魔力ゼロのはずなのに最強の刀霊と契約させられています ~いじめられっ子モブJKだった私、最強になってしまうかもしれません~
魔力値ゼロ。
白嶺学院に入学してから、ずっとそのレッテルを貼られて生きてきた。
魔力値というのは、生まれ持った「霊的な感応回路」の強さを数値化したものらしい。
刀霊と呼ばれる特別な存在と契約できるかどうか、その適性を測る指標だ。
値が高いほど格の高い刀霊を引き寄せられる。
格の高い刀霊と契約した者が廻士として認められ、国家の様々な任務に就く。
……まあ、そういう裏の世界があるなんて、当時の私は知らなかったんだけど。
…とにかく。
魔力値が測定不能、つまりゼロ扱いだった私が白嶺学院にいるのは、単純に成績が良かったからだ。
ただ言われた通りに勉強してきたから、学力試験は周りよりそれなりにできた。
ただの面白くない真面目ちゃんだから入れた、ただそれだけ。
でもそれが、こういう学院では逆効果だということも、入ってみてよくわかった。
「ねえねえ、旭谷さんて魔力値ゼロなんだよね…?なんで白嶺にいるんだろうねぇ」
「先生に裏で媚びてるんじゃない?ほら…そうでもないとおかしいって…」
「優等生様だもんね~、魔力値はダメみたいだけど笑」
放課後の教室。
帰り支度をしながら、私はその会話を聞こえていないフリをしていた。
そんなありもしない噂話をされるのももう慣れてきた。
一年以上同じことを言われ続ければ、さすがに耳が勝手にシャットアウトを覚える。痛くもない。……という顔をするのも、慣れた。
鞄を肩にかけて教室を出る。廊下には夕暮れ色の光が差し込んでいた。
六廻の空はいつも橙と紺が混ざった色をしていて、昼と夜の境目が曖昧だ。
私はその光の中を目立たないように、なるべく足音を立てないように歩いた。
学院を出る。坂を下って街へ入る。
いつもなら大通りをまっすぐ突っ切ると家があるのでそのまま帰る。
でもその日は、なぜかそうしなかった。
大通りに出る一歩手前で、ふと足が止まった。
理由はわからない。なんとなく、その路地のことが気になって、入ってみたいと思った。
一本横の路地。普段は使わない道。
狭くて薄暗くて、人通りも少ない。
なのに体は、その路地に向いていた。
(……なんで)
自分でも不思議だった。
でも、私は吸い込まれるように、路地に入った。
それがこの平凡な日常の終わりだったと気づくのは、もう少し後のことだ。
事件が起きたのは、その路地の角を曲がったときだった。
角を曲がると、空気が変わった。
さっきまでとはかわって、ひんやりとした、湿った空気。
真夏なのに、寒気で肌が粟立つような感覚。
路地の隅にいた野良猫が急に何かに気づいて、空を見ながら威嚇をしていた。
そして、「それ」は現れた。
……なんだ、あれ。
空が歪んだ、と思ったら、そこに「それ」がいた。
鳥のような形をしているが、鳥ではない。
獣のようでもあるが、獣でもない。輪郭が定まっていない。
見るたびに少しずつ形が変わっていて、羽だと思ったら次の瞬間には腕のようなものになっている。
音は何も発さなかった。あんなに大きいのに、羽ばたきの音も、足音も、何もない。
ただ、そこにいて、私を獲物のように見つめていた。
「——逃げなきゃ…!」
私は本能のまま踵を返し、走って逃げようとした。
そのとき。
「止まれ」
頭の中で突然、聞き覚えのない声がした。
その声は低くて落ち着いていて、命令聞き覚えのないはずなのに、どこか知っているような、そんな声だった。
その声に逆らうことができなかったのか、ただ驚いてしまったのかわからなかったけれど、私はその声の言う通りに止まった。
「お前が主だ。今すぐ使え」
その声は頭の内側から響いていた。
「は……?使うって、何を——」
言いかけた瞬間、何かが手の中にあった。
…熱い、熱い!
手のひらが燃えるように熱い。
熱い手の中には漆黒の刀が握られていた。
それは気付くと、私の身長くらい…いや、それ以上の長さになって、私の手の中に佇んでいた。
刀身に炎の紋様が走っていて、それだけがこの夕暮れの街で、異様に赤く輝いていた。
気付く前に、体が動いていた。
自分の意志で動いたのかどうか、今でもわからない。ただ足が出て、腕が振られて、刀がぶんっと、大きく動いた。いや、私が振ったのだったろうか、不思議と重みはなく軽くて驚いてしまったのを今でも覚えている。
その瞬間、化け物に刃が突き刺さって、突き抜けた。
突き抜けると同時に、化け物の身体に水面に石を投げ込んだような大きな波紋が広がる。
音も悲鳴もなく、霧みたいに、「それ」は消えた。
「……き、消えちゃった…」
私はその場で刀を持ったまま、棒立ちになっていた。
周囲には誰もいなかった。
静かに、私の影だけが夕焼けの反対側に伸びていた。
私の膝は震えていた。ふと現実に戻ったようで、身体から一気に力が抜けていくのを感じる。
(今のは一体何……?というか、あの刀は何?化け物…みたいなのも、変な声も…)
今目の前で起きた、現実とは受け入れがたい出来事を脳内で頑張って処理しようとしているうちに、変身が解けた——という感覚があった。
握っていたはずの刀は光になって、手の中で小さくなって、そのまま消えていった。
同時に、体から何かが抜けていくような脱力感が押し寄せて、私はその場に膝をついた。
「……な、なんだったんだろう」
「俺だ」
また頭の中で声がした。さっき刀が出る前にした声と同じものだ。
「俺の名前は煉黒という。お前の刀だ」
「……私の力?」
「違う」
否定するの早いな…、というか喋れるんだ。
「俺がお前を主に選んだ。以上だ」
「……煉黒、さん、聞きたいことがたくさんあるんですが」
「それは後でいい」
「あ、後で!?でも…」
それ以降、煉黒さんの返事はなかった。
震える手をじっと見た。
手のひらは何も持っていない。さっきまであんなに熱かったのに…。
私の頭の中で何かがしゃべって、刀が出てきて化け物を倒しちゃって…。
…情報が多すぎる。とりあえず、帰ろう。
私は立ち上がって、後ろを振り返らずに走って帰った。
「た、ただいま~」
自室に飛び込んで、鍵をかけて、鏡の前に立った。
黒髪ショートボブ。茶色の瞳。いつもの制服。
どこにも変わったところはない。自分の顔だ。
(……本当に、なんにも変わってない。なんで。あんなことがあったのに)
「……なんで私が」
「それは後で話す。今日は寝ろ」
(寝ろって言われてすんなり寝れる状況じゃないんですけど!!)
でも、実際どこに抗議すればいいのかわからなかった。頭の中の声に怒鳴り返すのか、私は。
「あなた誰ですか」
「言った。煉黒だ」
「だからその、煉黒ってなんなんですか」
「……」
…黙った。この声、無視するんだ。
なんで無視するんですか、こっちは混乱してるんですが?
「……命令しないで」
口から出たのは、そんな言葉だった。
我ながら意外だった。
でも私、頭の中の声に向かって「命令しないで」って言ってるんだろう。
自分でもおかしくて、でも笑えなくて、なんだかぐちゃぐちゃだった。
「……そうか」
煉黒という声は、それだけ答えた。
短い返事だったけど、なんとなく、怒っていないのはわかった。
その一言で、なぜか私の肩の力が少しだけ抜けた。
ベッドに倒れ込んで、天井を見上げた。
(……今日、なに?どうなってるの、私の人生)
答えは出るわけもなく。気づいたら、眠っていた。
翌朝、目が覚めても現実は変わっていなかった。
普通に登校した。
昨夜のことは、夢だったかもしれない。
そう思いたかった。
でも、思えなかった。
刀の感触は手のひらにまだ残っていた。
熱い、あの感触。あれは夢じゃない。
(…どうしよう)
「……煉黒」
頭の中に呼びかけてみる。
「なんだ」
…普通に返ってきた。
(夢じゃなかった)
(本当に、夢じゃなかったんだ…)
……どうしよう。
授業中ずっとそれだけ考えていた。
昨夜の化け物はなんだったのか。刀はどこから来たのか。変身したのはなぜか。煉黒とは何者なのか。
ノートには何も書けなかった。授業の内容が頭に入ってこない。
(こんな状態で一日学院にいるの、きつすぎる…)
答えは何もわからないまま、昼休みになった。
「旭谷 環さん」
名前を呼ばれて、顔を上げた。
廊下に、見慣れない男性が立っていた。三十代くらい。
灰色がかった黒髪に眼鏡。柔らかく笑っている顔をしている。
「…誰?」
「少し話せますか」
断れる雰囲気ではなかった。
そのまま連れて行かれたのは、学院の地下だった。
白嶺学院に地下があることを、私は知らなかった。
普通の廊下の途中にある扉を開けると、階段があって、下に広い施設があった。
清潔で整然としていて、でも明らかに授業には使わない場所の雰囲気がした。
(なんだここ…)
「昨夜のことは把握しています。大変でしたね」
灰嶋凪と名乗る男性は相変わらず柔らかく、怪しげに笑いながら言った。
「あの化け物が出たこと、知っているんですか」
(この人、知ってるの?)
「ええ。あれは虚獣といいます。虚と呼ばれる次元の歪みから現れる存在で、昨夜あなたが遭遇したものです」
虚獣、次元の歪み。初めて聞く言葉だ。
いろいろ浮かんでくる疑問を聞く前に、灰嶋先生は続けた。
「あなたには廻士になっていただきたい。刀廻院に協力をお願いしたいのです」
「……刀廻院?って、なんですか?」
「国家機関です。虚獣の討伐と、虚の管理を行っています。あなたのような方を我々はずっと探していました」
(私のような…?)
「私のような、というのは」
「刀霊と契約した方、です」
刀霊、煉黒のことか。
「…断ったら、どうなるんですか?」
「記憶を消して帰っていただきます」
灰嶋先生の笑顔がわずかに消えた。
……そういうことか。
選択肢はない。廻士になるか、何も覚えていない状態で帰るか。
(どっちも嫌すぎる、なんで私がこんな…)
黙っていると、頭の中で声がした。
「無駄だ」
低い声。煉黒だ。
「煉黒さん…!?今喋れるの?」
「……聞こえているんですか?」
灰嶋先生がぴくりと眉を動かした。
「聞こえている」と煉黒は答えた。
外に向かって答えた——つまり、灰嶋先生にも聞こえているようだった。
でも教室では誰も聞こえていなかった…何か条件があるのだろうか?
「記憶を消しても俺は消えない。こいつとの契約は既に成立している」
そう煉黒さんが言った瞬間、私の手のひらに何かが現れた。
…木札だ。小さな木札、真っ黒な木札。
(なにこれ、いつの間に…)
「……契約符」
灰嶋先生の声から、初めて余裕が消えた。
「煉黒が……動いたのか?」
「そうだ。記憶を消しても、こいつの手から俺の契約符は消えない。つまりあんたたちに選択肢はないということだ」
内心、ちょっとだけ助かったと思ってしまった自分がいた。
「……上に報告が必要ですね」
灰嶋先生は眼鏡を押さえながら、そう言った。
その日のうちに、刀選とやらを行った。
どうやら刀選というのは「刀霊と正式に契約を結ぶ儀式」らしい。
地下施設の奥に小さな部屋があって、そこで木札に指で触れて、名前を言うだけだ。
「なんか、思ったより簡単なんですね」
「あなたの場合は既に事実上の契約が成立していますから」
要するに形式だけということか。
(でも、なんか緊張する…)
儀式が終わった瞬間、手の中の黒い木札がわずかに光った。
まるで返事をするみたいに温かかった。
「これで廻士として認定されました。今日からは特別課外活動という名目で、任務に参加してもらいます」
「学院の他の人たちは知らないんですか?」
「ええ、一般の学院生には知らせていません」
そういうものか。私も昨日の今日まで知らなかったんだから当然だろう。
(昨日の昨日まで、こんな世界があるなんて思いもしなかったけど)
「では、他の廻士たちを紹介しましょう」
(どんな人たちなんだろう…)
別の部屋に通されるとそこには、私と同年代の少年が三人いた。
一人は私と同じ白嶺の制服を着た男子。
青みがかった黒髪を整えて、姿勢が完璧だ。見るからに優等生という雰囲気がある。
一人は別の学院、紅牙院の赤い制服を着た大柄な男子。
赤茶の髪で、私を見てにっこり笑った。
もう一人は紺の制服。黎明学舎だ。
銀白の短髪に灰色の瞳の、中性的な顔立ち。表情は硬くて動かない。
一歩踏み出して、先に名乗った。
「旭谷 環です。白嶺学院二年です、今日からよろしくお願いします」
「緋鳥竜也。紅牙院二年。よろしくな」
赤茶の先輩がにこっとした。感じが良い。
よかった、一人はいい人そうだ。
「鉄嶋水緒。黎明学舎三年」
短い。でも声は静かで落ち着いていた。
(判断保留)
白嶺の男子は最後だった。
私をちらっと見て、それから灰嶋先生を見た。
「……この人、魔力値はいくつなんですか?」
「…測定不能でした」
「測定不能。つまり…ゼロということですか?」
「いいえ、ゼロではないのですが測定不能です」
男子は少し間を置いた。
「蒼海隼。白嶺学院二年。……魔力値ゼロが廻士になれるとは知りませんでしたね」
…嫌みだろうか。
「契約刀霊は何ノ位ですか」
隼くんが聞いた。
私は答えられなかった。
そういう細かいことを教えてもらっていない。
灰嶋先生が代わりに答えた。
「……五ノ位です」
部屋が静かになった。
三人が三人とも、私を見た。
水緒先輩は表情を変えなかったが、視線が一瞬だけ鋭くなった。
他の二人は明らかに驚いた顔をしている。
(え、なに、なんでみんなそんな顔してるの?)
「五ノ位、って……覇ノ刀ですよね?」
竜也くんが確認するように言う。
「……ええ」
「それって…封禁されてたやつじゃないですか」
「……ええ、そうなります」
(封禁…?)
「なんで魔力ゼロの人が?」
「その解明も、今後の課題でもあります」
灰嶋先生の言い方が若干ふわっとしていた。
静寂の中で、頭の中で煉黒が言った。
「慣れろ。この反応はこれから何度もある」
…励ましてくれてるのかな。
帰り道は一人だった。
夕暮れ色の空の下を歩きながら、私はずっと手の中の黒い木札を見ていた。
手のひらに乗せると、少しだけ温かかった。
(…なんか、生きてるみたいだ)
「……なんで私を選んだの」
歩きながら、煉黒に聞いた。
「……今は言えない」
「いつか言ってくれる?」
返事がなかった。
しばらく沈黙が続いた。
(…あ、これは無視かな)
と思ったところで。
「……ああ」
(…約束してくれた)
なんとなく、嘘ではないとわかった。
初めての任務の説明を受けたのは、それから三日後のことだった。
「湊廻域の外縁で虚が拡大している。廻士班で潜入、虚獣の討伐を」
(…ほんとにやるんだ)
水緒先輩がリーダーを務めることになった。
黎明学舎の三年生だから当然かもしれない。
私・隼くん・竜也くんの三人が班員だ。
出発前、隼くんが私を見て言った。
「足を引っ張るな」
そう言われると余計緊張する。
「……善処します」
「善処、ではなく確約しろ」
「……します」
そんな会話をしていると、竜也くんが間に入ってくれた。
「まあまあ。初めてなんだから仕方ないだろ。俺だって最初はぐだぐだだったし」
「それは自分で言うことじゃないと思うが」
「そうかな?」
水緒先輩は二人のやりとりを気にせず、無言で歩き始めた。私たちは慌ててついていく。
廻域の外縁まで来ると、空気が変わった。
重い、ねっとりとした感覚。
まるで水の中に踏み込むみたいに、一歩一歩が重くなる。
(…これが、虚の近く)
「虚の入り口です。刀合を発動してから入ってください」
灰嶋先生が通信越しに言った。
刀合、変身のことだ。
(…やれる。大丈夫)
私は黒い木札を手に取った。指で触れて、意志を込める。
熱くなった。あの夜と同じ熱さ。
制服が変わり、変身する。
虚の中は、思っていた想像とは大きく違った。
暗くて怖い場所なんだろうとは思っていた。
でも、こんなに「変な景色」があるとは思っていなかった。
黒い水面が広がっていた。
霧が濃く広がっている。どこまでが陸地でどこからが水面かわからない。
その中に、沈んだ船の残骸が浮かんでいた。
朽ちた木材と、絡まった縄と、半分水没したマストが、霧の中に霞んでいる。
音がない。風もない。ただ霧と水と、沈黙だけがある。
(…綺麗、だと思ってしまった。不謹慎かもしれないけど)
「……ここが虚」
思わず声に出した。
「見たまま受け取れ。判断するより先に感じることを優先しろ」
煉黒の声。変身中はいつもより近くに聞こえる気がする。
「わかった」
「わかってないだろう」
「……そんなことないです」
最初に現れたのは小型の虚獣だった。
霧の中から滲み出るように、三体。
形は犬に似ているが、体が透けていて、動くたびに霧と混ざり合う。
隼くんが最初に動いた。
速かった。一瞬で間合いを詰めて、細身の打刀で二体を仕留めた。
制服に走った青銀の紋様が残像みたいに揺れた。
(すごい…)
竜也くんが残り一体を片手打ちの刀で叩き伏せた。
「よっし」と小声で言ったのが聞こえた。
そういう私は、出遅れた。
動こうとしたのに、体が一拍遅れた。
どこを狙えばいいかわからなかった。気づいたら終わっていた。
(…やってしまった)
「やっぱりこいつ、足手まといだ」
隼くんの言葉が刺さる。何も反論できない。
「こいつのことは無視しろ」
煉黒が言う。
(できたら苦労しないと思うんだけどな…)
「次は左だ。そこに気配がある」
言われた方向を見た。霧の向こうに何かいる。
体を向けて、踏み込んだ。
煉黒の声の通りに動いたら、確かにそこに小型の虚獣がいた。
この前の戦いを思い出す。
(その時みたいにすれば大丈夫…)
私は、思い切り刀を振りかざした。
刀に切られた虚獣は、瞬く間に消えていった。
「……で、できた」
「できて当然だ。俺の言った通りに動いたんだから」
めちゃくちゃ上から目線。でも間違ってはいない。
私はまだ、自分の意思で動けていない。
煉黒の声に従って動いているだけだ。
(…それでいいのかな。私、ただ言われた通りに動いてるだけで)
問題が起きたのは、それから少ししてからだった。
霧の奥から、気配が来た。
それまでの虚獣とは比べ物にならない重さの気配だった。空気が変わって水面が揺れだし、霧が渦を巻く。
「……予定外だ。っ…相手にするな、撤退だ」
水緒先輩が初めて声に険しさを帯びた。
でも、間に合わなかった。
霧の中から、それが現れた。
大きかった。人の丈の倍以上はある。
形は人型に近いが、体中の縫い目から黒い光が漏れ出している。
顔があるべき場所には何もなく、ただの暗闇が広がっている。
「虚核…!」
水緒先輩がそう呼んだ。
「……でかい」
竜也くんが珍しく緊張した声を出した。
隼くんが踏み込んで刀を振るった。
刃は届いたけれど、弾かれた。
「……ッ」
隼くんが飛んで後退する。
「四ノ位では届かない」
水緒先輩が冷静に言った。
「撤退するか?いや、それとも…」
と言いかけて、先輩は私を見た。
(…私?)
煉黒が言った。
「……やるか」
頭の中で、声がする。
試しているような、でも急かさない声。
私は少しだけ考えた。
できる。煉黒に従えば、できる。
でも。
(私が、動きたい)
「わかった、やる」
答えたのは煉黒にではなく、自分に対してだった。
「でも、私が動くの。あなたに引っ張られたくない」
煉黒が黙った。
(…怒るかな)
「……面白い主だ」
言い方がいつもと少し違った。
呆れでもなく、馬鹿にしているのでもなく。
(……なんか、ちょっと照れる)
「いいだろう。俺の力を貸す。お前が使うんだ」
私は木札を握って、力を込めた。
今度は違った。
いつもは煉黒が引っ張って、体が動く感覚があった。
でも今は、私が動いて、煉黒がついてくる感じがした。
炎の紋様が、いつもより濃く浮かんだ。
白銀の長髪が視界に入った。
変身後の自分の髪が「白銀」だということに、この時初めて気付いた。
(…私、今こんな姿をしてるんだ)
私は走った。
うまくはなかった。
動きも洗練されていない。
ただ愚直に、踏み込んで、振って、また踏み込んだ。
(こわい、こわい、でも止まれない)
虚核の腕は、容赦なく私に振り下ろされている。
地面を割る。石畳が飛ぶ。
その一撃一撃を、私はぎりぎりで躱した。
(死ぬかと思った…!)
煉黒の声がする。
「左に回れ」
私は左に動いた。
でも今度は「言われたから」ではなく、自分の身体が先に動いていた。
(なんか…わかってきた気がする)
虚核が追ってくる。その足が、一瞬止まった。
今だ。
思ったよりも先に体が動いていた。
踏み込んで、刀を振り上げて、一気に振り下ろした。
炎の紋様が刀身を走った。
虚核の体に、波紋が広がった。
さっきの比じゃない大きさの波紋。
虚核の形が崩れ始める。輪郭が溶けていく。
とどめを刺すように、もう一度刀を振るった。
内側から弾けるように、虚核が散った。
音もなく、霧のように。
しばらく誰も喋らなかった。
変身が解けた。白銀の髪が消えて、いつもの茶髪に戻る。
刀が光になって、木札に収まる。
膝が笑っていた。でも倒れはしなかった。
「……終わった」
「……なぜお前がその刀を持っているんだ」
隼くんの声がした。振り返ると、いつもの冷静な顔に、初めて見る表情が混じっていた。
「わからない。でも今はそれでいいかなって思ってる」
隼くんは黙った。反論しなかった。
「すごいな……」
竜也くんが額に手を当てながら言った。
「魔力ゼロって何だったんだ、ほんとに…」
「私もそれは聞きたいね…」
水緒先輩が、初めて私に向かって口を開いた。
「……お疲れ様」
それだけだった。
(…怒ってない。認めてくれた、ってことかな)
なんだか、うれしくなって目頭が熱くなった。ぐっとこらえた。
黒い水面を渡って虚の外に出ると、夜の廻域が広がっていた。
虚の中は時間の流れが違うのか、入るときよりもずっと遅い時間になっていた。
(外、夜になってる…)
「……怖かった」
人のいない道を歩きながら、私は口に出した。
「虚核が?」
煉黒が聞いた。
「うん。強かった。正直、無理かもって思った」
(あの腕が降ってきたとき、ほんとに死ぬと思った)
「怖いのは正しい」
「え?」
「怖くなくなったら、それは慢心だろう?」
(…なんか、ちょっと励まされた気がする)
「……少しだけ、あなたを信用することにしたの」
「少しだけ、か」
呆れたような声だった。
でも、嫌ではなさそうだった気がした。
翌日、普通に学院に登校した。
昨日あんなことがあったのに、朝は普通に来て、授業は普通に始まる。
この普通の感じが、逆に少し笑える。
(世界のどこかで虚獣が出てて、私はそれを倒してきたのに、今日は普通に数学の授業を受けてる…それくらい免除されたりしないのかな)
昼休み、廊下を歩いていると、どこからかざわめきが聞こえた。
「聞いた?昨日、街で化け物が出たって」
「え、また虚獣?」
「そうそう。でも今回は白銀の刀使いが倒したらしいんだけど」
私の足が一瞬止まった。
(…白銀の刀使い、って、私のことだ)
「白銀の、って……廻士ですか?」
「そうなんだけど、誰なのかわからないらしくて。四ノ位でもあんな動きはできないって話で」
「かっこいい……誰なんだろう」
そうか、噂になってるのか。
(…かっこいい、かあ)
「白銀の刀使いか……かっこいいな」
思わず呟いた。
「……」
煉黒が黙った。
なにか言いたげだった。
(…照れてる?まさかね)
「煉黒」
「なんだ」
「どうして、私を選んだの?今度はちゃんと聞かせてほしい」
「……いつか話す。でも今日じゃない」
「前にも同じこと言ったよね」
「……ああ」
「約束したよね」
「ああ、いつかな」
「ちぇ、早く知りたいんだけど」
「…お前には、もっと知らなければいけないことがある」
廊下の窓から、夕暮れ色の空が見えた。橙と紺が混ざった、六廻の空。
「次の任務はいつなのかな…」
自分でも不思議なくらい、自然にそう思った。
(…また、あの虚の中に行くんだ。また、怖い思いをするんだ)
怖いのか楽しみなのか、わからない。
でも、今の私なら一人じゃない。
それは昨日より確かだった。
【終】
和風短編書いてみました。好評なら続き書く…かもです!
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