一面
* STAGE 1
人口数おおよそ五十万の地方都市。
駅前から路面電車の線路が続く町の目抜き通りでは、平日の朝ということもあり、スーツを着たサラリーマンとOL達が忙しげに行き交っていた。ありふれたビジネス街の一角を道ながらに進んでいくと、市街地の中央に行きあたる。
銀行と市役所のある道を一つ横に逸れると、見えてくるのは大手デパートと天幕を張ったショッピングモールだ。休日であれば大勢の買い物客らで賑わうことになる場所は、平日の朝ともなれば、行き交う人々の大半は何らかの職に就いているのがほとんどだった。
通りには全国チェーンのコンビニを始め、牛丼屋、電気屋、喫茶店、洋服屋、雑貨小物、書店、映画館と、一通りの店がそろっている。それから『ゲーセン』と呼ばれる建物もまた、この界隈には含まれていた。
「またこんな朝っぱらから来よったな」
権田源蔵は、今年で六十一になる。以前の会社を定年まで勤めあげ、現在は嘱託としてこの場所で働いていた。
「学校にも行かず、毎日ふらふら遊びにきおって。まったく」
全国に店舗を構える総合アミューズメントパーク『ワールドワン』。
消費税の増加や少子化に伴い、現在では年々減少傾向にある『ゲームセンター』が、一階と地下一階を占めており、権田はそのフロアへの配属を言い渡されていた。
「九時五五分、いつも通りか」
フン、と鼻息一つ。制服である赤ジャンパーの襟首を確かめ、眉間にシワを寄せる。
これまで四十年近く、ただの一度も遅刻や欠勤をしてこなかった生真面目な性格だ。まだ鍵を掛けたままの窓ガラスの向こうから、地下一階へ続くこのフロアを目指して一人の少年が現れた。
「…………」
自転車用のゆるい坂道に車輪を乗せて、ゆっくりと階段を降りてくる。眼鏡をかけ、おとなしそうで、いくらも痩せ気味の黒髪少年だ。
量販店で適当に見繕った風な緑色のジャケットと青いジーンズを履いている。それと左肩から右腰に掛け、いつもと同じショルダーバッグを提げていた。
「山根店長っ!」
「は、はいぃっ!?」
権田は振り返る。つい『顔が怖い』と言われがちな堅物顔で睨みつけてしまった先にいたのは、テレビ映えしそうな二枚目の優男だ。けれど権田からすれば〝ちょっとチャラチャラした感じの〟茶髪男だ。
「ななな、なんすか権田さん、いきなり怒鳴らないでくださいよぅ」
「いや、別に怒鳴ったつもりは無かったのだが、すまん」
「あー、権田さんの地声怖いっすよねぇ~」
へらり。と愛想よく笑いながら、山根店長はゲーム筐体の電源を入れた。その顔立ちはまだまだ若く、権田と違い深い皺の一つもない。
「んで、どうかしました?」
「例の子供がまた来てますよ。いいのですか、店長」
「あぁー、そうですねー」
「そうですね、って、彼はどう見てもまだ高校生かそこらじゃないですか」
「えー、まー、はい」
権田より三十以上も若い山根隆弘は、この『ゲームセンターフロア』を仕切る責任者だ。つまり権田の上司にあたる。
「ま、彼は特別なんで」
「親御さんや学校からは何も苦情は来んのですか」
「学校の方はともかく、ご両親はむしろ推奨してるそうですよ」
「嘆かわしい。学生の本分を忘れて平日の朝から遊びにくるなどと」
「まぁまぁ。大目に見てやってくださいよ。彼はプロゲーマーなんですから」
「……」
権田がさらに何か言おうとした時だ。まだ薄暗かったホールの天井に照明が満ちた。続けて爆音に近い喧騒が雷鳴のように落ちてくる。
「さ、そろそろ開店ですからね、急がないと。権田さん表の鍵お願いできますか。俺は残りのゲーム筐体の電源入れてきますんで」
これ幸い。とばかりに撤退する。残された権田はより一層皺をよせ、
「何が〝プロ〟か」
店長には聞こえないように吐き捨てて、表玄関の方へと向かっていった。
プロゲーマー。
権田が『アミューズメントパーク』で勤務になって、初めて耳にした単語だった。それはアマチュアが好き勝手に名乗るのもあるらしいが、この『ゲームセンター』内にあるゲームをリリースしている会社とライセンス契約を結び、年間給与として正式な報酬を得ている者もいる。
活動の内訳としては、将棋や囲碁の「プロ棋士」と共通する要素がある。
特定の時期に開催される全国大会に出場して自らの『強さ』を証明して賞金を獲得する。時には開発に参加してバランス調整を行ったり、開発スタッフと共に全国のゲームセンターを巡り歩いて広報に徹することもある。他にも記念マッチ等で一般ユーザーと対戦したり、関連したグッズの販売を手ずから売ったりもする。
要はゲーム自体と、それを開発した企業双方の知名度を上げることだ。
ただし現状、その認知度は著しく低かった。
ゲームは遊びに留まらない。
プロゲーマーは、スポーツ選手の側面を持つ。と言われても、それを鼻で笑う『ゲーマー』は今も多い。
そして普段は「ゲーム」には触れもしない権田もそうだった。
権田の腕時計の短針が、午前十時を指す。
『ワールドワン』の開店時刻だ。
扉の向こうには自転車を停め終えた少年が、扉の前で静かに立っていた。
(本来ならば、学生がこんな朝っぱらからゲーセンに来ようものなら、店側で通報すべきだが……)
少年が「学校の制服」を着ているわけではないので、実のところ難しい。
強引に身分証明の提示を迫ることは出来たが、権田もこの店ではまだ勤めて二ヶ月の新参だった。この少年の事を詳しくは知らない。
本人としては渋々ながら、少年を客として通していた。
「いらっしゃいませ」
権田は言いながら、開店時刻を示している看板を横にどけた。
「お、おはようございます……」
そしてプロゲーマーらしい少年も、権田に向かって挨拶を返した。ゲーセンに来るお客で店員に挨拶をするのは大抵は常連客だ。
(まぁ、この場所はそういうところだな)
けれど権田は高齢であり、積極的に話しかけて来る客は皆無だ。少年が店内に入っていく後ろ姿を一瞥して、それからふと、吹き抜けになった上の階層で動く人影に気づいた。
「麻田さんか」
呟き、中央のエスカレーターを使い、地上一階のフロアへ向かった。
一階には『ゲーセン』でもっとも時間的売り上げの良い、お菓子、ぬいぐるみ、フィギュア等を拾うプライズゲームが置かれている。
表玄関にもなるこの場所は、小さな子供にも馴染みやすい筐体が並んでいて、休日の『ワールドワン』の主力エリアの一角だ。スタッフからは通称、休日地獄の一丁目と呼ばれている。
「よいしょ、よいしょ」
その台の前に、同じく赤いジャンパーを着た別のスタッフがグッズを詰めていた。
「麻田さん、手伝いましょう」
「あ~、権田さ~ん、ありがと~ですぅ~」
舌ったらずで甘い猫なで声。アルバイトスタッフの彼女は、それでも街中を歩けば誰かしらが振り返るだろう美人だった。
わーい。と両手を重ね合わせて、それからモコモコしたぬいぐるみを頑固ジジイに手渡してくる。
「それじゃあっ、ヒグマだモンとぉっ、ビリィさんをっ、一緒に並べていただけますかなっ、でありますっ!」
急に声の調子を変えて言う。しかも微妙に甘ったるい雰囲気は残したまま。
ついでに何故かそれぞれ言葉の区切りで謎のポージングを取ったりして、最初は権田をドン引きさせた。
「わかりました」
「センキューみゃん☆」
ただ、二ヶ月もすればまま慣れる。むしろこの妙な「キャラ変」は、家族で遊びにやって来た子供たちには良い意味でウケた。
(適材適所だな)
セクハラになりそうなので口にはせず。
「やぁー、でもゴンさん来て、ウチ本当に助かってます~ん」
「そうですか」
適当に無視しつつ、権田は淡々と黄色い謎のひよこ、もとい「ビリィさん」を突っ込んでいく。
隣には同じようにまっくろい「ヒグマだモン」が詰められた。最後に搬入口のゲートをロックして、筐体のスイッチを入れる。
「よーし、準備かんりょ~! ゴンさん、ありがとうございましたぁ~」
「いいえ。では私も地下の見回りに移りますので」
無駄なく会話を打ち切って、権田はきびきびとエスカレーターを降りた。
ゲームセンターと呼ばれる場所にあるゲームの客層は、主に二つに分かれる。
たまに訪れる一見の客、あるいは家族でおとずれる「ライトユーザー」と、とことんまでゲームを究めようとする「ヘビーユーザー」だ。
その客層の水準は、素直に言うと、あまり良くはない。
とりわけ頭が痛くなる区画だと権田が学んだのは、プライズゲームに続く売り上げを誇る格闘ゲーム、すなわち対人系のゲームだった。
(一見して、ガラの悪い客自体は少ないのだがな)
とかく負ければゲームの筐体をブン殴り、靴底で蹴りつけ、喚き散らす子供が実際にいる。
新作のゲームがリリースされると、わざわざ徒党を組んで自分たちの間だけで席を回すグループもいた。
社会でまかり通っている譲り合いの精神が、ここでは通用しづらいと権田は思っていた。
(それはつまり、ここに来る客の大勢が、精神的に未熟であるからだ。ここの連中は汗水を垂らして頑張るスポーツ選手とは違うのだ。そんな連中の世界で名乗る『プロ』なんぞ、たかが知れとるわ)
権田はこの店に来る客を嫌っていた。
顰め面になった視線を送った先、まだ人気のない地下一階、とりわけデカい大型筐体の一台に座る少年を見て、そう思った。
*
少年が遊ぶゲームは決まっている。
【 キング・オブ・ブラッドソード(KoBS) 】
【血塗れの王】を意味するそれは、ATCGと呼ばれるジャンルだ
他の格闘ゲームの様に、左手でレバーを握り、右手で四つ五つの「ボタン」を押してキャラクターを動かしたりはしない。
操作する対象は「カード」だ。主人公を示す『プレイヤーカード』と、その主人公が支配する『使い魔カード』の六枚前後でなりたっていて、その組み合わせを『デッキ』と呼ぶ。
カードの内側には極小の電磁チップと、認識用の磁気マーカーが塗布されている。
それを巨大なテーブル状の専用筐体に並べておくと、モニター画面に変化が起きる。
『プレイヤーカードと、使い魔カードを、正常に読み取りました』
直後、最新の3Dテクスチャを反映した『プレイヤー』と『使い魔』たちが、ゲームの舞台となる戦場に登場する。
キャラクターは『版面』上のカードと位置関係がリンクしていて、版面上のカードを操作することによって、正面モニターに映るキャラクターが同じように動き、攻撃や防御を行った。
ゲーム筐体はそれぞれネットワーク回線で繋がっていて、全国各地のゲーセンに訪れたプレイヤー達を検索してリアルタイムで『マッチング』させる。
設計上、一回のプレイ料金が高くつくので、継続して遊ぶユーザーの大半はヘビーゲーマーだ。
それは言いかえれば「わざわざゲームセンターに訪れてまで大金を払って遊ぶ」というマニアックな連中で。
上位陣ともなれば、一際コアな連中が揃う類のゲームだった。
*
【ATTENTION! 対戦相手が見つかりました!】
音声アナウンスが響くのと同時にゲーム画面が切り替わった。モニター画面の右下には『NOW LOADING』と表示された数秒間の暗転が続く。
その直後、僕と、対戦相手のプレイヤーデータが表示された。
【紅蓮剣帝】ToL-17 対戦数2,050 勝数1,850 負数1,50
【王ノ剣】ぽにーるさん。 対戦数4,500 勝数2,250 負数2,250
【CAUTION! 〝血戦投票〟が発生しました!】
【ゲームマネーポイント(GMP)を賭けての勝敗予想が行われます!】
【勝者は最大一割までのGMPを配当金として獲得できます!】
【……対戦データをネットワークに配信中……】
【終了まで三十秒。集計しています。しばらくお待ちください】
「KoBS」の基本プレイ料金は、一回三百円、コンティニューに二百円。けれどその設定とは別に、時間経過で「1000」ゲームマネーポイントまで回復する、GMPと呼ばれる専用のポイントがある。
これを金額に換算すれば、通常の硬貨で遊ぶのと変わりはない。
他にも時々ランダムに発生する血戦投票が発生すると、特定のネット回線を通じて、リアルタイムで携帯のアプリケーションに知らせに奔る。
全国にいる携帯端末を持ったプレイヤー達は、時間内にその情報を受け取ったことを確認すれば、このGMPを用いてどちらが勝つかを予測する『賭け』ができる仕様になっていた。
予測した側が勝てばGMPは上限の「1000」を突破して、倍に増える。
負ければもちろん、賭けたGMPは失われるわけだけど、現実時間で十時間が経過すると回復する。
そして「賭けの対象」となった僕自身もまた、勝てば自分に賭けられた総GMPの一割を無条件にもらえるというシステムだった。
だけどそんなことは関係なく、
(勝たなきゃ。絶対に)
それだけを想う。強く強く想う。
(どんな世界でも負けて得られるものなんてないんだから)
僕はゼンイチだ。称号の【紅蓮剣帝】は、ゲームシステム上に二つと存在していない。
一昨年と去年、この店舗で開かれた六十四名の予選トーナメントを勝ち抜いて。次は県大会を勝ち抜いて。最後に選ばれた三十四人の「ランカープレイヤー」が集まった東京都内の決勝ホールで二連覇した。
それがきっかけで、十八歳になった僕はプロゲーマーになった。
契約書類にサインをする時、喜びよりも緊張が勝った。
後にも先にも、あの時以上に、自分の名前を書くことに意識した瞬間ってない。でも本当に息苦しいのは、その後だった。
(敗北が許されない)
負けてしまえば、ネットに上げられた動画で「オワコンだな」って揶揄される。
さらに言えば、僕のちっぽけな名声だけに留まらず、負けたらこのゲームセンターの筐体メンテナンスの状況が疑われる事だって皆無じゃない。
なにより契約している企業さんからすれば、自分たちの『プロ』が負けて得をすることなんて何ひとつ無い。
(だから負けられない)
KoBSは、たった六枚前後のカードを駆使する対戦ゲームだ。基本的なデッキ構築はすべて出尽くされて研究が終わってる。特別に入手が難しいカードもなくて、僕たち『ランカープレイヤー』は、リリースされたカードはまずコンプしていると言って良い。
だから基本的に平手になる。デッキの相性はあっても、お互いの戦略はすべて知り尽くした上でぶつかり合う。
でもだからこそ、このゲームにハマっている人から見れば、その強さが際立ってみえる。
【集計が終了しました】
ゲーム画面が切り替わる。僕の分身は戦場へと運ばれる。
【 GET READY? 】
さぁ。覚悟はいいかい?
プレイヤー。