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9. 香り高き円卓

 噴水の前には、七脚の椅子が並べられた円卓。この卓にかかる布にだけは、金色の刺繍があしらわれており、格調の高さを演出していた。


 円卓には既に、三人の令嬢が着席している。


 ロザリードはフラーエンの腕を引きながら、自身の席の隣に誘導する。


「あなたの席は私の隣よ」


 そう言うと、二人の後ろを少し開けてついて来ていた青ドレスの令嬢の一人が、フラーエンの椅子を引く。


「あ、ありがとうございます」


 その令嬢は少しだけ目を細めた。

「アレイン・ギースと申します。お見知りおきを」


 アレインはロザリードの椅子を引いてから、ロザリードを挟んだ反対の席に着く。それを見届けると、他の青いドレスの令嬢達は周囲の卓に散って行った。


「あら。やっぱりその娘も連れて来たのね」


 フラーエンの左側。二つの椅子を挟んだ向こうに座っている令嬢がロザリードに声をかけた。緋色のドレスに赤みがかった茶髪。眼光の鋭い娘だった。


「こんにちは、ノーツァース家のフラーエンさん。ヴィル・ベルクレインの娘、ヘレネッサよ」


 ロザリードとはまた違うが、自信に溢れた表情で、ヘレネッサは片眉を上げてフラーエンに名乗る。

 ベルクレイン家。王国の始まりから家系を連ねる、最も歴史ある名家であり、執政会では外交を司る重臣である。

 花のティアラを冠すに相応しい令嬢だと、フラーエンは一目で理解する。

 そしてまた、当然のように名を知られていると感じる。昨夜の晩餐で王太子を立たせた意味の大きさを、フラーエンは改めて理解した。


「ヘレネッサ、今日はずいぶん早いわね。この間なんて終わり際に来たと言うのに」


「そうだったかしら。覚えていないわ」


 返事をする前に、ロザリードが話をしてしまう。フラーエンは慌てて自己紹介を入れ込んだ。


「あ、フラーエン・ノーツァースです。グレンザ・ノーツァースの娘の…」


「ええ」


 知っていると言うように、ヘレネッサは背もたれに体を傾けて頷いた。


「王国の北壁。ノーツァース家ですね」


 微笑みながら口を開いたのは、淡い乳白色のドレスを着た黒髪の令嬢。金色の刺繍には、三つ首の猟犬の紋章がある。


「ベティオル家のリリアンですわ。よろしくお願いしますね」


 ベティオル家もベルクレイン家と同様に古い歴史を持ち、当主は執政会の軍務卿を務めている。


 病の王に代わり、王太子と共に国政を仕切る執政会の娘が三人もいる。それに対し、フラーエンは成り上がったばかりの辺境貴族。

 そのあまりにも大きい家格の差に、自身がこの場にいることの正当性を疑わずにはいられない。


「ヴァレリーが来ていないわね」


「来ないでしょ。というか、普通呼ぶ?」


 ロザリードとヘレネッサが視線を向ける先にあるのは誰も座っていない空の椅子。

 ヴァレリーという名を、フラーエンは知っている。回廊で林檎を食べていた、黒いドレスを着た金髪の令嬢。目を離せなくなるあの魔性の瞳も、やはりこの場に相応しいのだろう。


「ご機嫌よう。ミーア・カラベルン様」


 誰も触れないので横目にしか見ていなかったが、さっきからずっと本を読んでいるその令嬢のことが、フラーエンは気になって仕方がなかった。

 カラベルン家のミーア。ピンク色のドレスを着た小柄な金髪の少女は、他の者達よりいくらか年下だろうか。


「ご機嫌よう、ロザリード様」


 短いその返事を聞いてロザリードは数秒待ったが、ミーアが本から目線を移さないことを悟ると、フラーエンの方を向いて肩をすくめて見せた。


「さあ、好きな香草を言って。人の世界に生えるものなら、全てここに揃っているわ」


 ロザリードのその言葉を合図に、侍女達が、香草を運んで来る。湯を入れずとも、芳しい幻想的な香りが円卓から広がった。

 ヘレネッサやリリアンが思い思いに選ぶように、フラーエンも入れる香草を決めて侍女に伝える。


 ヒーツの高地に咲く小さな花を、杯に浮かべるのが好きだった。その花が無いことに少し寂しさを覚えるが、香草選びに迷いは見せなかった。


「えっと、では私はミントと、そのメリッサを少し。あとその野茨を…」


 フラーエンが選んだ香草を、青いドレスの侍女は音も立てず流れるような手つきで茶瓶に集めていく。

 乾燥させた野茨の赤い実を匙で掬いだし、侍女はフラーエンに尋ねた。


「以上でよろしいでしょうか」


「あ、野茨のその葉もお願いします」


「葉…ですね。かしこまりました」


 葉を入れるというその指示に、侍女は少し困惑したようだった。

 やりとりを見ていたヘレネッサが小さく微笑み、フラーエンに尋ねる。


「茶より苺の方がお好き?」


「苺?え、ええ。大好きです」


 フラーエンの返しに、ヘレネッサは目を細めて小さく頷いた。

 何か変なことをしてしまったのだろうか。なぜ苺なのだろう。まさか野茨の葉はこちらでは入れてはいけない物なのかと、フラーエンは皆の選んだ香草を目線で探る。

 するとリリアンが静かに口を開いた。


「野茨の葉が混ざってしまうと、渋すぎて甘いものが欲しくなりますものね」


 その言葉に少し安堵する。葉はただ好まれていないだけという意味のようだった。


「よかった。南の野茨の葉には毒があるのかと」


「ふふふ」


 ロザリードが笑う。


「葉を混ぜたままにした者を探す必要がなくなったわ。ねえフラーエン、私の茶の中に野茨の葉を入れると変かしら?」


「い、いえ。全然」


「では私もその葉を」


 ロザリードがそう言うと、侍女が葉を集め出し、彼女の茶瓶に入れる。右隣のアレインも同じように葉を入れた。


 鉄瓶から熱湯が注がれ、各々の選んだ香りがふわりと立ち上る。


 ロザリードはその湯気を人嗅ぎしてからフラーエンを見つめ、穏やかに微笑む。


「良いわね。華やかではないけれど、落ち着く香り」


 ロザリードが微笑むたびに、フラーエンの緊張は解けていく。


 ヘレネッサの視線には、敵意とまでは言わずとも、軽蔑があるように感じられる。だがそれは仕方のないことだとも思う。

 北か南かというだけで、あの三人組のように対立することになるのがこの王都なら、ベルクレイン家のような名家が、ノーツァース家と同じ卓に着くことを快く思わないのも無理はないだろう。

 あっという間に香草を選び終え、黙々と本を読んでいるミーア・カラベルンについてはよくわからないが、軍務卿の娘リリアンの物腰の柔らかさや、ロザリードの親しみやすさこそが例外なのだろうと理解した。


「そろそろ挨拶をするべきかしら」


 ロザリードの問いかけに、ヘレネッサもリリアンも、勿論ミーアも反応しない。居心地の悪い沈黙だった。

 ロザリードはフラーエンを見る。

 優しくしてくれるロザリードに恩を返すように、フラーエンは強く頷いた。


「あなたの茶会だから」


 首を縦に振った後、ロザリードは立ち上がり、中庭の卓を一望する。

 令嬢達の顔が一斉にこちらを向いた。ひそひそと囁く声は聞こえるが、皆がロザリードの次の挙動を注視していた。


「歓談を止めさせてしまい恐縮ですわ。改めまして

、ウィンザメル城主レイデン・ルーベルンの娘、ロザリードですわ」


 静かなざわめきと小鳥達の囀りだけが響いている。

 この円卓こそが中庭の頂であると、立ち上る湯気の香りと突き刺さる百の視線が、フラーエンにそう感じさせた。


「本日はご多忙の折、私のささやかな茶会へお越しくださり、心より感謝申し上げますわ。

 春は始まりの季節。けれど同時に、互いがどれほど美しく、気高く咲けるかが問われる季節でもあります。

 どうか本日は、身の内の才に誇りを持ち、隣人の気品を讃えあいましょう。

 そして何より。優雅に、微笑んで。

 皆さまにとって、今日というひとときが、美しい記憶となりますように」


 挨拶が終わると、ヘレネッサが大きく拍手をし、フラーエン達もそれに続いた。


 堂々としたその姿に、フラーエンは尊敬を覚えた。目に映り、耳に聞こえる全てがあまりにも完璧で、欠点を見つけられない。フラーエンの感情は最早羨望と言ってもよいものだった。

 同時に、自身の甘さと至らなさを痛感する。故郷ヒーツのため、希望を持ってやって来た。だが、今目の前に見えるこの差を埋めることが、果たしてできるのだろうか。

 ロザリードだけではない。ヘレネッサ、リリアン、ミーア、そして空席のヴァレリー。幸運にも王太子の馬に跳ねられ、偶然この席についている自分とは違う、ロザリードに格を認められた令嬢達。


 エメルディア殿下は何が好きだろう。きっとその望みに応えられる。そんなことしか考えていなかったさっきまでのフラーエンはもういない。

 恥じらいと焦りがフラーエンの中に生まれた。

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