28. 祝福の印
「なぜクロディア殿下が?あの方は介入しないはずだったのでは?」
ロザリードのその問いに、隣に座る父レイデン・ルーベルンが答えた。
「これまでの振る舞いではな。ただし気まぐれなお方だ。お前も知っているだろう」
「ふん……」
ロザリードが爪を噛み始める。
「まあいいわ。どの道ヘレネッサはもう私の障壁にはなり得ないのだから。それに裏切り者の忠誠を試す必要もあるわ。今回は殺しきれなかったけど、そうね、息の根はリリアンに止めさせましょう」
ロザリードは苛立つと爪を噛む癖があった。いつも側にいるアレインがその癖を見たのは、ずいぶん久しぶりのことだった。
「ロザリード様」
「何?」
アレインは指の爪を見せる。
「ん…ああ…。ありがとうアレイン」
「何も焦ることはないロザリード。クロディア殿下の行動は想定外だが、我らの予定を狂わせることではない。あの方がどこまで勝ち進もうが、関係がないのだ」
「そうですわね…」
ロザリードの不満は消えないままだが、下の段から心配そうに見つめてくるラーサやヘネアに一目微笑んで見せ、その先に集まり来る者達に目線をやった。
「ロザリード様!」
「この槍をあなたに!」
「薔薇の乙女のご贔屓を賜りたい!」
「あなたのために戦います!戦わせてください!」
銀色に煌めく甲冑に色とりどりの衣を被せ、兜には同様に派手な羽の装飾。
ロザリードの眼下には大勢の騎士がトークンを求め殺到していた。むさ苦しい呼び声のする方を見下ろし、にこりと微笑む。
「おおお!」
「真の勇気をお見せします!どうか私に祝福を!」
ロザリードにとってその光景は、まるで餌を求める鳩の群のようだった。
「ジュラン」
一人の騎士の名を呼び、最前列に歩み出させる。その騎士はロザリードの従兄妹、ジュラン・ルーベルンである。
「頑張りなさい」
「どうも、従兄妹様」
ジュランは体躯の良い金髪の騎士。その割れた顎で乙女達の視線を集めている。
ルーベルンの権威の隆盛を決定付けるため、予め決めていたトークンの授受であった。
「リリアン様!」
「コリー。来てくれたのね」
「無論、姫様のために戦いますとも」
「ごめんなさい。私のトークンは無いの」
「は…?」
幼い頃から刺繍が得意なリリアンである。今回もそれは見事なトークンが出来上がったと、家中の者は皆、侍女伝に知っていた。
怪訝な表情を浮かべるコリー卿から目線を外し、リリアンはベルクレイン家の方を見て言った。
「祝福は授けられないわ」
中級貴族の席では、熱い視線を交わし合う二人の男女がいた。
サラ・シングソンとヴェイリック卿である。
「サラ!ああ、麗しき君よ!」
「来てくれたのねヴェイリック!」
「証明して見せるよ!僕のこの気持ちを!」
「頑張ってね!ああでも、やっぱり…頑張らないで。あなたに何かあったら私…」
「サラ…僕は騎士なんだ。何も恐れることはないよ」
「ヴェイリック!」
「君だけの騎士さ!」
その会話が微かに聞こえるくらいの場所、末席貴族の令嬢達はじとりとした目で二人を見ていた。正確な言葉を聞き取らずとも大体の想像はつく。甘い空気を感じながらカリネとメリアが言った。
「あーら、お熱いこと」
「熱いわね。最早熱苦しいわ」
だがフラーエンは目を輝かせていた。
「そんなことないじゃない、とっても素敵よ!私にも誰か来ないかしら」
「こちら不人気席って感じ」
下級貴族の席には寄ってくる騎士はほとんどいない。
カリネは手摺りに頬杖をつき、中級以上の貴族席で交わされる騎士と令嬢の社交を眺めため息をついた。
その時、一人の騎士が近付いてきた。その場にいる令嬢達は、フラーエンを始め皆一斉に姿勢を正し、髪の乱れを整える。
「私かしら…」
「きっと私よ、私を見てる…」
小さい声で囁き合う。
「そこの黄色いドレスのご令嬢!」
呼ばれたのはカリネだった。
きたきた!と言わんばかりに、カリネは手摺りから身を乗り出す。
「はい!」
「また会えると信じておりました」
そう言って騎士は兜を脱ぐ。その顔にカリネは心の声が小さく漏れ出た。
「げっ、熊騎士…」
兜の下にあったのは、先日城の裏の兵舎区域で酒の匂いを漂わせながらカリネに絡んだ熊のような騎士、アドウォルドだった。
「先日は大変な無礼を…どうかお許しください」
「い、いえそんな。もう忘れましたわ」
「お嫌でなければ、あなたの祝福を賜れませんか?」
フラーエンが小さい声で耳打ちする。
「あの人が例の熊騎士?なんか言ってた感じとは違うねカリネ。いいじゃない強そうだし」
確かに今日は礼節を感じる。カリネは少し躊躇いながらも、微笑んでトークンを差し出した。
「神々の祝福を」
言った瞬間、取り巻く令嬢達から小さな歓声が上がり、父兄達も和やかに拍手をした。
熊騎士ことアドウォルド卿は、満足そうに頭を深く下げて、会場の中心に戻って行った。
「確かに。悪い人ではないのねきっと。人となりをすぐに決めつけてしまうのは私の悪いところだわ」
フラーエンは手摺りを掴み、後ろにのけぞりながら空を仰いで頭を振る。
「いいなー、私もトークン渡したいなー」
「おかしいわね、北の宝石様。あんたはもっと人気だと思ってたんだけど」
「ちょっと地元の通り名みたいなの恥ずかしいからやめて」
そしてまた、一人の騎士が近付いて来る。皆それに気が付くと、再びさっと背筋を伸ばして、髪の先を指ですく。
周囲の貴族達はその姿に笑い始めていたが、令嬢達は大真面目である。
「カリネ・ステンサー嬢」
なんとまた、カリネの名が呼ばれた。
「な、なんでカリネ?」
「やっぱり、小さくて素朴な娘が可愛いのかしら」
「失礼ねあんた達…」
兜を外した騎士の顔を見て、カリネは再び目を見開いた。
「ハレッセン卿!?」
「数日ぶり!もしよろしければ、トークンを授けてもらえませんか?」
カリネは開いた口が塞がらない。
「あなた、出ないって言ってませんでした…かしら?」
「出れることになりました!王家選抜です!」
「嘘でしょぉ…」
「カリネ、そんな顔したらさっきの熊騎士に失礼よ。あなたのために戦うって言ってくれたのに」
「そうね…そうだけど…」
「ステンサー嬢?」
「オホホ…ごめんさない。実はもう他の人に…」
「へ?」
空の両手を見せて、トークンはもうないことを示す。
「そ、そっすか…」
「ごめんなさい。でも…応援してますわ」
「あ、はい。頑張ります…」
ハレッセンは隣にいるフラーエンを一瞬見た。まさかこの流れでくるのかとフラーエンは身構えたが、ハレッセンはなんとも言えない笑顔をもう一度カリネに向け、ゆっくりと馬を歩かせて行った。
「うわあああやっちゃったあああ」
「ふふふ」
令嬢達の一喜一憂を背に、ハレッセンは一人呟いた。
「あれがフラーエン・ノーツァース嬢。確かに殿下の好みかもな」
想定外の状況に、フラーエンは焦り始めていた。一生懸命作ったトークンを、まさか誰にも渡せず終わるのかと。
大貴族の席に目をやると、ルーベルン家の周りを大勢の騎士が取り囲んでいる。
「ロザリードは、凄い人気ね…」
串に刺さった肉を食べながら、カリネが答えた。
「そりゃあ、薔薇の中の薔薇だからね。いいえ、薔薇の中の薔薇の中の薔薇の中の薔薇の中の薔薇かしら。こんなもんなんでしょ」
「何をやっても、違うのね」
少しのもどかしさに、フラーエンが口を窄めて座ったそのとき。
「フラーエン・ノーツァース嬢ですね」
とうとう聞こえたその声に、カリネとメリアの肩を弾き飛ばすような勢いで、フラーエンは立ち上がった。
「はいはいはい!私がフラーエン・ノーツァースです!」
そこにいたのは、女と言われても疑わないような、美しい顔立ちの金髪の騎士。
カリネ達だけでなく、周囲の貴婦人も隣に座る夫を忘れてざわついた。
「ジェレム・カールと申します。フラーエン嬢。あなたの祝福を、この槍に授けていただきたい」
とうとうこの時が来たと、フラーエンは胸を高鳴らせる。木柵から身を乗り出し、屈託のない笑みでジェレムに尋ねる。
「どこかでお会いしたことが?」
ジェレムは少し困った顔で答えた。
「会ったとは言えませんが、先日の舞踏会で。見ていました。たった一人で王太子殿下の階段を登るあなたを。あの日のあなたは誰よりも凛としていた。そのトークンは勇敢さの証です」
その言葉に、フラーエンは胸を抑えて吐息をこぼす。
「ありがとうジェレム卿。このトークンが、あなたに力を与えることを!」
それを手渡しで受け取ると、ジェレム卿は一礼して戻って行った。
槍試合で騎士にトークンを授ける。この形式的な儀礼を経験することができ、フラーエンは感極まった。
「これよこれ!」
大きい声を出すフラーエンに驚いて、カリネが怪訝な顔をする。
「あんた、王太子殿下は?」
「だって殿下は出ないでしょ?せっかくのお祭りなんだから楽しまないと。ロザリードもヘレネッサもみんなやってるし。それよりさ、ジェレム卿、かなりよかったよね!?あんな騎士どこにいたの!?有名かしら!」
「やれやれあんたって…」
輪っか状に結ばれた刺繍の布を解き、騎士達はそれぞれの鎧や槍、馬に結び付ける。
風が土を撫で、五十騎近い騎士が整然と並び、場は静まり返った。馬の鼻息と土を踏む蹄の音だけが、息を呑む観衆達の耳に届く。
甘い空気はいよいよ消えて、緊張が張り詰めた。
その沈黙を待っていたように、王太子エメルディアが立ち上がった。
「王太子殿下よ」
「ああ見たかったわ。殿下の鎧姿」
少しのざわめきを感じながら、エメルディアは流し目に会場を見渡し、深く息を吸う。
「諸侯達、そして集いし民よ!
長らく待たせてしまったが、今日ここに、名誉ある馬上槍試合が執り行われる!
騎士達には己の名誉と、主人の名誉。そしてそのトークンに恥じぬ戦いを期待する!
王都の民!そして遥々集った全ての者達!今日は我ら王侯もそなた達も一丸となり、この国が誇る武勇の祭典を楽しもう!以上だ」
喝采が起こるのを待たずに、エメルディアは椅子に戻って脚を組んだ。
騎士達はぞろぞろと、一度裏に捌けていく。
その中で二騎だけが残り、ゆっくりと馬を走らせる位置につき、従者から盾を受け取った。
青く翻る旗はジュラン・ルーベルン卿。ロザリードのトークンを腕に巻き付け、兜の下から金髪を靡かせている。
対する黄緑色の旗は東部の旗主、ロブス・タンカー卿。
槍に宿されるは目には映らない誇りと勇気。二騎の騎士が生み出すその独特な空気に、フラーエンは歓喜とも恐怖とも取れない感情を覚え、心臓が速くなった。
「始まる…」
他の騎士達が裏に捌け終わるのを待たずに、中央の巨大な旗が振り上げられ、角笛の音が重なり響いた。
空へ向けられていた槍先が、地平と同じ向きに降ろされ、相対する互いの胸に向けられる。
馬の嘶きが響き渡り、二人の騎士が同時に駆け出す。巻き上がる土煙。加速する蹄の音がゆっくりと、観衆達の耳に染み込んでいく。
槍先の刹那の交錯。その瞬間は、まるで時間が止まったようだった。
瞬きの後には、高く舞い上がる槍の破片と、少し遅れて聞こえる鈍い衝撃音。
止まっていた心臓が再び躍動するように、世界は音を取り戻し、歓声が大地を震わせ、熱狂が青空の下に満ちた。
王都の馬上槍試合が、今始まった。




