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4. 庭園の出会い

 王宮には、美しい庭園がある。

 石畳の舗道を縁どるのは、季節ごとに植え替えられる花々と瑞々しい若葉の並木。

 中央の女神像の噴水から流れ出た清水は、細やかな水路となって庭を巡り、その上には繊細な意匠を施した石橋が三つ架かっている。


 四階建の回廊が庭を囲み、太い石柱には淡い緑の蔦が空へと伸びていた。

 春の陽光を受けて水面がきらめき、花の香りが風に乗って回廊をめぐる。

 この王家の庭園は季節ごとに表情を変えるが、こと春には、その柔らかな光と芳香が訪れる者すべてを魅了していた。


 北の荒野を踏みしめてきた少女は、眩い光に目を細めた。


 到着した翌日の朝。フラーエンは寄宿する回廊二階の部屋の前に立っていた。

 この回廊の東側は、王妃の命によりほぼ全ての部屋が令嬢達の滞在のために開けられていた。

 赤いドレスに身を包み、石の手摺りに両手を添え、眼下に広がる庭園を見下ろす。


 若い令嬢たちが色とりどりのドレスをまとい、花壇のそばで談笑している。

 華やかな笑い声が咲き誇る花々と混じり合い、世界そのものが淡く揺れていた。

 近くでは騎士たちが笑い、文官が羊皮紙を手に語り合い、学者は鳥の群れを指して議論している。

 庭師が水をまき、侍女たちは盆を運ぶ。

 上階の回廊を行き交う靴音が、軽やかな音楽のように響いた。


 ここに踏み出すことこそが王都での第一歩であると、胸を高鳴らせるフラーエンは、息を大きく吸い込んだ。


 ドレスの裾を指でつまみ、人々の視線を乱さぬよう早足で回廊を進む。

 石床を叩く足音が、いつの間にか小走りになっていた。


 その時、視線が絡む。


 回廊の手すりにもたれた女が、林檎を手にしてこちらを見ていた。

 フラーエンより少し年上だろうか。

 波のようにうねった金髪を片側に流し、長い睫毛の奥の瞳がとろけるように光る。

 足を止めずに通り過ぎたが、その瞳から目を離すことができなかった。


 赤い唇の間から覗く白い歯が林檎をひと齧り。

 その美しくも魅惑的な姿は、フラーエンの胸に深く刻まれた。


 フラーエンは庭園に降り立った。石のベンチに舞い落ちた花びらを払い、腰を下ろす。

 白い花が風に揺れ、遠くで笑い声が響いた。


 先ほどの女の面影が、瞼の裏にこびりついて離れない。

 フラーエンは母譲りと評される自らの容貌に、それなりの自信を持っていた。だがこの王都では、それすらも凡庸な個性なのかも知れないと思わされた。


 胸の首飾りを握り、かすかに呟いた。

「……どうしたの、私。上を向くのよ」



 庭園には、様々な貴族の娘達がいた。

 噴水の縁で談笑する令嬢たち、花壇に屈んで花を愛でる令嬢達、回廊から手を振り合う令嬢達。

 どこもかしこも、若さと笑いで満ちている。


 逃げていては、ここに来た意味がない。


 フラーエンは勇気を奮い、噴水の縁で談笑する令嬢たちの輪へと歩み寄った。


「ごきげんよう」


 少し緊張した声に、三人の令嬢が同時に振り向く。

 一瞬の静寂。

 ピンクのドレスを纏った金髪の娘が微笑んだ。


「まあ、ごきげんよう。初めてお見かけしますわね」


 優しい声音にフラーエンは安堵する。

「ノーツァース家のフラーエンと申します」


「まあ、ようこそ王都へ。私はエラナ・アリーシュ。エルノン公アレンの娘ですわ」

「ハレア・エイラントですわ」

「シェリア・オロウェインと申します」


 三人はそろって優雅に礼をし、柔らかく微笑んだ。

 その仕草は、長く磨かれた舞のように揃っている。


 想像していたよりも温かく迎えられ、輪の中に入り、会話に耳を傾ける。


「王太子殿下には、もうお目通りを?」

「いいえ、まだ」

「わたくし達もまだですの。お顔も拝したことがなくて」

「残念ですわ。陛下のご容態がよろしくないとかで、殿下もお忙しいのでしょう」

「槍試合も延期になりましたものね」

「私、観覧用の新しいドレスまで誂えましたのよ」

「王都の騎士は華やかですから、楽しみにしていましたのに」

「全くですわ。騎士達の競演が一番楽しみでしたわ」

「それは目的を違えすぎよ」


 笑い声が咲き、花香る風に混じる。

 フラーエンも微笑みを返した。


「ところで、フラーエン様はどちらのご出身?」


 話題がフラーエンに移る。


「ヒーツです。北の旧ドゥライル領の、最も北の地ですわ」


「旧ドゥライル?」

 シェリアが目を瞬かせた。


「まあ、あの辺りは、まだ落ち着いていないのではなくて?」


「そうですね、小競り合いはありますけれど」


「まあ、恐ろしい」

「母上が申しておりましたわ。街道には吊るされた罪人の骸が無数に並んでいるって。本当ですの?」


「え、ええ。確かに見かけはしましたけれど、南では違うのですか?」


「それほどまでは。考えるだけで身震いしますわ」

「北部は罪深いと聞きますものね」

「無事に辿り着いて何よりですわ」


 その言葉に、フラーエンは眉を寄せた。

「罪深い?」


「ええ。祈りを怠る土地ですもの。神々に背いた末に滅んだ。そう聞きましたわ」


 胸の奥が、ひりついた。


「そんなことありませんわ。北の民も王都と同様、皆優しくて働き者です」


「王都と同じだなんて、王家に聞かれたら大変ですわよ」


「どういう意味ですか?」


 フラーエンの話し方に、三人は顔を見合わせた。


「まあ、言葉のあやというものですわ」

「お怒りにならないで。少し怖いですわよ?」


 フラーエンははっとする。大切な初日なのだから、ここで失敗するわけにはいかない。

 きっと悪気はないのだろう。生まれた場所も生きてきた環境も違うのだから、偏見があることは仕方ないことだと、自分に言い聞かせた。


「ご、ごめんなさい。私がおかしかったですわ。変だな、いつもはこうでは。ははは…」


「よかった。こうして出会えたことも縁ですもの」

「私達、もっとあなたのことが知りたいですわ」


「北部は祈り方が少し違うのですのよね」


 まだその話をするかと、フラーエンは一瞬目を閉じた。少し気が短い気質であることを、フラーエンは自覚していたので、違う話にすり替えてみる。


「ちらりと横目に見えただけなのですけど、王都の神殿はとても大きいですわね!早く行ってみたいですわ!」


 令嬢達はにこりと微笑む。だがこの笑みが安心していいものか、フラーエンはわからなくなりかけていた。


「あなたは信仰が厚いのですね」

「もしよければ、行く前に一度、礼拝の作法を見ておきましょうか?」

「それがいいですわ。私たちに協力させてくださいな」


 ああ、バカにされている。

 鈍感なフラーエンでも十分にわかるほど、彼女達はフラーエンを見下しているようだった。

 愛想を見せる必要があることを理解はしていたが、フラーエンはそれを続けられるほど大人ではなかった。


「神々にとって、膝の着き方やドレスの摘み方に、どれ程の意味がありましょうか」


 フラーエンの声音が明らかに変わったことに三人の令嬢達は顔を見合わせるが、フラーエンは構わず続けた。


「南部のことは存じませんが、北部の民も私がこの目で見た限りでは、皆毎日敬虔に祈っていますわ。セルナールの安寧のために」


「そ、それは何よりですわ」

「形式はどうであれ、神々への気持ちが重要ですものね」


 悪意なのか、芯から理解がないのかはわからない。

 確かなのは、フラーエンはヒーツの民を愛しており、詰られて笑っていられるほど我慢強くはないということだった。

 北部、旧ドゥライル王国の領土には、南部の貴族に見下される理由があるようで、フラーエンはそれを頭に入れていたつもりでいたが、ようやく真の意味で理解した。

 理由は至極単純に、敗戦国の民が暮らす土地であるということ。

 かつて、何世代も前。ドゥライルとセルナールは、手を取り合う良き隣人だった。

 だが、全ての民がその時代を忘れてしまうほどの長い戦乱を経て、今に至っていた。


「あ、あなた。なんだか怖いですわよ?」


「怖いのはあなた達の方よ。見たこともない人たちを“罪深い”と笑って、何が楽しいの?」


 一瞬の沈黙。

 次の瞬間、令嬢達が口元を押さえて吹き出した。


「ぷっ……くくく」

「やっぱり思った通り。北の方って、言葉も荒いのね」

「滲み出ていますわ」


 令嬢達が高笑いし始める。ああ、やっぱりかと、胸が痛むのを感じた。

 本性を現した令嬢達は立て続けにフラーエンを侮辱する。


「それに、その耳……ずっと聞きたかったのだけど、どうして穴が開いていますの? まさか自分で?」

「まあ、それはさすがにないでしょ。罪深すぎますわ」


 フラーエンの耳に光る紅の石。

 その耳飾りは、フラーエンの父が北一番の職人に作らせた宝物だった。


「無理矢理開けられたんですのよね?草むらから飛び出してきたドゥライル人に!」

「ちゃんと街道に吊るして来ましたの?」

「キャハハハ!」

「石は上等でも、王太子殿下はそういうのは趣味ではないと思いますわよ」


 胸の奥に熱いものが込み上げる。

 拳を握りしめ、声を絞り出した。


「いい加減にしなさいよ……」


「だから、怖いですわそれ。王都ではこうやって微笑むの」

「こうですわ!ほら頑張って!」


 ああもう許せない。

 そう思った時だった。



「きゃっ!」


 甲高い悲鳴とともに、噴水から水飛沫が上がった。

 人々の視線が噴水に集まり、ざわめきとなる。

 水面に倒れ込んでいたのは、一人の若い女だった。


「ちょっと、何?」

「ドジねえ」

「どう転べばそこに落ちるのよ」


 令嬢たちが嘲笑する中、フラーエンはその女の元へ駆け寄った。

 袖が濡れるのも構わず、両手を差し出す。


「大丈夫?」


 ずぶ濡れの女は一瞬、目を丸くして固まった。

 そして慌てて立ち上がり、水に濡れた髪が光を弾いた。

 粗末なリネンのワンピース、腰に吊るされた鍵束。髪を纏めていた頭巾は、濡れたせいで解けかかっている。

 それは、王宮の召使いの装いだった。

 運んでいたのであろう、白いシーツ達が水を吸ってゆっくりと沈みながら水面を漂う。

 ひとつひとつに輝きを閉じ込めて滴る水滴。白に反射して波打つ煌めき。飛沫に濡れた女神像。

 茶色い髪と煤に汚れた少しそばかすのある頬。


 緑色の瞳。


 怒りは消え去り、春の黄金の光の中で、フラーエンの時間が一瞬止まった。


 やがて我に返り、女の前を塞いでいたことに気づいて慌てて身を引いた。


「あ、怪我は?痛くない?」


「も、申し訳ございません!」


 その召使いは深々と頭を下げた。


「そんなこといいのよ。大丈夫?」


 周囲では笑い声と囁きが交錯していた。


「派手に落ちたものだな」

「早く着替えさせてあげなさいな」


 すぐに他の召使いたちが駆け寄り、彼女を囲む。

「貴族様の前で何ということを…」

「噴水に落ちたなんて、侍女頭に知られたら…」

「今人手が減ると困るよ」


 ずぶ濡れの若い召使いは、シーツを集めながら何度も謝っていた。


「私の不注意なんです」


 フラーエンが咄嗟に口を開いた。

「前を見ていなくて、ぶつかってしまって。申し訳ないことをしました」


 召使いたちは顔を見合わせたのち、安堵したように息を吐いた。

「それなら、お咎めも軽くで済みそうだね」


「あ、あの……ありがとうございます」

 濡れた女が震える声で言った。


「気にしないで。私のほうこそ、助かったの」


「助かった?」


「……なんでもないわ。風邪を引かないでね」


 召使いはもう一度深く頭を下げ、仲間たちと共に去っていった。


「お嬢さん、優しいねえ」

 遠巻きに見ていた壮年の騎士や文官、貴婦人達が寄ってきて、フラーエンに声をかけてきた。


「あの娘を庇ったんだろう? あんなこと、普通は見て見ぬふりだよ」


 フラーエンは少し照れくさそうに笑い、濡れた袖を軽く絞った。

 気付けばあの三人組の姿はもうなかった。


「君もティアラのために?」

「赤色にその堂々とした屈託のない振る舞い、ギリアート家の一門かい?」


 ギリアート家。それは王国有数の大貴族の名だった。


「ギリアート!?いえ違います。ノーツァース家のフラーエンと申します。」


「ノーツァース…」


 微妙な反応だった。恐らく知られていないのだろう。

「遠いところから来られたのね」

「次の王妃様も優しい方であることを我らも願っている。今宵の晩餐舞踏での健闘を祈るよ」


 フラーエンは王都の全員があの三人のような性根でないことに安堵した。


 今夜、集まった貴族達が一同に会する舞踏会がある。そこで未来の王妃が決まるのかはわからないが、和やかな空気は終わりを迎えることだろう。

 

 気持ちが落ち着かない中で、フラーエンの瞳には、黄金の光の残像がまだ微かに揺れていた。

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