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放屁拳  作者: 山目 広介
10/20

10 師匠の因縁と家出 4796

 杉は名前を呼ばれ起き上がる。

 休憩室のソファーに寝転んで、そのまま寝てしまったようだった杉。


「杉選手。もうすぐ試合が始まりますので起きたらすぐに来ていただけますか」

「ああ、わりぃ。すぐに行く」


 腕を上げて、伸びをしながら杉はもう一つの準決勝のことを訊く。


「ロックの試合はどうなったんだ?」

「なかなか迫力がある試合でしたよ。その試合を制して楢選手が勝ち上がりました」

「そうか。ロックが勝ち上がったのか」


 気合を入れて立ち上がり、鬼の形相となって呼びに来たものを脅えさせる杉。


「これで遠慮なくあいつの顔に拳を叩き込める」

「じゃあ、早く行きましょう。そうしないとボコれなくなりますよ」


 急かされて会場へと向かう杉。

 会場は今か今かと待ち望まれている試合。

 遅れて登場した杉に歓声が飛ぶ。罵倒も。

 盛り上がっていることが容易に分かる状況だった。

 武台に上がる杉に、睨みを効かすロック。


「激戦を続けてへばってないか、ロック?」

「おかげでゆっくり回復させてもらったよ、タツミ。そっちこそ寝ぼけて負けましたという言い訳は聞かないぞ」


 杉は遅れたことの皮肉を言われて眉を(ひそ)める。


「そりゃないだろ。万全になるように、せっかく時間を作ってやったのに」

「ぬかせっ。さっさと始めるぞ、タツミ」


 そしてこの武術大会の最後の試合が開始される。






 いつもの呼吸から気が充溢され始める。

 緊張が高まり、両者の気がせめぎ合いをしているかのように静寂に包まれる。

 一瞬、その高まった緊張が弾け飛ぶ。


 ガシィイイイイイイイイイイ!!!!


 両者、正拳突きを腕で受け止める。

 反動で後ろに(かし)いだと同時にロックが回し蹴りを放つ。それを迎撃する杉は空中で蹴りを交差させる。

 そして今度は両者ともに深く踏み込み殴り合う体勢になる。

 そこで僅かに杉の攻撃が揺らぐ。

 その一瞬の揺らぎが両者のこの攻防の天秤を傾けさせる結果となった。

 ロックの攻撃が先に入り、そこから杉が防戦一方になる。


「試合中何かヒントを見つけて強くなったようだなタツミ!」


 攻撃しながらロックが杉へと話しかける。


「だがお前だけが強くなるわけではないッ! 俺も強者と巡り合い、それを倒し強くなった!」


 ロックの攻撃が杉の防御を抜け、顔を弾く。血が舞い散る。


「藤堂を倒した一瞬しか本気を出せなかったのがお前の敗因だ! だから俺が纏う紫煙の匂いに気を揺るがせ、集中を削ぎ、意識を逸らした。闘いの最中に、なぁあああ!!」


 先の一瞬、杉の攻撃が揺らいだのは杉の苦手なタバコの匂いをロックが試合前に纏って準備していたからだ。

 『龍の息吹』は呼吸を重要視し、そしてその呼吸が乱れれば当然力が弱くもなる。

 力が同格とされる二人。これ以上の伸びはなかなかに困難を極める。

 ならば相手のその力を削ぐという方向へ行くことも間違いではない。


 杉はカウンターを放つも打ち負け、フックを躱せば肘が頬を弾き、渾身の一撃を躱される。

 一瞬の揺らぎがその後の展開にこうまで影響する。


 再度杉は殴り掛かるも、踵落としが迫り頭を傾けて躱すも、肩に落とされ、攻撃が届かず不発に終わる。

 深く踏み込むロックに膝蹴りで迎撃。ロックはふっと飛退き、杉の膝蹴りの回転を増すように押される。

 体勢を崩した杉に容赦なく襲い掛かるロックの猛攻。

 距離を取ろうとする杉に対して、このまま決着をしたいロック。

 相手の思考を読んで、ならばと考える。

 起死回生で逆に懐へと飛び込む杉。だがその拳は躱され、反対に肘を喰らう。


 破れかぶれで捕まるほどロックは甘くはなかった。

 そしてここでまた仕切り直せば、どちらに天秤が傾くか分からない。

 どう考えても逃がさず仕留める気だと判断できる状況。

 ここを凌がなければ敗れること必至な杉。




 絶叫する。


「うぉおおおおおおおぁああああああああ!!!!!!」


 鬱憤を叫びに変えて、ロックに攻める杉。

 飛び蹴り。しかも三連蹴り。左右に、それと下から。左右はガードする。さすがのロックも下からの攻撃までは()け反っても躱しきれずに頬が切れる。

 そこへ休まず殴り掛かる杉。両腕でガードするロック。しかし()じ開ける。捻りを加えて肩も入れる。弾けるロックの顔。馬淵にされた攻撃だ。

 杉は、さらに踏み込みロックの迎撃をクロスカウンター。

 体重を乗せた突進の拳。両者それを防げず、ましてや躱せず、顔面へと叩き込まれる。

 弾ける両者。

 後退し、一瞬意識が飛んだのか、動きが止まる。


「「うぉおおおおおおおおお!!!」」


 両者叫び、すぐに睨み合い、またしても踏み込む。その腕が交差する。

 またしても弾け飛ぶ。血が舞い散る。

 繰り返す。拳が交わる。

 拳の語らい。

 血飛沫が躍る。


 『龍の息吹』なら途中で離れて呼吸を整えるのが普通だろう。

 だが、ロックが杉を逃がさない。同格の相手が弱ったらそこで叩き伏せるという気迫。

 逃げられないならば、叩き伏せる。杉のその思いが拳に宿る。


 相打ちの拳が両者の顔に決まる度、二人の血が床を朱へと塗られていく。


 ロックの有利を打ち消していく杉の攻撃。


 その杉の気迫を相殺するロックの鬼気。


 並び立つ二名の怒気はお互いを食い潰すかのように対消滅されていく。


 互いが互いを降そうと、その力を誇示し、加減せず全力で振るわれる。


 両者の膝が笑い、頽れそうになっているのに殴り合いを止めない。

 相手が倒れるまで、自分が倒れるということを考えていないかのように。


 その思いはあれど、人は無限には動けない。

 いつかは倒れる。

 さすがは同格と言われるライバル同士。

 殴り合い、弾かれ、睨みあった後、ともに膝から崩れ落ちる時がやってきた。

 両者の顔はいつの間にか腫れ上がり、青やら赤やら入り交じって黒く染まっていた。




 なかなか立ち上がらない。

 杉の指が動き、目を開ける。

 ロックも呻き、腕を引き寄せる。

 立ち上がろうと両者がもがく。

 先に杉が上体を起こす。ロックは未だ腕が震えて、もがき続ける。

 膝を立てる杉。ロックも遅れて顔を上げる。

 杉が立ち上がる、かに見えたが体が傾き腕を突く。

 その間にロックが膝を立て、身体を起こす。

 それを見た杉は歯を食いしばり、今度は立ち上がる。

 ふらふらしながら両者が近づき、拳を振り上げる。まだ闘う気だった。


 倒れたのは杉だった。

 最初の均衡が崩れてから回復を挟まずに闘った代償だろう。

 振り上げた腕を降ろすこともなく倒れていった。

 ロックも倒れそうではあるが、杉のその姿を見届け腕を上へと差し上げる。

 誰が勝者なのかを周囲に示す。それと同時に歓声が上がる。

 武術大会はロックが優勝した。






 杉の病室に涼香が来ていた。


「楢さんとの婚約が決まりました」

「……そうですか」


 杉の見舞いに訪れていた。杉の顔は腫れはもう引いていたが、その痣は起き上がったいる間に首の方へと流れて気味悪がられていた。そんな杉を見ても涼香は何も言わない。

 実際はロックを先に見て知っているからなのだが。


「退院したら籍を入れるそうです」

「退院……。それはいつごろですか?」

「杉さんと同じだと思います。杉さんは退院したらどうされますか?」

「修行の旅に出ようと思います。ここを離れてどこか遠くへ、と」

「旅に出る前に必ず声を掛けてください。黙ってどこかへ行かないでくださいね。お願いしますよ」

「いや、しかし……」

「約束ですよ。破るのは二度とはしないでくださいね」


 杉は優勝するという約束を破ったため、そこを衝かれると弱かった。


「分かりました」


 仕方なく、そう返事をするしかない杉だった。

 それから数日が過ぎ、杉は退院した。




 指導員として辞めることを事務所へ報告し、それに伴って引継ぎを行っていた。また部屋の片づけをし、荷物を纏めて旅の準備などを杉は淡々と済ませる。

 がらんとした部屋の中。しばしそこに(ただずみ)、物思いに(ふけ)る。


 未練を断ち切って顔を上げ、その荷物を持って出かけようとする杉。

 日も落ちようという黄昏時。薄暗い中、歩を進める。


「杉さん」


 そこへ後ろから声が掛けられる。人影が現れるもその姿は薄闇に包まれている。しかしその声に杉は聞き覚えがあった。それは涼香の声だった。


「お嬢さん。いや、もう奥さんというべきかな」

「そうですね。もう苗字は楢になってます」


 目を凝らすとだんだん姿が見えるようになってくる。

 そう言った涼香は左手を翳し、その指に煌めく物があることを示す。


「杉さんはまた約束を破る気だったんですか?」

「……」


 図星を衝かれ、杉は俯き、その表情を(しか)める。


「杉さん、ついて行っていいですか?」


 いきなり涼香は驚愕することを述べた。


「えっ? どういう……」

「私、家出してきちゃったの」


 照れた表情に恥ずかしそうな仕草をする涼香。

 その手には地面に置かれた大きな荷物から伸びる帯が握られていた。


「さぁ、行きましょう」


 荷物を担いで、杉の手を引っ張る涼香。

 杉はよく分からずにされるがまま旅へと出発したのだった。







「……、ねぇ、それって復讐する要素どこにあるの?」

「えっ」


 その発言にガップは悩む。


「ガップは本当に楢の子供なの?」

「えっ、衝撃の親違い疑惑!?」


 ケイの言い分も分からなくはない。唸り始めるガップ。


「逆に杉が楢の嫁さん寝取ってるのでは、という疑惑もあるし」

「むむむ……」

「逆恨みとも言える。逆に楢が恨みに思っていてもおかしくないよ」

「うぉおおおおお」


 ガップはバカだった。

 ケイのいうことに訳が分からなくなり頭から煙を噴きそうになる。噴火寸前の火山の様だった。


 そこへ一人の人物がやってくる。


「食事中に失礼致します。これを楢月賦(・・・・)さまへと渡すよう武術大会の役員から言付かっています。どうぞ受け取りください」


 二人にホテルの従業員らしき人物がやってきてガップへと何かを手渡す。


「なになに、なんか明日、この辺り会場の準備に人の出入りがあるから隣の町の遊園地の中のタダ券を渡すので、しばらくここから離れていて欲しいっていうことらしいな」

「へ~、これペアだよ。食事もタダだよ、朝から行こうよー」

「えっ、ケイも行くの?」


 ガップは驚いたように言う。


「そんな~、一緒に連れてってよー」

「冗談冗談。当然だろ。一緒に行こう」


 だだを捏ねる子供のようにケイが振舞うと、それをみて満足したのかすぐに先の言葉が冗句だと明かすガップだった。


「じゃあ、明日の朝、ロビーに集合して出発ということでいい?」

「了解。じゃあ、また明日。寝坊すんなよー」






 ケイの部屋から大きな笑い声が響き渡った。

 部屋に戻ったケイは思い出していた。


「……をナラガップ……」

――おならが、ぷっ――


 名は体を表すという。


「ぷっ、くくく、あはははは、アーハッハッハッハッハ」


 ケイはまさしくその名の通りの人物だったことにまたしてもお腹が筋肉痛になるまで笑い転げるのだった。






 翌日。

 武術大会の本戦準備のため、本戦出場選手は言わば休暇であった。

 当然、ガップもそうだった。

 ロビーで集合の予定だったがなかなかケイが現れない。

 心配で受付に頼んで様子を訊いてもらう。

 そして現れたケイは昨日と同様にお腹を押さえてやってきた。


「どうしたの? 食べ過ぎ?」

「ちょ、どういう目で私を見てるのよー」


 ガップはそう言われて目を逸らす。


「なんでこっち向かないのよー。ひどくない?」

「あははは」


 笑って誤魔化すガップ。


「それで今日はどうしたの?」

「え、えっとー……」


 今度はケイが目を逸らす。


「……痛」

「えっ? 何? 聞こえない」

「筋肉痛よー」


 ケイの顔は真っ赤だった。


「まさか二日続けて!?」

「ガップが悪いんだからね!」

「酷い言いがかりじゃない?」

「いやあの後部屋に戻って思い出したんだー」

「いったい何を?」

「ガップの名前に最初『お』をつけると『オナラが、ぷっ』て聞こえてそれが放屁拳と相まって笑いが止まらなくなったんだよー。暴れてベッドから落ちるわ、そのとき机の上のペンが落ちても吹き出して大変だったんだよー」


 それから遊園地へ行き、たくさん飲み食いをするのだった。




次回 本戦が始まる日。ガップがケイのツボを押す。ケイが羞恥に晒される。バフゥー


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