第一話 子鬼達の戦い
深い森の中に、魔物の咆哮が響き渡る。
聳え立つ木々を薙ぎ倒して現れたのは、見上げるほどの巨体を誇る、猪のような魔物だった。
体毛は鋼のように頑丈でいて、走る速度は車にも迫る。悪路なんて関係ないとばかりに猛進するその姿は、まるでダンプカーのようだ。
「怯むな、突っ込めぇぇぇ!!」
さて、そんな化け物を相手に、どこぞの赤い国さながらに突撃を下命してくれやがったのは、我らが村の誇る優秀な戦士様。
石を削り出して作られた粗末な槍を手に叫ぶ姿は、誰が見てもどこの蛮族かと罵りたくなること請け合いだけど、困ったことに今の俺は、そんな戦士様よりも更に酷い装備しか身に付けていない。
生臭い動物の皮を加工して作った粗末な衣服に、石を木の棒に括り付けただけの石斧モドキ。
こんな状態で突っ込んだところで、一体何が倒せるんだと叫びたいけど、それをしたところで助けてくれる人なんていない。
むしろ、俺と同じ装備しかないにも拘らず、喜々として突っ込んでいく奴ばっかりだ。
でも、それもある意味当然なのかもしれない。
何せ、ここにいるのは人間なんかじゃなく――ただの、ゴブリンなんだから。
「ガアァァァァ!!」
「キエェェェェ!!」
耳障りな奇声を上げながら、ゴブリン達は自らの得物を振りかぶり、一心不乱に駆けていく。
暗緑色の肌は森の中にあって保護色と化し、小学生のように小さな体は身を隠すのに最適なんじゃないかとは思うけど、ゴブリン達はそんな小細工など知ったことかとばかりに正面から挑みかかる。
当然、そんな馬鹿正直な攻撃が効くような相手じゃない。
爆走する猪はそんな小さな障害物など知ったことかと走り抜け、安易に近づいたゴブリン達の大半を弾き飛ばすと共に、巨体に見合った大きな牙がその体を刺し穿つ。
「ギャアッ!?」
「ガフッ、グアァ……!」
血反吐を吐き、地面に倒れ伏すゴブリン達。中には、たった一撃で即死したのか、ピクリとも動かない個体もいる。
そんな光景を目の当たりにして、吐き気と恐怖が否応なく襲って来るものの、それにかかずりあっている場合じゃない。
死に行く仲間を前にしてなお、戦士様の命令は変わらないからだ。
「行け、行け!! 全員でかかって、隙を作れ!!」
お前が行けばいいだろ、とよっぽど叫んでやりたいけど、所詮は同じ群れに所属するゴブリンの一匹でしかない今の俺には、それに従う以外に選択肢なんてない。
群れの長を除けば最上級の地位にいる戦士に逆らえば、俺に待っているのは見せしめの粛清か追放か、二つに一つしかないからだ。
「全く、どうしてこんなことになってるんだか……!」
ボヤいてみるも、状況は変わらない。
いつまで経っても突っ込まない俺を見て焦れて来たのか、石槍の穂先を下げ始めた戦士を見て、俺は仕方なしに前に出る。
下がったら死、前に出ても死。
どうせ賭けるなら、まだ生き残る可能性がある前に出る道を選ぶ。
俺はもう、死にたくないんだ。
「っ……!!」
他のゴブリン達が気を引いている隙に、息を殺し、猪の背後に回り込む。
とはいえ、真後ろは危険だ。後ろ脚で蹴っ飛ばされるかもしれない。
理想は、真後ろよりもやや左右どちらかにズレた位置。頭を振っても牙が届かず、後ろ脚を振り上げても当たらない絶妙な空白地帯だ。
「はあっ……!!」
気合一閃、石斧を振り下ろす。
体重と遠心力をたっぷりと乗せた渾身の一撃は、確かにその体を捉えたものの……まあ、急所でもなんでもない位置を殴ったからって、こんな巨大猪相手に通じるはずもない。むざむざと俺が死角に回り込んでいるぞと教えてやるようなものだ。
「ブモォッ!!」
それでも、手出しできない位置を殴られるのは嫌なんだろう。猪はすぐさま反応し、俺の方へ素早く体ごと振り向いた。
凶悪な化け物と目が合い、俺の心を再び恐怖が塗り潰す。
「本当に、どうして……!」
煩わしい害獣を踏み潰さんと、猛然と突進を始めた猪を前に、俺は思い返す。
俺がこうして、ゴブリンとして命を賭けた戦いの日々に身を投じることになる前の自分。
まだ、俺が人間だった頃の記憶を。