愛を胸に抱いて震えて眠れ
自空の中の片隅の、この地球という惑星の、小島の街に暮らす我々よ……。
今夜も、人生に悩む青年よ。乙女よ。
愛を胸に抱いて震えて眠れ……。
いつか甘い闇が訪れて、夜は夢を運び、お休みの口づけをしてくれるだろう。
あなたの中のツボミの花が、枯れて、また再び咲き誇る時、魂は蘇り、雨は止み、僕たちは再び出逢うだろう。窓は自ずから開かれて、春風と、まぶしい光が貴方の中に流れ込む。
その時まで、さようなら。さようなら、さようなら……。
「さようなら」
と汚いオヤジは、醜い胸のうちで呟いていた。
いま、この喫茶店のテーブルの向こうで俯いている女性は、誰だったろう。美しい女性だ。そういえば、男性のようにも見える。
美しい娘は、一瞬にして、美しい青年となり、また麗しい美女となり、秀麗な美青年に早変わりして、また……。
わかった。
テーブルの向こうに座って黙って微笑んでいるのは、いま、これをよんでいる電気の機械の画面の前の……全ての友人。
あなただ。
気がつけば、夜の街に雨が降りはじめている。あなたは漆黒の眉をガラス窓越しに向けて、夜の、ネオンの街に見入っています。
どうですか?
たまには、二人でコーヒーでも飲みましょう。
あなたから見ると、テーブル越しの目つきの悪い中年男は、まんざら悪い男でもなさそうだ。あんまりお金はなさそうだけど、どこかに愛嬌があって、ガラは悪いが見かけほど馬鹿でもないらしい。
あなたは、ガラス窓に流れる雨の流れを見つめ続けている。水の流れは無限の筋となり、極彩色の光を映し出し、光は、いまこの瞬間にも、滝のように街の底に滴り落ちていく。
「あなたを……心から、こころから、愛していました」
と汚いオヤジがガラにもなく呟いているから、あなたは光の滝から目線を外し、
「ありがとう」
と無感動に微笑む。
彫りの深い中年男の双眸は、ガラが悪いはずなのに、テーブルの上のコーヒーから湧き上がる薫風りに映され、和らいだ英知の光をその両眼に、わずかばかりに孕んでいる。その双眸からの光が意外であり、あなたは驚く。
「これからも永遠に愛しつづけます」
身なりの貧しい中年男は、まっすぐに貴方を見つめたまま、コーヒーの薫りの向こうから、いつまでも貴方を見つめ続ける。そうして、こんなことを語りはじめた。
「そりゃあ、四十四年も生き続けているとね、案外いろいろありましたよ。
もうダメだ、これっきりだと感じた瞬間もありました。
四つん這いになって、涙も出ないほどの苦しみもありました。
でもね、地面に手をついて倒れた人間は、また同じ地面に手をついて、立ち上がればいいだけのお話しでしてね……。本当は後から回想したら、一番苦しいと思っていた時こそ、一番しあわせな時でした。自分も今、その一番しあわせな時の真っ最中でしてね」
あなたは中年男の、したり顔に幾分の反発を覚えながらも、汚い男の、しぶとい話術に引き込まれていく。
「恋を……」
中年男は似合わないウィングをする。
「恋をしていますね。苦しいですね?
壊れそうになっていますね?
それもいいでしょう。
自分を失っておりますか? それは自分を探す為の道のりだから仕方ありません。
道のりが遠すぎますか? 人生は長い巡礼の旅です」
「何をいいたいのですか! どうして、そんなに偉そうなんですか」
あなたは猜疑心を隠しきれずに中年男から目をそらし、再び窓に目線を移す。雨は小ぶりになっている。
訳知り顔の言葉。美辞麗句。心に残る印象ぶかい呟き……しかし、あなたは、納得のいく筈の人生の言葉を、テーブルの向こうに今すわっている、この浮浪者のような男の口からは聴きたくはなかった……。
でも……。
この人は、いったい誰?
あなたは席を立つ。
雨がやんだばかりの路面には、ネオンの光が映し出され、光の坩堝の中で、あなたは一人佇む。
湿っぽい風に髪を解かれ、夜の風に春の気配を 感じている。
さっていく貴方を、僕はガラス窓越しから、見つめ続けております。歩道を足早に駆けていくあなたの頭上から、美しい、とりどりの花びらが無限に降り注いでいるのが僕だけに見える。
そう、このパソコンやモバイルと呼ばれる画面のガラスの中から、目には映らなくても、いつも貴方を見つめつづけます。今この時、貴方の部屋は降り注ぐ花びらで満たされている。本当は貴方も気づいているのに、知らないフリが得意な貴方……。
この想い……、この、ときめき
……。
さようなら。愛する君よ。さようなら、もう一人の自分。
愛を胸に抱いて震えて眠れ……。
夢の中で再び会おう、大切な大切な、愛しき君よ。
あなた。
偉大なる本当の……我が分身。




