27. 裏切り
黒犬騎士団の登場に沸き立つ場内。
騎士団を擁するベティオル家の席で、リリアンは立ち上がり、木柵に手を乗せて緋色の天幕を見つめていた。
ベルクレイン家の長き歴史を象徴する楓の紋章が揺らめく下で、背筋を伸ばし座す友の姿を瞳に映す。
「ごめんねヘレネッサ。私はあなたの方が好きだけど、もう時代はロザリードなの」
「座りなさいリリアン」
父リガード・ベティオルの声が、小さい背中にかけられる。
「ヘレネッサ嬢とは仲が良かったな。友を裏切るのは辛いか」
リリアンは手摺りを強く握り、振り向かずに声だけで答えた。
「いいえ。これがベティオル家のためであるなら…」
リガードは頷く。
「ベルクレインは我が一族の決断を"堕ちた"と言うだろうな。最早それくらいしか言えんだろう。
金で名誉は買えないが、名誉は高く売れるのだ…」
そう言って、片脚の将は薄らと笑った。
競技場に舞う風が砂を運び、リリアンは目を少し伏せる。視界の端には緋色の天幕。だが、その陰に座る友の姿を、もう見つめることはできなかった。
「ごめんね…」
一方のベルクレイン家。当主のヴィルは怒り心頭である。会場は騎士達の行進と音楽に歓声を上げているが、近くの席の者達には、椅子を蹴り飛ばした音が聞こえただろう。
「恥を知らぬ犬共め!ルーベルン如きに尻尾を振るとは!」
今からでも下に降りて槍試合に出場しろと、ヴィルは家内随一の騎士であるゼイスター卿に命じる。
それを止めさせたのは妻のエイラだった。
「やめましょうあなた。今慌てて出て行けば、それこそここにいる全員の笑い物になります」
「むう…しかし……」
ヘレネッサの腕は力なく垂れていた。開かれたその茶色い瞳には騎士達の旗が流れ行き、拳を握ることもない。
リリアンに裏切られた。正確には裏切ったのはベティオル家であって、リリアンの意思ではないと、そう信じたい。
幼い頃から互いを知り、心を許せると思っていた数少ない令嬢。いつも微笑みを絶やさず、誰にでも優しいリリアンのことがヘレネッサは好きだった。
当然、当てにしたのは友情などではない。ベティオル家は裏切らず、またベルクレイン家も裏切らないと、互いの先祖が積み上げた信頼のもとにロザリード・ルーベルンを欺くはずだった。
だが、両家には絆が足りていなかった。
ヘレネッサは立ち上がる。三つ首の猟犬の天幕を視界にかすめ、観衆に背を向けるように向き直り、父と母の方を見た。
いつもは大袈裟なほど高慢に眉尻を上げているヘレネッサだが、悔しさと悲しさを堪えきれず、その頬に大粒の涙が伝った。
「父上…母上…。ごめんなさい。ベルクレインの未来を背負っていたのに……私、勝てなかった……」
娘の涙に、与えていた重圧を理解した父ヴィルは、憤りの色を仕舞い込んだ。
母がヘレネッサの手を握る。
「泣かないでヘレネッサ。あなたはよくやったわ。そうねあなた」
「あ、ああ…。勿論だとも…」
静かに涙を流す娘の肩をさする。
「せめて我々は高潔な姿を見せよう。陛下は忠義ある者を重んじられる。ここにはおられんがな…」
一歩控えた位置で、一家の落胆を見守るゼイスター卿も首を下に落とした。
色とりどりの騎士の槍を挟んだ向かい、青天幕の下。香油を染み込ませたハンカチの奥で、ロザリードの口は弧を描く。
その時、ベルクレイン家の手摺の下から声がかかった。
「ヘレネッサ・ベルクレイン」
ヴィルが覗き込むと、そこには黒馬の第二王子、クロディア・テードリアンがいた。
「こ、これはクロディア殿下!ヘレネッサ、前に来なさい!」
「ええ…?」
ヴィルの横に目元を腫らしたヘレネッサが顔を出す。
「ご機嫌麗しゅうございます、クロディア殿下」
「ヘレネッサ・ベルクレイン。そなたの祝福をこの槍に授かりたい」
王子がヘレネッサのトークンを求めた。会場に衝撃が走る。
ヘレネッサは裏切りのショックに思考が鈍っており、クロディアの言葉をすぐに飲み込めない。先に反応を見せたのは父親のヴィルだった。
「おお、これこそ神々の意志!まだだ!まだ我々は終わっていないぞ!」
「はっ、勘違いするなよヴィル公。誇り高く戦いたい。今日はそんな気分なだけだ」
クロディアは清々しく言い放つ。
「どうだヘレネッサ・ベルクレイン。俺は強いぞ」
ヘレネッサは鼻を啜り、目元に浮かんだ涙を袖で拭いた。
「心の声が出ていますわよ父上」
そう言って背筋を伸ばすと、自身の椅子に置いていたトークンを手に取る。
手摺りから身を乗り出すヘレネッサの手から、高く掲げられたクロディアの槍に、緋色の輪がかけられた。
「神々のご加護がありますように」
その様子を見ていた騎士の一人がぼそりと呟く。
「俺もヘレネッサ嬢のトークン欲しかったのに…」
その瞬間、騎士達の目が交錯する。次の瞬間には、一斉に馬の腹に衝撃を伝え、砂埃が巻き上がった。
「どけ、あの方の祝福は俺が…!」
「待て!俺だって!」
暗い欺き合いを覆い隠すように、騎士達の熱を持った瞳は、それぞれの想う令嬢達を探して馬を駆けさせた。
ベルクレイン、ベティオル、ルーベルン。それぞれの家にあった思惑などに気付くこともなく、フラーエンはこの瞬間に胸を躍らせていた。
「来た!みんな準備はいい!?」
「盛り上がってきたわね」
「私はここよー!」
「ちょっとちょっと、期待しすぎると辛いかもよあんた達」
「そんなんでどうするのカリネ!王都の槍試合よ!もっと楽しもうよ!」




