私立探偵カサドールと宝石の足跡
-1-
「おい、そこの馬車!お前だ!止まれ!」
1人の男が商業の都リシュモンへ向かう乗合馬車を呼び止めた。
通常なら停留所でもないのに馬車が止まる必要などない。しかし、その時の御者は緊急停止せざるを得なかった。
声をかけた男の他に、鎧を着た数人の男達が、広い街道を塞ぐようにして立っていたためだ。
「な、なんだアンタ達は!?こんなボロ馬車から金でも盗ろうってのか!」
「王宮騎士のエドワード・フォルティスだ。この馬車を調べさせて貰う」
「へ?き、騎士様でしたか……こりゃ失礼を」
突然の事態に、御者は威勢よく啖呵を切るが、フォルティスが身分を明かすとすぐに従順な態度を取った。
「この馬車はベセルの町を通ったか?」
「へえ、あそこには停まらずに通り過ぎましたが」
「そうか。あの町で強盗があったことは知っているか?」
「強盗……ですか?馬を走らせてたんで気付かなかったですねえ。いつもより騒がしかった気はしますが」
馬車が呼び止められる1時間ほど前、ベセルの町の宝石店で強盗事件が発生。多くの宝石や貴金属が奪われた。賊は捕らえられ、盗品のいくつかは取り返すことは出来たが、その店で特に価値の高い“レッドダイヤ”だけが見つからなかった。盗賊には仲間が居て、既に受け渡しが終わり逃亡していたのだ。町の出入り口は事件発生後すぐに警備兵で固められたため、徒歩で町を出るのは不可能だった。しかし、封鎖が間に合わなかったのか、それとも警備の怠慢か、とにかく事件があってから町に入り、そして出て行ったのはこの馬車だけだった。
「乗客は何人いる?」
「4人でございます」
御者に聞きながら中を覗き込むと、乗客達は一斉にフォルティスに注目した。
「あの、何かあったんですか?」
買い物帰りと思われる、カゴを持った婦人。頭巾を被り、エプロンをしている。
「ママー、まだお家につかないの?」
婦人の子と思われる、10歳ぐらいの少年。何が起きたのか分からず、母親の手を握り、こちらと母親を交互に見ている。
「あんた誰?その恰好、どこかの騎士様よね?」
生意気な態度の少女。こちらは15、6歳といったところか。
「……」
ボサボサの黒髪を押さえて無言でこちらを見る男。
おそらく25~30ぐらいだろうか?表情が見えず何を考えているのか掴み辛い。
「一人づつ降りろ。順番はお前たちで決めていい」
フォルティスはそれだけ言って馬車から離れた。
「あの…」
しばらくしてカゴを持った女が窓から顔を出した。
「ハンと一緒でも良いでしょうか?親子なんです」
ハンとは少年のことだろう。
「まあいいだろう。二人で降りてこい。御者は手を貸してやれ」
「へえ」
御者は手際よく馬車の扉を開け、母親と少年の手を引いて降ろす。
フォルティスは部下の騎士達に簡易的なテーブルと椅子を用意させると、親子に向かい合い話し始めた。
-2-
「俺はエドワード・フォルティスだ。急いでいるところ悪いが、協力していただく」
「は、はい……」
状況の掴めていないソフィアを何とか落ち着かせ、強盗があったことや盗品のダイヤを探していることを説明し、協力を取り付けた。
「まずは名前と職業。あとどこで馬車に乗ったか教えてくれ」
「ソフィア・ブラウンと申します。鍛冶師の妻です。こちらは息子のハンです。
馬車にはミニットの市場で果物を買って帰る時に乗りました」
言いながらソフィアは買い物カゴを見せる。
カゴの中身はリンゴが5個にオレンジが3個、レモンが2個。もちろんダイヤなど入っていない。
「目的地はリシュモンか?」
「いえ、インスツルです。そこに家がありますので」
インスツルとはリシュモンの手前にある小さな町だ。
「なるほど、ベセルを通過する時に強盗があったことは気づいたか?」
「何か騒がしいとは思いましたが強盗とまでは…」
「馬車の中で何か変わったことは?」
「うーん、特には…そうだ、町を出た辺りでハンがお腹が空いたというので果物を1つあげました。ただ一口齧っただけで、酸っぱいからと窓の外に放り投げてしまって」
「だってあんなの食べられないもん」
草を弄って遊んでいたハンが声をあげる。
「ふん、元気なことだな。他の乗客に不審な点は?」
「あのお二人も特に怪しいと思うところは…。女の子の方が男性によく話しかけていて、男性の方はあまり話したくないのか聞き流していたみたいでした」
「会話の内容は聞いていたか?」
「そうですね…女の子の方は声が大きかったので良く聞こえました。『リシュモンに行けるなんて楽しみ』だとか『今度の仕事は簡単そうね』だとか言ってたと思います」
「仕事、か…」
仕事と聞き、強盗のことかと一瞬連想したが、すぐに打ち消した。まさか大声で計画を話すほど間抜けではあるまい。
「ご協力感謝する。一度馬車に戻ってくれ。ハン君もな」
「はい」
「うん!」
ソフィアはハンの手を引いて馬車に戻っていった。
「わたし達急いでたんだけど!これって任意聴取よね?」
ブラウン親子と交代で現れたのは残った2人の内の少女の方だった。
赤みがかったショートヘアーの下から覗く両目は、馬車を止められた怒りでつり上がっている。
さっきの親子に比べると幾分厄介そうだ、とフォルティスは思った。
「悪いが強制だ。名前と職業を」
「あ、いっけなーい。クライアントとの約束に遅れちゃうわー。これは1秒たりともここにはいられないわー」
「名前と職業だ。小娘」
見え見えの芝居をする少女にフォルティスは語気を強めて言った。
それが効いたわけでもないようだが、少女は小さく舌打ちしてから答えた。
「名前はエラ。エラ・サインダー。ミニットの宿屋で働いてるわ。アルバイトだけど」
「さっきの親子もミニットで馬車に乗ったと言っていた。4人ともミニットで乗ったのか?」
「そうよ。ご婦人が乗る時にカゴから果物を落としてたから拾うのを手伝ってあげたわ。他のはともかくリンゴは重いわよね。他のも合わせて10個も持って歩くなんて。ああいうのはそもそも男がやるべきだと思わない?あんな風に重いカゴを抱えて子守もしなきゃならないなんて。全く結婚なんてするものじゃないわね」
本来はおしゃべりな娘なのか、聞いてもないことをペラペラと話すエラ。
このまま聞いていたら終わりそうになかったので、フォルティスは無視して本題に入ることにした。
例の“仕事”の件だ。
「目的地はリシュモンだそうだな?宿屋のアルバイトが馬車で遠出して何の仕事をする?」
「さっきの人達に聞いたの?企業秘密よ」
いちいち非協力的な態度をとる小娘だ。こいつが犯人ならどんなに楽なことかと思いながらも、フォルティスは質問を続けた。
「ベセルを通過する時に強盗があったことには気付いたか?」
「知らないわよ。確かに町を通る時はうるさかったけど、私は仕事の打ち合わせで外は見てなかったし」
「打ち合わせというのはもう一人の男とだな?男との関係は?」
「企業秘密」
仕事の話はあくまでも企業秘密らしい。ここまで意固地になられては聞き出すのは難しいだろう。
「なら別の質問だ。馬車の中で変わったことはあったか?」
「う~ん、無いんじゃない?あ、そういえば馬車が止まるちょっと前に、ご婦人がお子さんを叱ってたわね。果物で遊んでたみたい」
ハン・ブラウンが果物を放り投げたという話だろう。これはソフィアの証言と一致する。
「ホント買い物しながら子供の悪戯も見てなきゃいけないなんて大変よね。結婚なんてするものじゃないわ」
「それはさっきも聞いた」
エラの軽口を聞き流しながら、フォルティスは考えていた。態度に問題はあるが、“企業秘密”の部分を除けば話の内容に不自然なところはない。
しかし、それについてはこの娘から聞き出すのは難しいだろう。
「まあいいだろう、馬車に戻って男の方を呼んで来い」
「ねえ、協力したんだから金一封とか出ないの?」
「出るとしてもお前には出さん」
エラはフォルティスをしばらく睨みつけたが、やがて渋々馬車に戻っていった。
最後の男が出てくる前に、部下の一人がやって来た。フォルティスの前で姿勢を正し、大声で報告する。
「フォルティス殿!馬車の調査が終わりました!」
「ああご苦労。どうだ?」
「ハッ!積んであった荷には替えの車輪や手綱があるだけでした!
御者の座っていた運転席にも何かを隠す隙間はありません!客席も同じです!」
馬車は一般的にワゴンと呼ばれる、馬が2頭立ての4輪型だ。車両は木で出来た屋根付きの箱型で、中には向かい合った横長の座席が2つ。片方の席に2人、つまり4人掛けの狭い馬車だ。各席の横には、頭が出せる程度の、枠だけの窓がそれぞれ付いている。
「ま、そうだろうな。他に怪しいところはあったか?」
「ハッ!全体的に古い馬車ですが、客席の窓の下に1ヶ所だけ特に破損した部分がありました!御者にも聞きましたが、今までこんな傷はなかったと言っていました!」
「どんな傷だ?」
「えー、こう、木の壁に細長い穴が空いてました。貫通はしていませんでしたが。何と言うか……そう!木に剣や矢が刺さったらあんな感じになると思います!」
車両の壁に剣や矢の痕?乱暴な運転で石でも刺さったか、大工が修理の時に手を滑らせたか?
いずれにせよ、大した手掛かりになるとは思えなかった。
「ご苦労だった。引き続き調査に当たってくれ」
「ハッ!失礼します!」
部下を下がらせてからフォルティスは気づいた。客の男はまだ出てこないのか?
フォルティスが馬車の方を見ると、一人の男が立っていた。
「悪いな、話が終わるのを待っていたのか?こっちに来て座ってくれ」
男は俯いたまま、フラフラとした足取りでテーブルに着いた。
ボサボサの黒髪で目が隠れ、表情を窺い知ることが出来ない。
「名前と職業を」
フォルティスは先の3人と同じように質問を始めたが、
数十秒が経過しても男は黙ったまま返答がない。
「どうした?名前と職業を聞いているんだが」
「……う……」
「う?」
「う、う、ウゲエエエェェッ!」
テーブルの横の地面に吐しゃ物がまき散らされた。男は乗り物酔いを我慢していただけだったのだ、ついさっきまでは。
フォルティスは自分のブーツにかかった飛沫を見て、今日一番の嫌な気分に襲われた。
-3-
「まずはあの悪魔の揺りかごを止めてくれたことに感謝致します、騎士殿」
「いいから早く名前と職業を言え」
よほど馬車酔いが苦しかったのか、男はうって変わって爽やかな顔でフォルティスに感謝を述べる。
だが汚物の掃除をさせられ、それなりに愛用していたブーツを汚した張本人の言葉を素直に受け止めるわけがなかった。
「先ほどは失礼しました。私はオリス・カサドール。ミニットで探偵をしています」
「探偵だと?聞いたことがないな」
ミニットの町は狭く、人口も少ない。悪く言えば田舎だ。
フォルティスも数回訪れただけで、大体の地理や、そこで商売をする人々のことは把握していた。
「まあ事務所を持っていないもので。今は宿屋の一室を借りているところです」
「要するにモグリか」
「それは否定出来ません」
嫌味を言ったつもりだったが、カサドールは涼しい顔のまま受け流した。
「さっきの女は企業秘密と言っていたがな。お前達の関係は何だ?」
「エラは私の借りてる宿屋のアルバイトですよ。家賃の徴収を名目に、マネージャー気取りで私の仕事に首を突っ込んでくるんです。私の方は隠しごとなんてありませんよ」
「ふん、そうか。リシュモンで仕事があるそうだな。依頼人は誰だ?」
「それは信用に関わるのでお答えしかねます。ただ、今の強盗事件には関係ないとだけは言っておきます」
いちいち胡散臭い男だ。同じ隠すにしてもこの男は言い訳に長けているらしい。
反抗的なだけのエラの方がまだやり易かったのではないか、とフォルティスは思った。
「では事件の話を聞かせて貰おうか。馬車の中で何をしていた?」
「私はダイヤの指輪なんて持ってませんよ。騎士様」
「……何だって?」
突然の飛躍した回答に虚を突かれ、フォルティスは思わず聞き返した。
盗品がダイヤだと説明したのは御者と、ブラウン親子だけだ。エラは最初から喧嘩腰だったので説明しそびれている。
取り調べを盗み聞きしていたにしても、そのダイヤが指輪に嵌っていたことは誰にも話していない。
「ここの紙に書いてありましたよ。あなたは随分念入りにメモされる方のようだ」
そう言いながら、カサドールは1枚の紙を指で摘まみ上げる。
それはフォルティスが先ほどまで取り調べや現場の様子を書き記したメモだった。
「な……!誰が見ていいと言った!」
フォルティスはしまったと思いながら、声を荒げてメモを奪い取った。
「そこに無造作に置いてあったのだから仕方ないでしょう?ちなみにもう大体目は通しましたので」
カサドールは相変わらず涼しい顔であっさりとメモを持つ手を離した。
奪い返したメモを見直すフォルティスはあることに気づいた。
「待て、それでも俺はここに指輪なんて書いてないぞ」
「考えれば分かりますよ。ショーケースに飾っていたなら、石だけを転がしておかない。何かしら装飾品に嵌っているものです」
「だとしても装飾品なんて指輪以外にいくらでもあるだろう?ペンダントやイヤリング、ブレスレットだって」
「確かに。でも指輪が一番隠しやすい」
「ますます訳が分からん。順番に説明しろ」
「よろしい!ではご希望にお応えして、一からご説明させて頂きます」
カサドールはおもむろに立ち上がり、手を前に出し、大げさに会釈して見せた。
どうやら“説明しろ”の言葉を待っていたらしい。今までの会話の流れもおそらく誘導だったのだ。
フォルティスは再び、しまったと思った。
「目の前で吐いて見せて俺に掃除させたのも、それを読むためか?」
「まさか。私の胃はそこまで自在じゃありません」
軽口は相変わらずのまま、カサドールは話を始める。
「まず話すべきは、宝石店から盗み出されたレッドダイヤをどうやって馬車に持ち込んだのかです」
「まだそう決まったわけじゃない」
反論するフォルティスを無視してカサドールは説明を続ける。
「強盗が逃げながら持っている宝石を走る馬車に移動させるにはどうします?並走して中に居る仲間に受け渡す?馬車に走って追いつくのは無理でしょう。遠くから窓に投げ込む?馬車の窓は小さく、投げ入れるのは至難の業だ。屋根に乗ってしまえば誰も回収出来ないまま、あなた方が見つけていたでしょう。」
「ではどうしたと言うんだ?」
「馬車の壁に細長い穴が空いていましたね?強盗が弓矢か何かを持っていたら、それに袋に入れた宝石を括りつけて飛ばすことは出来たはずです」
「それがあの穴だと?町で捕まえた賊は弓なんか持っていなかったぞ」
「矢を使わなくても、投げナイフやブーメランでもいい。あまり強力なものでは壁を貫通してしまうかもしれないから、使うとすればナイフかな?馬車は疾走して常に揺れていたから、刺さった衝撃も大したことはありません。木の枝か、鳥がぶつかったぐらいには思ったかもしれませんが。とにかく、レッドダイヤは馬車の壁にしばらく刺さったまま、まんまと町を出てしまった」
「刺さったところで、我々が馬車を止めるまでに誰がどうやって回収する?お前達4人の中の誰でも、目立つ動きをすれば互いに気づくはずだ」
「目立つ動きはしていましたよ。しかしその時は誰も疑わなかった」
「それは何故だ?」
カサドールは一瞬考える仕草をしてから答えた。
「そうですねえ……“子供のすることだから”?」
遠回しな物言いだが、誰のことを言っているのかはすぐに勘づくことが出来た。
しかしそれは実に突拍子もない答えだったので、フォルティスは声を荒げた。
「ハン・ブラウンが賊の仲間だと言うのか!」
「恐らく母親も共犯でしょう。馬車の反対側にナイフが刺さっていれば、母親が回収役だったはずです」
取り調べを受けた時のブラウン親子の印象は、突然の出来事に怯える母親と何が起こっているのか理解できない息子だ。もちろんそれだけで容疑者から外すつもりはなかったが、あの態度が演技だったとはフォルティスには信じ難いことだった。
それに、カサドールの話はそれなりに筋が通って聞こえるが鵜呑みには出来ない。目の前で演説するこの男こそ真犯人でブラウン親子に罪を擦り付けている、と考えることも出来る。むしろこの男の怪しさを加味すると、そう考える方が自然だ。
「では聞くが、ハンがそれをやったとして、どうやってお前達の目を盗んでダイヤを回収する?」
「それはあなたの取り調べを思い返せば分かります。『ハンはお腹が空いたと言ってソフィアから果物を受け取った』これはソフィアの証言ですね?」
「そうだ」
「『ハンは受け取った果物を酸っぱいと言って外に放り投げた』これもソフィアの証言だ」
「そうだな。ハンも認めている。お前達も見ていたんじゃないのか?」
「ところが、私とエラはそれを見ていないんですよ」
「何だと?」
「正確には、ハンとソフィアの会話は聞こえていました。それからハンが窓から上半身を乗り出すところも見ていました。ですが、肝心の外に放り投げるところは見てないんです。彼の体が陰になっててね」
確かにエラの証言でも『母親が叱っていた』としか言っていなかった。あれも投げるところまで見ていなかったからだ。
「さて、見えていなければ色々なことが出来ます。例えば、ナイフを引き抜いてダイヤを回収するとか。さらに取り出したダイヤをオレンジに隠すとかね」
「オレンジ?」
「レモンを子供のおやつに渡すのは不自然だ。リンゴは重いし皮が捲れてたら目立ちすぎる。だから母親が渡したのはオレンジです」
「また誘導か?分かるように言え」
今までの会話でフォルティスも勘づいていたが、カサドールはこちらが聞き返してくるように所々飛躍した説明をしている。お望み通り聞き返すのは癪だが、そうしなければ話が進まない。
「こう、オレンジに押し込んだんですよ、ダイヤの指輪を。オレンジ程度の固さならリングの部分を押し付けるだけで埋め込むことが出来ます」
言いながら、左手の親指と人差し指で輪を作り、右手の平に押し付ける。
“なぜ指輪だと分かるのか?”という問いに対する答えがこれだった。
「ダイヤをむき出しのまま持つのは不安だったのでしょう。現に今みたいに検問に遭ったら見つかっていた。だからオレンジに隠し、私達に見えないようにそっとカゴに戻した」
「言いたいことは分かったが、それはお前の想像でしかない。オレンジ……果物を投げたって証言が嘘だとなぜ言える?」
「あなたはカゴの中の果物を数えている。何か気付きませんか?」
フォルティスは自分のメモに再び目を通した。
「リンゴ5個、オレンジ3個、レモン2個……」
ソフィアを取り調べた時に書いた部分を指でなぞりながら呟く。
「合計10個だ。では次のエラの供述を見てください。『果物を10個も抱えて重そうだった』。これはミニットで4人が乗り込んだ時にエラが数えたものです」
「……数が減っていない?」
「そう!1個はハンが投げたのだから、カゴの中は9個か、最初に11個なければおかしい」
カサドールは正解とばかりに人差し指を立てて言った。
「エラは大体の数を言っただけじゃないのか?9個や11個でもうろ覚えならキリがいい10個と答えるだろう?」
「エラは数字にはうるさい女でしてね。今それを言っても信じていただけるかは分かりませんが。しかし果物を剥いて中を見るぐらいはしてくれてもいいと思いますが」
「……いいだろう。信じたわけじゃないが、もう一度ソフィアのカゴを調べてやる」
言葉通りフォルティスは信じていなかったが、無視は出来ないと考えるぐらいにはカサドールの話に妙な説得力を感じていた。
しかし、フォルティスが立ち上がった瞬間、
「キャアアアァァァ――――!!」
馬車の方から激しい悲鳴が上がった。
声はソフィア・ブラウンのものだった。
-4-
「何があった!?」
フォルティスは剣を抜き、警戒態勢に入る。部下の騎士達も同様だ。
しばらくして、ソフィアがハンを抱えて、馬車から飛び出してきた。
「た、助けて!助けてください!彼女は強盗の仲間です!ダイヤの指輪を持っています!」
彼女とは当然、馬車から出てきていないエラ・サインダーのことだろう。
騎士の一人が、エラの両手を拘束して出てくる。
「離してよ!これはどういうことなの!?」
エラは腕を捻られ、地面に押さえつけられた。
「見えたんです!彼女のポケットの中に赤いダイヤの指輪が!」
「知らないわよそんなの!」
保護され、騎士達の後ろに隠れながらソフィアが叫び、エラもそれに叫び返した。
フォルティスは突然の状況にしばらく思考が麻痺していた。
エラが犯人?カサドールの説明はやはり作り話だったのか?
「こ、これは一体……」
カサドールも予想外だったのか、狼狽えた様子で絞り出すような声で言った。
冷静さを取り戻したフォルティスは、カサドールに剣を突きつける。
「動くな!これはどういうことだ?」
フォルティスは演説を大人しく聞いていた時とは別人のように、カサドールを鋭く睨みつけ問い詰めた。
「そ、それは……」
「ふん、お前は次はこう言うんじゃないか?『ソフィア・ブラウンが盗んだ宝石をエラのポケットに忍ばせた』と」
「はは……それは素晴らしい推理です、騎士殿」
カサドールは両手を上げ、無抵抗の意思表示をしながらいつもの軽口を叩くが、フォルティスには幾分弱々しく見えた。
「残念だがそれは苦しい言い訳というものだ、探偵殿」
言いながらフォルティスは、剣を持つ手に力を込める。
「フォルティス様!」
今にも斬りかかろうとした瞬間、部下の騎士が突然、横やりを入れた。
「何だ!こんな時に!」
「ハッ!すみません!エラ・サインダーの所持品を調べたのですが……」
「ダイヤは?」
「その、見つかりませんでした!」
「え!?」
最初に驚きの声を上げたのはソフィアだった。紅潮していた顔がみるみる青ざめていく。
「そんな!わ、私は確かに……!」
「『彼女のポケットに入れたのに』ですか?」
カサドールが割り込んで言った。
こちらはソフィアと対照的に、いつもの涼しい顔に戻っている。
「おい、どういうことだ?」
またしても意味が分からなくなったフォルティスが、剣を向けた手は降ろさずに問いかける。
「ああ騎士様、貴方には謝らなくてはなりません。私は嘘を吐きました」
「嘘だと?」
「ダイヤは今、私が持っています。取り調べの時からずっとね」
言いながらカサドールは、懐から赤く輝く指輪を取り出した。
-5-
「ソフィア・ブラウンがエラのポケットに指輪を入れたのは気付いていました。
だからエラと取り調べを交代する時にこっそり抜き取ったのです。最初から私はほとんど推理なんてしていません」
「だ、だから何だと言うの!?あなたがそれを持ってるということはあなたが犯人ではないですか!」
種明かしをするカサドールに、ソフィアが反論する。
「ではあなたにも答えていただきましょうか。“なぜ指輪だと分かったのか”?」
「う、それは……」
「私がこれを指輪だと知っていたのはこの通り、実物を持っているからだ。では貴女の場合は?エラが持っていなかった以上、見るのはこれが初めてのはずです。しかし貴女は2回も言っている。『エラがダイヤの指輪を持っているのを見た』と」
フォルティスはようやく理解した。先ほどの狼狽した態度も芝居だったのだ。
エラの所持品からダイヤが見つかれば、本当にソフィアが入れたとしても信じるのは難しい。フォルティスが最初に思った通り、苦しい言い訳として片付けられるだろう。エラが知らないと言っても水掛け論にしかならない。
それがソフィアの狙いだったのだろう。しかし、カサドールはそれすら予測して仕掛けを打っていた。
「全て筋書通りというわけか。不本意だがソフィア、お前に疑いが移動したようだ」
そう言ってフォルティスは、剣をソフィアに向け直す。
「う、う……」
ソフィアは言い返せない。フォルティスも、これで終わりだと確信していた。
しかし、カサドールは険しい表情で尋ねた。
「……ハン・ブラウンはどこです?」
「何?」
フォルティスが周囲を見回すと、ハンの姿が消えていた。
「……カハッ……」
しばらく呆然と立ち尽くしていたように見えたソフィアが、突然目を見開き血を吐いた。
服の腹の部分に赤黒い染みが出来ている。
「こ、これは!?」
「やれやれ、使えねえ女だ」
周囲がどよめく中、この場の誰の声でもない、低い声が響いた。
フォルティスは声の主を探すが見つからない。
「ソフィアの後ろです!」
騎士の一人が叫ぶと同時に、ソフィアが倒れ込むと、その向こうにハンが立っていた。
ハンは眉間に深く皺を寄せ、口元は嘲笑うように歪んでいる。今までのあどけない少年の顔とは正反対の邪悪な表情。
そしてその右手には、血で染まったナイフが握られていた。
「死ね!ダイヤは俺の物だ!」
ハンは、その幼い体格からはあり得ない瞬発力で跳躍し、指輪を持つカサドールに襲い掛かった。
「どいてろ!探偵!」
フォルティスがすかさず間に割り込み、ナイフの一撃を剣で受け流す。
その勢いで背後に回り、柄の部分でハンの首筋を強打した。
「ぐがっ……」
延髄への一撃を受け、ハンはうつぶせに倒れ込んだ。
「おぉー」
後で見ていたカサドールが見物客のように暢気な歓声を上げる。
「う、うぅ……」
ハンが倒れたと同時に、背中を刺されて倒れていたソフィアが苦悶の声をあげた。
「誰か彼女の手当を!まだ息があります!」
瀕死のソフィアと気絶したハンはそれぞれ騎士達に運ばれ、いくつかの謎を残したままだが、事件は一応の解決を迎えた。
-6-
ソフィアとハンの二人が搬送された後、フォルティスとカサドールは再度テーブルに着いて今回の事件を振り返っていた。
「で、あの小僧は結局何者だったんだ?」
「さあ?小人族の末裔?それとも悪魔が乗り移った?それは捕まえた本人か母親にでも聞いてくださいよ。本当は親子でもなさそうですけど」
それもそうだな、とフォルティスは頷き、それ以上の質問はしなかった。
後から調べて分かったことだが、ハン・ブラウンは小人症でかなり前から成長が止まっており、実際はソフィアより年上だった。
さらにハンはこの強盗事件の主犯であり、最初から仲間を全員見捨ててレッドダイヤを売った金を独り占めしようとしていた。
あのまま逃げきっていてもソフィアはどこかで始末されていただろう。
「分からないことがある。なぜソフィアはエラを告発するような真似をした?黙っていればボロを出すことはなかった」
「エラが取り調べを受けている時に、私はソフィアと話をしていました。その時に吹き込んだんですよ。
『犯人とダイヤを見つけた者には報奨金が出るらしいですよ』ってね」
「果物を調べろと言ったのは?あの時に調べても何も出てこなかったはずだ」
「ソフィアがなかなか言い出さかったので。あなたが調べて疑われてると思わせればエラに罪を着せようと動き出すはずだと思いました。その必要はなかったようですが。ちなみに果物に指輪を隠してたというのは本当ですよ。指輪を抜き取った時、オレンジの香りが残ってましたから」
「フッ全く、よくも次から次へと嘘が出てくるもんだ」
フォルティスは感心と呆れが半々といった様子で言った。
「そういえばエラはどこです?もう疑いは晴れたと思いますが」
「ダイヤ以外にも盗品をポケットに突っ込まれてないか、一応身体検査させている。そろそろ終わっているはずだが……」
言い終わる前に、カサドール目掛けて横から平手が飛んできた。カサドールは寸前のところで顔を引いて躱す。
「このオバカドール!よくも人をダシに使ってくれたわね!何で指輪がポケットに入ってるのを黙っていたの!?」
「お互い助かるためだ。君は演技が下手だし、ソフィアかハンに知られたら今度は指輪を抜き取った私が告発されていた。それに君を身体検査していた騎士は甲冑を着ていたが、話しかけた時の声は女性だったから安心したまえ」
「そういう問題じゃない!」
怒りに震えまくし立てるエラを、カサドールはやれやれといった風に受け流す。
どうやら、いつもこんな調子でカサドールに振り回されているらしい。
フォルティスも、今回振り回された身としてはエラの気持ちが分かる気がした。
「まあその辺にしたらどうだ。誤認逮捕したのは俺に責任がある。すまなかった」
「そうよ!元はと言えばアンタ達が悪いんだから!文字通りすまなかったじゃ済まないわよ!」
なかなか洒落たことを言う小娘だと思いながら、自分にターゲットを変えてしまったことをフォルティスは悔やんだ。しかしいつまでも言い争いを傍観しているわけにもいかない。
それにフォルティスの計算では、これからの提案にエラは必ず乗ってくるはずだった。
「まあ聞け。お前達の行先はリシュモンだったな。ここまでの馬車の運賃はこちらで払おう。
それに時間を取らせてしまった詫びも兼ねて、ここからは我々、騎士団専用の馬車で送り届けようじゃないか」
「それぐらいじゃわたしは納得しな……」
エラは一瞬言いかけて止まり、カサドールの方を見る。
それから改めてフォルティスに向き直ると、急に態度を変えて言った。
「まあ!それは素敵ですわ騎士様!ありがとうございます!」
「何だ、その豹変は?」
今度はカサドールがツッコミを入れる。探偵だけがこの時、二人の会話の真意に気づいていなかった。
ほどなくして、馬車の用意が済み、二人が乗り込んだところでフォルティスが告げる。
「馬に乗る部下には全速力でリシュモンまで届けるように言ってある。お前達の遅れた分を取り戻せるようにな」
「とても助かりますわ騎士様」
フォルティスの言葉にエラはにっこりと笑顔を返す。
カサドールは二人の会話にかなりの違和感を感じていたが、その正体に気づいたのは次の言葉を聞いた時だった。
「この馬車は我々、騎士団の特別製だ。かなりのスピードが出る分、物凄く揺れるからしっかり捕まっていろ」
「……あ!」
カサドールが声を上げる。
「そうか!私がブーツを汚したのをまだ根に持っていたんだな。そこであなたはブーツの仕返しとエラのクレーム、両方を解決できる手を思いついた。しかもそれは一見すれば褒美に見えるから誰の非難を受けることもない。この短時間であなたが知ることが出来た私の弱点といえば乗り物酔いしかないからな!」
つくづく頭が良く回る奴だ、とフォルティスは感心していた。もちろん根に持っているのはブーツのことだけではないが。
だが、分かったところでどうしようもないこともある。
「や、やはり私は歩いて行く。エラ、君は先に行って私が遅れるとクライアントに伝えてくれ」
「何言ってるのよカサドール。契約は時間厳守が基本よ」
悪あがきをするカサドールの腕をエラはがっしりと掴んでいる。その細腕のどこにそんな力があるのか、カサドールが抵抗してもびくともしない。
「ではまた会おう、探偵殿。“ご武運を”」
フォルティスは片手でわざとらしく敬礼し、もう片方の手でドアを閉める。
「……悪魔め」
カサドールの呪詛の言葉と共に、二人を乗せた馬車は勢いよく走り出した。
お読みいただきありがとうございました。感想やご指摘、ご意見を頂ければ幸いです。