、初めてだろうがやってやる。
「これが俺の全力だ、喰らいやがれ!!」
「何……!?」
膨大な大気を纏った矢を、クロスボウの力で射出する。
これが俺の魔法だと気付いたのか、敵もまた飛んで来る矢に反応して攻撃を中断し、目の前に先ほどまでより数段分厚い壁を形成した。
爆風の矢と、激流の壁が激突する。
洞窟全体を揺らすほどの轟音が鳴り響き、散々に砕けて飛び散っていた石が砂埃となって舞い散ると、視界いっぱいを覆い隠した。
「……チッ、逃がしたか」
それが晴れる前に、俺と戦士はその洞窟から撤退していく。
だから、俺の攻撃を無傷で耐え凌いだそいつが最後に呟いた言葉は、俺の耳に届くことなく洞窟の中に消えていった。
「だが、次は油断せんぞ。今回よりも更に多くの雑兵を使って、貴様ら纏めて磨り潰してくれる」




