8. ロザリードの茶会
晩餐舞踏会の翌日。
王宮の中庭には白布をかけた円卓が幾つも並び、香草茶の湯気が淡く立ちのぼっていた。
黄金に澄んだ蜂蜜が陽光に煌めき、ローズマリーやメリッサの香りが漂う。
つい今朝のことだった。
フラーエンの侍女スコーラが、突然の訪問者から一通の手紙を受け取った。丸めた小さな羊皮紙に書かれたそれは、当日の茶会の招待状だった。
差出人の名前はなかった。代わりに、金粉が練り込まれた青い封蝋に薔薇の蕾の印章。
そして手紙の括りには。
"優雅に微笑みましょう"
フラーエンは昨夜の舞踏で疲れていたが、大急ぎでドレスを決めて、髪を結った。
そして来たるは香しき午後の中庭。百とも数えられる令嬢のその全てが、青い封蝋の招待状を手に集った。
円卓が立ち並び、それぞれに十脚ほどの席がある。中庭に入る回廊の入り口全てに青いマントの騎士が立ち、招待状のある者とその侍女だけが入ることを許されていた。
フラーエンはヘーネとスコーラを連れて行こうとしたが、本人達の資質の問題で辞退された。過去に折れたことのある形をした鼻のヘーネと、短髪のスコーラ。二人を連れて中庭へ降れば、浮くことは明らかだった。
いつもは気にすることではないが、今回は彼女達の言う通り、フラーエンは一人で中庭に降り立った。
席は自分で見つけるものなのだろうか。周りの令嬢達を見てみると、手にした招待状に席が記されているようだった。だがフラーエンの招待状には書かれていない。
どうすればよいかわからず、卓の間を歩く。
すると突然、背後から声をかけられた。
「ごきげんよう」
声の方を振り返ると、昨日噴水で揉めた三人組がいた。
真ん中の金髪がエラナ・アリーシュで、後の二人は何と言ったか。フラーエンは思い出せず、もう一度知ろうとも思わなかった。
「昨日は随分とお目立ちで、さぞ気分が良いでしょうね」
また言い合いをするのが嫌で、フラーエンは視線だけで受け流そうとする。
だが三人組は、フラーエンを素通りさせる気はないようだった。
「注目を集めたからって、いい気になってませんこと?」
「殿下に何を言われたか知らないけれど、あなたのたかが知れた持参金では、どちらにしてもあまりに分不相応ですわ」
通り過ぎようとしたフラーエンの足が止まる。優雅に努めようとしたが、黙って受け流す忍耐はやはりない。
フラーエンが三人の方を向き直り、反撃を試みようとしたその時。
「その笑いは優雅じゃなくってよ」
三人組の背後から透る声。そちらを向くと、青で揃えた四人の令嬢と、同じく青装の女性の騎士達が立っていた。
中央に立つ少女の微笑みは、春の陽光を冷やすほど美しい。
「あ、あなたは……!」
昨日、その所作の一つ一つで大広間を震撼させ、見るもの全ての瞳を染めた青い薔薇。
三人は狼狽し、揃ってその名を口から溢した。
「ロ、ロザリード様…!」
周囲の卓で談笑していた令嬢達も、ぱたりと会話を止めて視線を向ける。
「悲しいわね。皆さんに楽しんでいただきたくて催した茶会ですのに」
「こ、これはその…」
「常に優雅に微笑んで。それがこの茶会の、たった一つの決まりごとですわ」
「私達ったら」
「この粗野な娘が挑発を…」
三人は慌てて言い訳を吐いたが、ロザリードはその言葉に興味がないと言うように、真っ直ぐにフラーエンの前に歩いて来た。
周囲の視線が集まっているのを感じる。
「こんにちは。フラーエン・ノーツァース様」
予想外の展開だった。無視できない存在だとは認識していたが、まさかこんなにも早く、それもロザリードの方から話しかけて来るとは。
「こ、こんにちは、ごきげんようロザリード様。本日は、こんな素敵な茶会にお招きくださり……あの、どうして私の名を?」
ロザリードはくすりと笑う。
「招いた方の名前くらい、覚えていなくては失礼ですから」
「す、凄い。この全員の名前を?」
「ええ。中でもあなたに来ていただけたこと、とても嬉しいですわ。昨夜の舞踏会でお疲れでしょう」
舞踏会。王太子に席を立たせたということの意味を、フラーエンはわかっていた。
王太子妃候補の最有力と言われるロザリードがそれをどう思うかも、なんとなくは想像がついた。
間違えてはいけないと、フラーエンは神経を張り詰める。
「お気遣いありがとうございます。貴方のような方にお呼ばれして、寝ているわけにはいきませんわ」
「ふふふ、警戒してるって、顔に描いていますわ」
「そんなこと…!」
「わかりますわよ。私もそうだったから」
そう言うと、ロザリードは左腕を脇から少し開き、フラーエンの目を見て微笑んだ。
「こちらへ。あなたの席を用意していますわ」
腕を組むのは友好の意であり、上流の振る舞いの一つ。フラーエンはロザリードの腕に自らの腕を絡ませた。
庭園中の令嬢が、回廊からは侍女や騎士が二人を目で追う。
フラーエンの侍女、ヘーネとスコーラ、端の円卓ではカリネが、固唾を飲んでその様子を窺っていた。
「この美しい庭、王妃様にお願いして本日限り貸し切ってますの。存分に楽しみましょうね」
王家の庭を貸し切り。そんなことができるのかと、フラーエンは息を呑む。
この数の円卓を朝のうちに運び込み、招待状の確認のため、回廊からの全ての入り口に騎士を配置している。昨夜の舞踏会の片付けを考えるに、この茶会はルーベルン家の者だけで成立させているのは明らかだった。
人数分の茶器にそれぞれの卓を埋め尽くす程の果物達。香草が入った瓶がそこかしこに飾られ、そのほとんどの種類をフラーエンは知らない。
少なくともノーツァース家がこのような茶会を催せば、民は重税に反乱を起こすだろう。
カリネが噂と言っていたロザリードの評価を思い出す。
"ま、すぐにわかるわ。こんなに大勢の令嬢が集まってるけど、もうすでに王太子殿下の結婚相手はロザリードで決まってるって噂もあるもの"
中庭の令嬢達を見渡して、フラーエンは目を瞬かせる。
一体どうして、皆笑っていられるのだろう。王太子がこの中庭を覗き込んで、誰に視線を向けるか、そんなこと子供でもわかる。
「どうかされましたか?騒がしいのはお好きではなかった?」
右腕に絡む腕の温度がわからない。初めて嗅ぐ香油の匂いが、フラーエンの感覚を狂わせる。
「い、いえ。本当に凄い光景だなって、王都ではよくこんな茶会が?」
動揺と警戒を見透かされまいと、頭の中を回転させて言葉を探した。一秒でなんとか導き出したそれは、自分を田舎者だと紹介するような滑稽な返事。
それに対し、ロザリードは破顔してフラーエンを見上げた。
「まさか。こんなに多くの娘達が一同に会すことなんて今まで一度もありませんわ。故に、花のティアラを冠するのが私なら、この茶会は歴史に残る…」
大胆不敵というのだろうか。ロザリードの言葉が大きすぎて、すぐに飲み込めない。
「そういう顔、すると思いましたわ」
言葉が出ないフラーエンをからかうように微笑むと、ロザリードは続ける。
「私は生まれつき自信満々ですの。だけど半分は違う理由。だって、こんなに大勢でのお茶会ってすごく楽しそうでしょ?」
「楽しそう…確かに…」
「そう、楽しそう」
にこりと笑うロザリードに、フラーエンの警戒心が解けかける。
「これだけの令嬢がいる中で、あのティアラを授かり得る素質がある娘が一体何人いるか。あなたは何人だと?」
「えっ…この中で…?何人かなどと、とても…」
「ふふ、意地悪な質問でしたわね。では、王妃の素質とは?」
「王妃の素質ですか…」
フラーエンはセレナリス王妃を思い浮かべた。あの方は完璧な王妃で間違いない。
考え込み歩幅が縮むフラーエンに、ロザリードはゆっくりと歩調を合わせ微笑む。
「美しさや、賢さ…?」
あえて富とは言わなかった。それを言えば、もう負けを認めたようなものだとフラーエンは思った。
「それだけでいいなら、私は絶対に負けないわ。少なくともこの中ではね」
ロザリードは澱みなく言い切る。富などなくとも、他の者に劣ることなど一つもないとでも言うように。だがその言葉の含みに傲慢さは一切感じられず、誇り高く清々しい。
フラーエンが反応する前にロザリードは続ける。
「殿下が昨夜踊らなかったのは…」
はっとして、フラーエンはロザリードに言葉を重ねる。
「それだけではないから…」
ロザリードはまた、にこりと笑う。
「美しさ、賢さ。富や強さ、伝統や威厳」
「王を愛すること?」
フラーエンの発言に、ロザリードは一瞬目を丸くする。
「愛。愛か…」
そう小さく溢したロザリードの表情は、フラーエンからは見えなかった。
ロザリードは腕を解き、フラーエンの正面に立ち両手を握る。
ロザリードと見比べられて笑われないよう、優雅に努めていたフラーエンだったが、これには犬を前にした猫のように背筋が固まる。
だがその緊張は一瞬で解けた。
「ノーツァース家のフラーエン様。最も純粋で気高い姫ね。あなたを同じ卓に誘って正解だわ」
爽やかな風が吹き抜け、二人の髪を揺らす。
ロザリードの笑顔に、フラーエンも自然と頬が緩んだ。
「私達、同い年なんですのよ。私のことはロザリードと呼んで」
「で、では…私のこともフラーエンと」
ロザリードは目を細めてフラーエンを見た後、もう一度腕を組み直す。
ロザリードの体が、暖かく感じられた。
「ふふ、さあ行きましょうフラーエン。白鳥の雛達が集う円卓へ」




