9 サイの村に向かう峠の手前で
湿地帯の道なき道をようやく抜けると、ピピンとヤンの前には峻険な山々がそびえていた。
ヤンの携えてる小冊子『ド・シー王国観光案内』に依ると、サイの村はこの山をひとつ越えたところにあるらしい。
「これ、昇って行くんですねえ……」
「なに、道があるだけ、まだマシさ」
不規則に岩を積み上げた細い石階段が、山肌に沿ってうねうねと伸びている。
えっちら、おっちら。
「ヤン、ながら読みは危険だぞ」
山道を登りながら冊子を読みふけるヤンを、ピピンが咎める。
まあ、鍛えているので大丈夫なんだが。
「いやあ、なかなか興味深い事が、書いてあるんですよ……」
ヤンの呟きに、ピピンの眉がぴくっと上がった。
「ほう、どんな?」
「読んでみますね……」
“早起き鳥の囀りに誘われて寝床を離れ、来客用のコテージを出た私を待っていたのは、爽やかな朝の風と、山々に切り取られた蒼穹であった。
昨夜の露天風呂では、山々の大きな湯船に浸かっているかのような錯覚があったが、それはけして気のせいでは無く、四方の山々は村のすぐそこまで迫り、さながら私は、彼女らの豊かな胸に抱かれているかのようだ。
私はコテージ脇まで曳かれた湧き水で顔を洗い、朝食に供された山羊乳のチーズと野草のサラダに、舌鼓を打つのだった……”
「なんだ、キザな野郎だなあ」
「キザなのは否定しませんが、結構重要な情報が書かれてありますよ」
「あ――そうだな。温泉あるって、凄いな」
「温泉だけじゃないですよ。四方を山に囲まれた盆地で、土地は痩せてるけど牧畜はチーズを作れるくらいの規模です。客用のコテージを作って、もてなす程度には生活に余裕がある。何より驚きなのが、常時使わない客用コテージにまで水路を曳いてる、って事ですね。山の中とは思えないほど、水資源が豊富にあるってわけで――サイってかなり、豊かな村ですよ」
「ヤンって凄いなあ。こんなキザったらしい文章から、そこまで分かるんだ」
ヤンの分析に、ピピンが感嘆の声を上げる。
「学校行ってましたから……そ言えばお師さんは、学校ってどうしてたんですか?」
「俺は5歳から拳法ひと筋だったから――学校に行く暇はなかったなあ……」
その結果、得た称号が『最弱』とは、何ともやり切れない話である。
「読み書き計算は、師匠に教わったんだよ」
そう言ってピピンが屈託なく、ニカッと笑った。
なおも険しい山道は延々と続くが、鍛えているので以下省略。
峠に差し掛かろうかというところで、避難用の山小屋を見つけた。
「サイの村の人たちが建てたのかな――ほんと、至れり尽くせりですね」
「ああ、心遣いに感謝しよう」
無人だと思っていた山小屋には、先客が居た。
野草採りに出掛けていた、老夫婦。サイには明朝早く出れば、日没前に着くと教えてくれた。
「そうか、フンから来なすったか。何もねえけどコレ食えや」
「ありがたくいただきます」
キノコと野草のスープだった。野草の香りに加え、何と塩味まで利いている。
「旅先の温かい食事はホントに嬉しいですね」
とりとめのない話題の交換が続き、やがて本題へと入った。
「天才魔道士に、聖女さまのあにいもうと?」
「そんなら、テンとセージの事かの? テンは姉さんやが、サイの村の娘やからテン・サイだな」
「いえ……名前がそうだ、てわけじゃなくて、ですね……」
あにいもうとじゃなくて、あねおとうとだし。
なんだか微妙に、しかも何もかもが間違ってる気配がする。
「聖女さまが奇跡を起こすんじゃろ? 例えばこんな山ん中でスープが作れるって、おかしいと思わんか?」
「はあ……そう言えば、水がふんだんに必要ですよね……」
「ほいさぁ、すぐそこの岩肌から清水が湧いててなあ。テンが見っけたんよ、ヤマイモ掘っててな」
「あんなとこから水が出てきて、たまげたさ。奇跡と思わんか?」
「なる」
「ほど」
「このスープに入ってる塩も奇跡だな。これ、サイで採れたんだぁ」
「ええっ! どういうわけですかっ?!」
この山村に足りないモノがあるとしたら、絶対に塩である。
今や一大農業都市となったフンでさえ、塩だけは海辺の街から買わなくてはならない――第一こんな山奥で塩が採れる筈がない。
「ブランコで遊んでたテンがな、手を離しちまってすっ飛んでな。岩に頭ぶっけたら、割れた岩から塩の柱が出て来たんよ」
「これを奇跡と言わんで、どーすっか、て話だなぁ」
「たし」
「かに」
「しかしまた、テンを聖女、ちゅうかねぇ……」
「気立ては良い子なんやけど、ねぇ……」
そう言って老夫婦は苦笑いしつつ、顔を見合わせた。
「弟――の方ですね」
「おう、おう」
「セージ……くん、ですよね。彼が天才魔道士ですか?」
「魔法は使わんなぁ。確かに頭は良いけどねえ」
ああ……やっぱり、そうなるか。
「爺さん、あれは魔法と言わんか? ワケ分からんこと言いよってセージが作った、アレ」
「それそれ、それです。セージ君、何作ったんですか?」
「はつ……はつべ……何やったかねえ……」
「んー、発……電所とか、言うたかねぇ……」
「はつっ?」
「でんしょっ?!」
初めて聞く言葉だ。
「それって――いったい、何ですか??」
老夫婦は彼らの問いに、苦笑いするばかりだ。
「わし達じゃ、分からんのよ――じゃが、そっから出てくる電気っちゅうのは、便利やねぇ」
「んだなぁ」
何でも、老夫婦の話に依れば、電気を使えば油差しとは比べものにならない明るい灯りが点いたり、自動的に地下水が汲み上げられたり、見てるだけで水が熱湯になるらしい。
おまけに氷も使わずに肉を凍らせて保存する機械や、中に入れるだけで洗濯物が綺麗になる機械。
更には電気で動く、ロバ十頭分の荷物を持ち上げる機械まで、セージは作ったらしい。
「それって……魔法と、どう違うんですか?」
「うーん……知らん」
どうやらセージ本人に、直接訊く必要がありそうだった。
それにしても……
サイの村、そしてテンとセージの姉弟。
いったい何がどうなってるのか、ピピンとヤンの理解を遥かに越えてる事だけは、とにかく分かった。