5. 春の舞踏会
フラーエンが大広間へ到着したのは、まだ西陽が差し込んでいる頃合いだった。
数十人の給仕達が、百人以上も座れそうな長い卓に燭台や皿を急いで並べている。その大きな卓があと三つ、扉から玉座へと続く中央の道を挟み、左右に二列ずつ配置されている。今夜の晩餐の規模がどういうものかが窺えた。
フラーエンは幼い頃に、王都の宴を経験していたが、思い返しても、こんな規模のものではなかった。
「ねえねえ今日は何を食べられるのー?」
五歳くらいの小さな女の子が、配膳する召使いに懐っこく話しかけているのが見えた。
「王国で一番のご馳走をご用意しておりますよ」
召使いはにこりと笑って返す。
「お魚はー?あとベリーのソースは?」
小さな娘は質問を立て続けに投げかけ、召使いは少し困りながらも、手を止めて笑顔で答えていた。
可愛らしいピンク色のドレスを着たその娘は勿論貴族だろう。そこに父親と思われる男が現れ、こっちに来なさいと娘の手を引いて歩いて行った。
娘は手を引かれながら振り返り、もう片方の小さな手でひらひらと召使いに手を振っていた。
その光景を見て、フラーエンは七歳の時の滞在を思い出していた。それは父が同席した唯一の晩餐会だった。
幼いフラーエンは同年代の友達と机の下を駆け回り遊んでいた。今思えば、いつも忙しい父ともっと一緒にいればよかったと、小さな女の子を見てふと思った。
「お父さん、いつか一緒に来られるかな…」
父が多忙であることは理解している。辺境のヒーツは王国にとって最前線であり、北方の蛮族リュッテン人や、野盗と化したドゥライル王国の残党との小競り合いが絶え間なく繰り返されている。父を貴族に取り立てた王としても、きっとその強さを前線に置きたかったのだろう。
フラーエンの記憶に残る父は、城より戦場にいる日の方が多く、帰って来る時はいつも血と泥に塗れていた。
フラーエンは違うことを考えようと、庭園で会ったあの召使いを探した。こんなに召使いがいるのだから、この中のどこかにあの娘もいるのではないか。
頭から濡れたあの姿は紛れもなく哀れで、周囲の笑いを誘っていた。
そのはずなのに、フラーエンの頭には、言葉にならない不思議な魅力と、光の中で弾けたような笑顔だけが残っていた。
また会いたいと、会えたら名前を聞こうと、そう思っていた。
しかし大広間には数十人もの給仕達が忙しく動き回っている上に、空の色が紫に近づくに連れて、到着した貴族達の数も増えてきていた。
あの嫌な三人も、きっとどこかにいるのだろう。
気づけば蝋燭には順番に火が回っており、十二炉ある暖炉は全て燃えていた。
「さすがにわからないか…」
王国一の宮殿とは言っても一つの城、いずれ会えるだろうと、フラーエンは大人しく自分の席についた。
新興貴族のフラーエンは大広間の末席。目を凝らさねば座る者の顔など見えないような距離だが、広間の壇上には仰々しい玉座があり、その脇には幾つかの王族の席があった。
王は近年病に伏せり公の場に現れてないが、フラーエンはその玉座の隣にある王妃の席を見た。
「なんて遠いのかしら…」
進むと決めたその道の険しさを改めて感じていた時、一人の令嬢がフラーエンに話しかけてきた。
「あなた、とても綺麗ね」
突然の語りかけに自分のこととは思わず、フラーエンがそちらを向くのに少しの間があった。
「え、あ、私ですか?そんな、恐れ多いです」
また、令嬢が現れた。フラーエンは少し警戒する。
「何よその話し方。あなたも、私や他の娘達と同じ理由で王都に来たんでしょ?もっと堂々としなくちゃ」
そう言ったのは、フラーエンと同い年くらいの、黄色いドレスを着た茶色い髪と瞳の娘だった。
さっきの三人とは違う話し方に、フラーエンは少し拍子抜けする。
「そ、そうね。その通りだわ。私はフラーエン・ノーツァース。ヒーツ公グレンザの娘よ」
「あら、私から話しかけたのに申し遅れたわ。私はカリネ・ステンサー。父はロスタン公リークスよ。お隣さんね」
ロスタンのステンサー家。ヒーツと同じ旧ドゥライル王国の領地を賜った豪商系譜の新興貴族である。
「あなたがフラーエン・ノーツァースか」
「私を知ってるの?」
「そりゃあ、北の宝石って噂はロスタンにも聞こえてるもの。そっかあなたが。そっかそっか。こりゃ私なんかが王都に何しに来たって話だわね」
「そんなこと。あなただって」
「あー私はいいから!地味な顔だって自分でも思ってるもの。ここに来たのも親に言われてだし、私は無理だって言ったのよ?」
カリネの屈託のない話し方に、フラーエンは心が緩んだ。
「王都って嫌なところね。私旧ドゥライルだし、商人上がりだからって嫌味ばっかり言われるんだから。正直もう帰りたいわ」
「わかる!みんな気位高くて、私もさっき喧嘩になりかけちゃって」
互いに敵意がないことを理解し、二人に軽い笑いが起こった。
「フラーエンも親に言われて来たんでしょ。父君はまだ来られてないの?」
「いや、私は…」
「でも思ってたより、なんというか純朴そうね。いやお前が言うなってのはなしで!誤解しないでね?変な意味じゃないから」
カリネは快活な娘で、親しみを覚えやすかった。領地が隣ということもあり、意気投合するのに時間はかからず、会話が弾んだ。
「向こうの卓の真ん中あたりにいる、あの黒いドレスの女、見える?」
カリネが言う方を見ると、さっき回廊で林檎を食べていた美女がいた。三人の若い男に囲まれているが、目も合わさずに運ばれてきた料理に先に手をつけている。
「あの金髪、ハレルド家のヴァレリーよ。とても美しいけど、恐ろしい女として有名。男を操る術に長けていて、その美貌で未来の王妃の座を狙ってるって噂。貴族の令嬢としてあるまじき乱れた噂があるから気をつけて」
「確かに、とっても綺麗ね」
ハレルド家のヴァレリー。通り過ぎ様に少し目線が交錯だけで、瞳に吸い込まれるような感覚を覚えた。その洗練された王都の美に、心が負けかけてしまったことをフラーエンは思い出す。
「あら、あなたも負けてないじゃない。私の見立てじゃ、ヴァレリーとロザリードが美しさでは群を抜いていると思ってたけど、あなたもそこに並ぶかもね」
「ロザリード?その方はどこにいるの?」
フラーエンの言葉に、カリネが目を丸くする。
「嘘でしょあんた。ロザリードを知らないの?それはいくらなんでも田舎者すぎるわよ」
「そうなの?」
「ま、すぐにわかるわ。こんなに大勢の令嬢が集まってるけど、もうすでに王太子殿下の結婚相手はロザリードで決まってるって噂もあるもの」
「ええ、そうなの!?それなら私達、本当に何しに来たってのよ」
「あくまで全部噂よ」
その時。大広間の喧騒が静まるほどの声で、扉の横の騎士が叫んだ。
「ロヴィリカ城主にして西部オトアール地方総領主ガルディス・ギリアート公!並びに、ギリアート家御一門!」
他とは格が違うとはっきりわかる、圧倒的な威圧感と共に入って来たのは、力強い雄牛の紋章を飾った屈強な大男達。貴族達の視線を集め、大広間の上座、玉座に最も近い席へ堂々と歩いて行く。
息を呑むようなその歩みを静かに見つめながら、貴族達はざわめき合った。
「あれがロヴィリカの闘牛、ガルディス・ギリアート公…」
「火牛騎士団のディオス卿もいるぞ。弟のガレス卿にダスティス卿。正に雄牛の一族だな」
「巨人の末裔というのは本当なのか…」
「ああ、グエルヘン様もおられるわ。あのディオス卿に抱かれている子が、昨年生まれたご子息ね」
「テードリアン王家とギリアート家。強大な両家の絆は王国の安寧そのものだ」
十三年前、このセルナール王国は遥か西方より襲来したオルド帝国により亡国の憂き目に晒された。 その戦役において王家と共に主力を担い、常に王の隣で戦い勝利に貢献したのがこのギリアート家である。
フラーエンの父もこの戦いで武功を上げた。父にとっては共に戦った盟友であり、ガルディス公の名を家で聞いたこともあったが、とてもフラーエンが一人で声を掛けにいける雰囲気ではなかった。
二年前には、王家の一人娘グエルヘンがギリアート家に嫁ぎ、西部ロヴィリカの都では王都に勝るとも劣らない盛大な婚礼が開かれたそうだった。
そして昨年、その二人に男の子が生まれ、まるで王子が生まれたかのように、王国中が祝福した。
誰もがその名を知り、王家と並ぶほどの力を持つ大貴族ギリアート家。ただ到着して、席に座っただけのことなのに、大広間にいた貴族達は皆何故か冷や汗をかき、無性に喉が渇いていた。
カリネがフラーエンに、自分達の幸運を説明する。
「最大で最強の貴族が、今回の王太子妃選びに関与しないのは幸いよね」
「というと?」
「ギリアート家には男しかいないのよ。同世代の娘がいたら、未来の王妃の座も固められちゃうところだったわよ」
「そ、それは幸運ね。本当に…」
この大貴族が関与しないことに、きっとフラーエンとカリネ以外の全ての令嬢も胸を撫で下ろしただろう。
ギリアート家が全員席に座ったタイミングで、扉の横の騎士がまた、大声で大貴族の到着を伝える。
「フルガの城主にして東部エムレイン地方総領主、ルガティアス家!」
「次は王妃様の生家のお出ましよ」
ルガティアス家が入って来る。
文官主体らしい謙虚な歩みで、上座の下の右側に着席する。
「ルガティアスは二十年と少し前までは、中堅貴族の一つに過ぎなかったのよ。セレナリス様が王妃となったことで、大貴族に肩を並べたの」
「カリネあなた、本当に詳しいのね。感心するわ」
「あんたが知らなさすぎなんでしょ。今私はあなたが偽物のフラーエン・ノーツァースじゃないかって疑ってるわ」
「あら失礼ね。各家の紋章くらいは頭に入ってるわ」
軽口を叩きながら、ルガティアス家を見る。
フラーエンやカリネ、その他多くの令嬢達がこの王都に来た目的。それが成された暁に待つものが、今のルガティアス家の姿だった。
扉の横の騎士がまた大きく息を吸う。
「来たわ…」
カリネが呟く。
今から大広間に入ってくる三大貴族最後の一つこそが、フラーエン達が挑む最も高い壁だった。
これは王太子妃の座を求めて王都に来た全ての令嬢達の共通認識で間違いないだろう。
「ウィンザメル城主にして南部ローバー地方総領主。レイデン・ルーベルン公並びにルーベルン家御一門!」
青い装いに波と鴎の紋章を纏う海の領主。王国唯一と言っていい大規模な港を有し、財力だけであればギリアート家や王家をも凌ぐと言われる大貴族。
一門と側近の恐らく全員を従えて来たのであろう、青基調の装いに統一されたその一団は、先程のギリアート家に対抗するように悠々と大広間に入って来た。
当主レイデンのすぐ後ろには、この王太子妃争いの最有力候補と目される令嬢がいた。
「あれが、ロザリード・ルーベルン…」
カリネの説明なしでも、フラーエンにもすぐにわかった。
未来の王妃に最も近いとされる令嬢。可憐さと美しさを併せ持った高貴な娘が、フラーエン達の目の前を通り過ぎた。
その瞬間、フラーエンの胸に言葉にならないざわめきが生まれた。
美しい王都の夜が、ついに幕を開けたのだった。




