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放屁拳  作者: 山目 広介
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07 師匠の過去と優勝賞品 5754

 予選が終わって夜のことだった。

 翌日は休養日らしく、本戦は明後日からだという。

 武台の掃除をなんとか終わらせて、これから夕食ということになったガップとケイ。

 なんとかというのは汚物を片付け、その部分を掃除して確認をしてもらうと、朽木の流した血液があちこちに斑点状に残っているし、綺麗になっていないということでやり直しを喰らっていたからだ。


「まさか、流れた血まで拭かされるとは思わなかった」

「まったくだよー。待ってたらやり直しで武台全部清掃するなんて言われてー。手伝ったんだから今日はガップの奢りだからねー」

「仕方ないね」

「そういや親父や師匠の因縁とかの話聞くの?」

「ああ、忘れてたー。うん聞くよー」

「じゃあ、飯を注文してからにしよう」

「そうだねー。今日はいっぱい笑ったからお腹が空いたよー」

「笑ったからなんだ……」

「応援もしたよ、もちろん」

「そうだっけ?」

「ひっどーい」

「あはは、笑ってるところしか見てないからね。試合中は相手見てるし」

「じゃあ、仕方ないね」


 そうこうしながら、昔話が始まるのだった。






 それはガップたちが生まれる前のことだった。

 『龍の息吹』は呼吸法、健康法として広がった。

 だが拳法という側面もあることから道場のようなものもある。

 そこに杉 辰巳という男がいた。

 初級者の指導をしているところだった。


 杉は組手をしている。

 一人目にはまずしゃがみ込み、足払い。右足の届く範囲を大きく払う。

 相手は跳んで躱す。しかし右足が途中で地面に当たり、そこで跳ね返る。さらに片足で立ち上がり後ろ回し蹴りが空中の相手に迫る。対戦者が気づくもガードが間に合わず、無防備な頭部へ蹴りが迫るが、軌道修正を施し腕がある胴の側部へと急降下し弾き飛ばす。


 二人目が前に来る。

 杉は前蹴りを放つ。対戦者は両手を交差し金的をガード。しかし途中でその蹴りは止められる。フェイントだ。そして逆脚が跳ね上がり無防備な頭部へと回し蹴りが放たれる。対戦者は目を瞑ってしまう。

 対戦者が恐る恐る目を開けると蹴りは目の前で止まっている。寸止め。


 三人目は杉へと殴りかかる。

 その左腕を右の裏拳で弾き、そのまま顔面へ拳を向ける。

 顔の前で止められる拳。


 四人目はいきなり体を捻って反転。

 後ろ回し蹴り。ただ体を傾け踵落とし気味に縦の動きだ。

 それを杉は難なく躱し、軸足の右脚を鋭く捻じ込むように上から叩きつける蹴りを放つ。

 転ばすような蹴りではなく、力を逃がすことも出来ずに受けて脚を抱えて蹲る。


 そうやって何人もの初心者を転がしていった。

 杉は上級者として初級者を指導指導していた。特に組手は中級者でも間違えると怪我をさせてしまうから手加減をちゃんと分かっている者に指導された方が良い。

 どちらにしろ行わないことには身につかない。

 その後、教育として技の説明もする。


「まず戦闘状態に持って行く。ここでいう戦闘状態とは胃腸への血液の流れを減らし、手足への血流を増やすことだ。手足への血流が増えると攻撃力にその血圧が追加される。正確には普段から追加されている。同じように攻撃しても威力にはブレがある。それは心拍から伝わる血圧や脳からの信号の強度、呼吸などがそれぞれ常に揺らいでいるからだ。それを合わせて最も高めたときに放つ一撃は普段に比べて威力が遥かに増す」


 拳を握り、正拳突きを放つ。


「それを呼吸でいつでもできるようにすることが極意とされているわけだ。さらにはウォームアップもそうだ。運動前に体を動かして温める、というものではない。実際に背中から発生する熱を高めることで通常37度が平熱の上限だが、その上限へと跳ね上げることで運動能力を上げる行為だ。呼吸によってこれを意識的に行えるように訓練する」


 そして気合を入れる素振りをし、顔が赤くなる杉。


「他にも羞恥や赫怒によって人は赤面したりするだろ。それを自在に操ることで能力の向上を目指す技もある。これらは皮膚表面までの毛細血管が拡張し体の隅々まで血液を運び能力を向上させる」


 杉は『龍の息吹』が掲げる身体能力の強化などをもとに説明を行う。

 赤面は特に目に見えて顕著であるため、分かりやすい反応がある。

 だがそれでちゃんと聞いてくれるとは限らないことが問題だ。






「呼吸は吐くことが極意とも言われてる。この理由は吸う行為と吐く行為、それぞれの状態にある。呼吸は二酸化炭素を排出し、酸素を取り入れる行為だ。息を吸うとは、身体という器を膨らませることで大気を取り入れる。このとき大気圧は変わらない。しかし肺へと向かう理由は肺の気圧が減っているからだ。この状態だと血管、血液から肺の中の空気へと二酸化炭素も排出されやすい。この原理を用いるなら逆に肺の中の空気圧を高めると血液へ酸素を取り込みやすく、またそのとき大気圧よりも高くなれば外へと漏れていく。細く息を吐くという行為は長く続けるということ、強く吐くとは酸素を血液に取り込むということだ。笛のように吹くことが大事だ。リズムを刻むことで空気を吸う時の排出される二酸化炭素を先に追い出し、新鮮な空気を取り込む。初めはそんな呼吸からで良い」


 呼吸についての説明は『龍の息吹』では重要だ。だから説明が長くなってしまう。


「呼吸は交感神経と副交感神経を切り替えたりという作用も行える。ワザと呼吸を止めたりできる。呼吸自体は無意識に寝ていても出来るが水中に潜ったりするときに止めたりも自分の意志で可能だ。自身の自律神経などを制御することに役立つ。意識と無意識をどちらも熟すからこそ、無意識の領域を意識して制御することが呼吸によって可能となるのだ」


 肉体の制御。呼吸法として広めているものとしてはこちらが主として語っている。

 武術はおまけ、というわけだ。宣伝に利用するようになってから、そちらで有名になってしまったが。


 武術としての技は二の次というのが建前だ。だから一応繰り返し説明をしてサブリミナル効果を狙っているらしい。聞き流されているだけではあるのだが。


 杉が組手後の休憩を兼ねた説明をしていると、呼ぶ声が響く。


「辰巳さーん、調子はどうですかー」


 やってきたのは杉の師匠、桜木 (いわお)の娘、涼香(すずか)だった。


涼香(すずか)お嬢さん、どうしましたか」

「指導始めてから期間が短いですから、どうなのかなって見に来ましたー」

「大丈夫ですよ、無理はしてませんし、ちゃんと説明もしてますから」

「本当ですか?」

「本当ですよ、信じてください」

「しょうがないですねー」


 そして涼香は一緒に指導を見てくれることになった。

 またもや組手をする。ただし今度は初級者同士でだ。

 何人かは杉が直接見る。涼香にも周りを見てもらう。


「先生、速いよー。どうしてそんなに歩くの速いの?」

「そうか? 無駄がないからかな。じゃあみんなにも無駄のない歩き方などを伝えるか」


 そう言って杉はまた皆を集めて解説を始める。


「今質問があったから、どうせならみんなにも伝えようと思って集まってもらった」

「なんて質問ですかー?」

「歩くのが速いというものが何故か、っていうものだ。はっきり言えば皆の歩き方はかなり無駄が多い」


 周りの初級者を見回しながら口を開く杉。


「例えば一馬は左右の歩幅が違うしそれぞれの蹴りの強さも違うため速さが一定ではない。それはつまり速いときの蹴り出しの後、遅い蹴り出しになるとそれはブレーキを掛けながら進んでいるようなものだ。だから同じような左右の蹴り出しをするとよりスムーズになり速く歩けるようになる」


 他を見回す杉。


「熊太は大きいからと言って大股で歩く。これを横から見れば分かるが頭が上下にかなり動いているだろう。虎太郎もそうだ。この歩き方はかなり無駄が多い。後ろ側の足が地面に接地している時、前進する力というのは重力で地面に付いた足から重心が前方へ弧を描いて動く円運動のときのトルクだ。重力を脚方向へ、と直角方向へ、の二つに分解するとこの直角方向がトルクだ。脚方向へは地面に対する垂直抗力と摩擦によって支えられる。地面が凍っていたりすると、氷は摩擦が小さいため、歩幅が短くなる理由でもある」


 一旦言葉を切って周りを見て一応付いて来ていることを確認する杉。


「歩いている時、止まろうと思えば足を前へと出すと思う。走っているときなら顕著だろう。大股と言うことはこのブレーキを掛けているということだ。また重心の上下運動が大きいとはそれだけ無駄に移動していることでもある」


 様子を見回す杉。


「速く歩くためには、まず重心の前に足を置かないことだ。前に出す足は重心の真下辺りがいいだろう。そうすればブレーキにならずに滑らかに進める」


 溜めを作る杉。


「他にも脚を一度前に振ってから地面に振り下ろす。股関節を中心に回転させて地面に接するときに地面と速度を持たせる。これによって地面で急停止させるとトルクが発生し重心を前へと押し出す」


 息を吐く杉。


「後ろ側の足は爪先立ちがいいだろう。前側の足は踵で接地すると直角三角形となるようにすれば重心の上下運動も緩和される」


 初級者の一人に視線を合わせて続ける。


「龍太みたいに猫背じゃなく、視線を上げて遠くを見た方が体の左右のブレも少なくできるだろう。蛇行すると余分な距離を歩くことになる」


 他の者へ視線を移す杉。


「竜義のように腕を背骨を中心にそれを軸として回転するよう左右に振り回さず、両肩を通すように棒があると意識し、その棒の周りを回転するように腕を振れば前後に腕は振れる。意識としては肘を腰に当てるように前後に振ることだ。脇を締めるとかいうだろう。肩というのは動きやすいからな。また腰回りからの捻りもそれで打ち消せる。両肩を進行方向から垂直のままにしておく方が安定性が得られるからな」


 視線を上げ、空中を睨むと唸り、また皆へと瞳を向ける。


「こんなところか。歩く。そういう皆がしていることですらこんだけ違いが出る。無駄なことを省くだけで速さは増す。向きを心がけるだけで距離が伸びる。足首を返せばそれだけでも歩幅の距離は伸びる。だが大股で距離を伸ばすことはブレーキが掛かるというロスが発生する。メリットとデメリットが同居する方法もあるんだ。どれがいいのか、どれが悪いのか、自身の判断で確かめてくれ。以上だ。組手を続けてくれ」


 ふぅっと息を吐き出し、涼香をちらりと見る杉。


「大丈夫そうですね。ちゃんとしてましたよ。でもいろんなこと考えてるんですね。歩く行為そのものがそんなに違うとは思いませんでした」

「あははは、これでも勉強もしてますからね。でも伝えたことが即座に理解できるわけでもありませんし、実行も当然無理ですからね。繰り返し教えていかないといけません」

「確かにそうですね。じゃあ辰巳さん、後は、よろしくお願いしますね」

「はい、任せてください」


 そう言って胸を張る杉だった。

 去っていく涼香を見送る杉に初級者のみんなが近寄って騒ぐ。


「もっとアピールしなきゃ」

「お嬢さんに逃げられるぞー」

「いつももっと積極的になれっていうのに先生が消極的ー」

「ロック先生に取られちまうぞ」

「だー、うるさいっ、お前らっ!」

「逃げろ~」


 杉は速く、全員を素早く追い掛け、捕獲するのだった。






「竹木さん、どうしたんですか?」

「よく来てくれた、杉君。まずは座ってくれ。お茶でもどうぞ」

「はぁ、どうも。いただきます」


 いきなり呼ばれた杉は席を勧められて、お茶を飲む。

 鼻がす~っとする、通りがよくなる感じがするお茶だった。


「なんです、これ。飲んだことないんですけど」

「ああ、これは薬湯だよ。そこで植えられてる木の葉っぱを使ったね」

「薬湯にしては飲みやすいですね。鼻の通りが良くなる感じがします」

「そうだろうそうだろう。いや~、あの果物おいしくなくて売れないからね。だから何かに使えないかと思って調べたら葉に薬効があってお茶として飲まれていたらしいんだ。しかも原種と違って飲みやすく薬効も増していた。これを売りに出せないか、と思ってね」

「いいんじゃないですか」

「若者の意見も聞きたかったんだよ。上とはもう話がついている」


 そういってドヤ顔を決める竹木。


「鼻の通りが良くなる、つまり呼吸がしやすくなるってのは呼吸法が主の『龍の息吹』にはちょうどいいだろう。そこでCМとして武術大会を開催してそこで試飲させようと思っているんだ」

「ほほぅ。しかし内輪の大会じゃヤラセなど疑って余り効果は見込めないんじゃないのでは?」

「そうなんだ。だが他の武術家を呼んで倒せば変わってくるぞ」

「その所属の団体が嫌がるのでは?」

「だから優勝賞品を大きくする」

「いいんですか? その木の果樹園を受け継いだために赤字になるって言ってませんでしたか?」

「このままだと、な」

「じゃあ、やばいのでは?」

「だからうちの者が勝ってくれないと困るんだよ。そこで優勝賞品に代わるうちの者が欲しがる条件を取り付けてきたんだ」

「その条件とは?」

「聞きたいかね?」

「言わないんなら帰りますよ」

「待った待った。言う。言うから」

「さっさとしてくださいよ」

「まったく分かってないんだから……。なんとぉ、優勝者には桜木のお嬢さんとの婚約が得られるっ!」

「なんだとっ!!」


 杉が席を進める。前のめりで竹木に詰め寄る。


「どういうことだ。さっさと話せっ!!」

「おおうぇ。お、落ち着け。話せば分かる。優勝賞品は梅木会長から出してもらえるようになった。がそれでも取られたら痛い。だからうちの者が優勝したら皆に人気のある桜木の嬢ちゃんをやる、ということを餌に勝ってもらおうと話を通しだんだ。うちの実力者、杉君や楢君など嬢ちゃんに気がある者たちが頑張れば優勝はうちのものだろうからな」

「涼香お嬢さんはそれで引き受けたのかっ!!!!」

「ああ、梅木のおじさまのためと言ってな」

「なんてこった……」


 額に手をやり、苦悶の表情をとる杉。

 ここで梅木とは『龍の息吹』の創設者のこと。


「竹木さん、恨みますよ」

「優勝しちまえばいい。良い機会だろう」

「涼香お嬢さんの意見を無視するようなことが許せないんですよっ!」

「君が勝てば、意見を無視したことにはならないんじゃないか? 嬢ちゃんも期待していると思うぞ、君が勝つことを」

「たとえ、そうであっても、ですっ!」


 杉は拳を握りしめ、歯を食いしばる。




次回 大会前。杉が涼香に負けフラグを立てる。そして第一回大会が始まった。「08 師匠の過去と第一回大会」

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