大天使とベルゼブブのお試し期間
「ミチェル先生は蝿殺しの神と同居を始めたようです」
Bは同僚から差し入れの珈琲を、見もせずに受け取った。
感謝の言葉は無意識だ。
後で本人に聞いても、言ったかどうかは覚えていない。
それでも、Bの評価が下がる事はない。
Bは自分の性癖をよく理解している。
必要以上に特定の人物と接触しないように、常に人気の多い所にいるか、子どもを侍らせているか、とにかく職場では特に男女問わず二人きりになる事は絶対にない。
迷惑をかけるからと、迷惑だからだ。
みんな大好きミチェル先生も、まれに敵意や悪意を抱く輩に嫌がらせをされる事がある。
簡単で効果的、ミチェル先生に侍る子ども達に、いけない事を吹聴するのだ。
「ねえねえ、ミチェル先生はゲイなの?」
Bが住んでいる町が同性婚を認めていても、偏見は異性愛に傾いている。
また、体の構造上の夜の営み方、性病、性欲、絵面など、ゲイとなるとレズよりも周囲の目は厳しい。
異性愛者でも、性癖や性格次第では同性愛者よりもよほど反社会的である事もあるのにだ。
「好き嫌いに性別は関係ねえよ。おまえだって異性だったら誰でも良いわけじゃねえだろ?俺はその範疇がおまえより広いわけだが、おまえに余計な事吹き込んだクソ野郎が入ってねえのは確かだ。」
「じゃあ僕は?」
「おまえはステージが違う。俺はとっくにそのステージをクリアしちまったし、おまえがクリアする頃には俺もまた次のステージにいってる。一生交わる事はねえから安心しな。」
少しがっかりする少年に対し、Bはカルテで苦笑いを隠した。
自分が子ども達によくない影響を与えている事はわかっている。
しかし、自分は異端だからこそ目立ち、子どもの目に物珍しく映るが、その分、圧倒的多数の中で市民権を得るには人並み以上に苦労しなければいけない事を、教えられていると思っている。
それを見てどう育つかは、本人次第だ。
自分の様に育てとは微塵も思っていないが、偏見がない様に育って欲しい。
とりあえず、居候の情報屋に家賃を現物納付して貰う事にした。
終業後、Bは着替える間も惜しいと、リビングで仕事をしていたCに詰め寄った。
Cは例のクソ野郎の情報が書かれたメモをBに渡し、頬杖を突いた。
「自業自得だ。どんな振り方したんだ?」
「綺麗な女性にしつこく言い寄ってたから代行してやったんだ。知性も乏しけりゃあんな弛んだ腹した男は俺の好みじゃねえよ。」
「男なら誰でもいいんじゃねえのか?」
「酔い方とその時の気分次第だが、基本的に腹筋が割れてねえ男は論外だ。俺より何かが優れてるなら最高だな。ピロートーク次第で大天使の連絡先が手に入る。」
Bより何かが優れた男なんてたくさんいる。
だから節操無しなのだ。
Bは男の住所を覚え、メモを丸めてゴミ箱に投げ付けた。
Cはパソコンを閉じた。
「晩飯は?」
「あれば食べる。なけりゃ寝る。」
「あるに決まってるだろ。先に風呂入って来い。」
「…あの。」
突然のBの日本語に、Cの表情が和らぐ。
「どしたん?」
柔らかい関西弁に、Bの雰囲気も和らぐ。
「…ありがとう、ございます。」
「うん。」
何故わざわざ今更日本語などと、Cも野暮な事は言わない。
Bの英語はぶっきらぼう過ぎる。
日本語だから、自分の気持ちを伝えられるのだ。
それはCも同じだ。
英語を話す自分はとっつき難い自覚がある。
だから、関西弁を使い、少し演技をするくらいでないと、本心が伝わらない。
「個人情報を買うだけでいいん?」
「どういう事ですか?」
拳で話し合うか、こっち側に落とすか。
悩んでいたBはCの問いに首を傾げる。
Cは怪しい笑みを浮かべている。
「売るだけの情報屋は二流だ。情報を操作できて初めて一流を名乗れる。」
「それはつまり、俺があのクソ野郎を気が済むまで殴った後の話か?」
「相変わらず血の気が多いな。おまえが手を下さなくても社会的に抹殺してやれるって事だ。」
Bは少し斜め上を見て、目を閉じた。
体力お化けのミチェル先生も流石にお疲れだ。
「いくらだ?」
「家賃、高いんだろ?」
「…。」
突然フードを被ったBに、Cは首を傾げた。
「どうした?」
「風呂入って飯。」
「違うだろ。」
Bはより深くフードを被ったが、意味がなかった。
Cの美声は耳に心地よく、小さくても拾ってしまう。
「さっさと風呂入って来い。ベッド代払うから大事な腰に優しい所で寝かせろ。」
「…Aは?」
「仕事。」
「あー、いや、いい歳してFに叱られたくねえから、何もしねえって約束するならお代はいらねえ。」
「ああ、そう。そいつぁ残念。」
ふらふらと風呂に向かうBの背中は、思いっきり心の内を表していて、風呂の扉が閉まった瞬間Cは吹き出した。
帰宅したAは、ベッドですやすや眠るBの隣で、パソコンに何やら忙しなく入力していたCの作業が終わるまで待った。
二人とも全裸だ。
軍属時代に入れたCの刺青を久し振りに見た。
「Fに叱られんぞ。」
「B君も心配しとった。」
「俺今英語で話しかけたんだけど。」
「B君のベッドの上じゃ日本語が公用語だぜ?」
「そいつ、絶対日本語使わなかっただろ。」
「この手の事に関して日本語の語彙は少ねえし、英語じゃ俺に使うにゃ汚過ぎるし、しどろもどろになってんのがそそった。」
「お巡りさん呼ぶか?」
「自首か?」
「俺は通報者だ。」
「だからだ。恋人達の寝室に不法侵入した罪でとっ捕まれ。」
「で?何してたんだ?」
「B君についとった悪い虫を消しといた。」
「自殺か。」
「俺は恋人だぞ。」
「元だろ。」
「未来のでもある。」
「言ってろ。」
急にBの手が宙を彷徨う。
何事かと二人が見守っていたら、煙草を掴んで止まった。
寝ながら火を点け、煙を吸い込んで吐き出して起き上がった。
「あー、うま。」
「すっかり擦れちまいやがって。」
AはBから煙草を没収し、残りを味わった。
「おまえ、Cと付き合うの?」
「んな訳ねえだろ。男漁りはやめてもいいかなって思ったけど。」
「それは付き合うって言うんじゃねえの?」
「いつでも応じてくれる便利なイケメンはセフレって言うんだ。覚えとけ。」
「あんなによがっとったんや。ただの便利棒みたいに言わんとってくれる?」
「…。」
あからさまに不貞腐れて頬杖を突くBに、Aは煙を吹き出した。
「まだまだお子ちゃまだな。しばらくは大人しくそいつを彼氏って事にしときゃ、やたら妙な因縁つけられる事も変な病気貰うリスクもねえだろ。」
「彼氏作っちまったら俺の仕事に障るんじゃねえの?」
「火遊びの醍醐味はハイスペ彼氏持ちのクイーンと寝る背徳感だ。」
「確かに。それは俺としてもいい感じに燃えるな。」
宣伝がてらデートでもするか?とCを向いたBは、Cに両手で顔を包まれキスされた。
とても人懐っこいCの笑顔に、ぽかんとする。
「やった!これでB君の公式彼氏や!」
しかし、よく見るとCの目は笑っていなかった。
「君の彼氏は情報屋やでな。“ぼや”にはくれぐれも気をつけるんやで?」
「…これ、あかんやつだろ。」
「…そうかもしんねえな。」
AとBは額に手を当て、項垂れた。
悪い虫って、やっぱおまえだろ。 by A
(デート、どこ行く?)
(健全なデートなんて年単位でしてねえから思いつかねえな。)
(そこの公園で手ぇ繋いで散歩なんてどうや?)
(うわ、寒。)
(うるせえ、A。テメエにゃ言ってねえよ。)
(いや、Aに同感ッス。オネエでもない三十路過ぎた男同士でそれはない。あ、太極拳やってっから混ざろうぜ。)
((うわ、武闘派眼鏡出たよ。))
(嫌なら出てってくれてもいいんだぞ。)