25. 待ち焦がれた祭典
王都の空は相も変わらず晴れ渡っており、城壁の外に特設された会場の周りには、まるで戦時中のように天幕がひしめき合っていた。
行き交う群衆の中で火吹き男が喝采を浴び、異様に背の高い男が子供たちを追いかけ回す。
道化は鐘を鳴らして踊り、檻に入った本物の熊が、太鼓の音に合わせて立ち上がるたび歓声が上がった。
貴賤の隔てなく全ての民でごった返し、通りの至るところで鳴り響く音楽。笑い声や怒声、どこからか香る美味しそうな肉の焼ける匂い。
世界は享楽の熱気で溢れていた。
「すごいわ!こんなお祭り初めて!」
フラーエンはいつになくはしゃいでいた。それは無理もないことだった。賑やかな催しが好きなフラーエンだが、ヒーツでは豊穣祭でも夏至祭でも、これほどの規模のものはなかったのだから。
「走らないでください姫様、逸れてしまうと見つけられません」
「無理よ!オルハロンの何倍の人がいるのかしら!急いでよ二人とも!」
右に行ったり左に行ったり、見えるもの全てに目を輝かせるフラーエンに危険が及ばないよう、武装した二人の侍女は細心の注意を払った。
「我こそは大地震わす黄金の雄馬!父と兄の仇を討ち、サリアメルト王家との因縁を終わらせる者なり!」
広場の舞台では、王国一と言われる劇団がスロンディア王の英雄譚を再現している。
フラーエンは当然のように引き寄せられ、群がる群衆の後ろに付いた。そして無邪気に振り返りヘーネ達に問う。
「ねえ、この劇見ていく時間はあるかしら!父上も登場するかも!」
「槍試合を前の方で見たいなら、ゆっくりはしていられませんね。王家が席を用意してくれてますが、その中でどこに座るかは早い者勝ちですから」
スコーラがそう答えると、フラーエンは少し葛藤する素振りを見せてから二人の方に戻って来た。
「それはいけないわ、早く行かなきゃ」
侍女二人を引き連れて、フラーエンは色とりどりの天幕の合間を歩く。
会場はもうすぐそこだが、そこまでの間には、小さな囲いの中での剣闘試合や、弓の射的大会も催されていた。
弓に自信のあるフラーエンは射的に参加したいとすら思ったが、それらの誘惑をなんと飲み込む。
我慢はしたが、フラーエンの衝動を揺さぶる最大の誘惑が訪れる。楽団を囲み輪になって踊る群衆の中の少女と目が合った。
ヘーネとスコーラは顔を見合わせた。次の瞬間にフラーエンはこの輪に飛び込む。ヒーツで何度も見てきた光景だった。
二人の予想は外れるはずもなかった。差し出された少女の小さい手を握ったフラーエン。音楽に合わせて身を揺らし、赤いドレスと一つに纏めた長い髪を振り乱す。
手が差し出されればそれを握り、樽からエールが注がれれば、勧められるままにそれを呷った。
人々の陽気の中で、フラーエンは考える。王都に来て短い間にいろいろなことがあった。王太子に馬で跳ねられたという不幸のような幸運の噂も既に過去のものとなり、自身が王宮で注目を集めるに足る器でないことを理解していた。
だからこそ、どこに行っても人々の笑いは変わらない。それを知ることができただけでも、フラーエンは嬉しかった。
ドレスの裾はもうすでに土だらけ。
今日という日を楽しもう。今日は踊って叫びたい。フラーエンはそう思った。
同じ時、道では騎士達が群衆を割り、一台の馬車が通っていた。馬車には黄金の馬の旗。
その王家の馬車に乗っているのは、花のティアラを授かる国母、王妃セレナリスである。
セレナリスは馬車の窓の隙間から、民衆の中心で踊る背の高い令嬢を見ていた。
「似ているわね」
同乗する壮年の女官がそれに答えた。
「まことに。まるで"大輪の花"が帰って来たようですわ」
王妃は懐かしむような、悲しむような目を伏せて、揺れる馬車の中で呟いた。
「そうね…」
「姫様〜。そろそろ行った方が…」
一応声をかけてみるヘーネだが、歓声を浴びて気持ちよく踊っているフラーエンには届かない。スコーラは腕を組んで見守っているが、いつのまにか首と指が音楽に乗っている。
「まあいいか…」
その時、突然裸の男が勢いよく賭場から飛び出して来て、あろうことかフラーエンはその男と体当たりしてしまう。
「うっ」
よろけてその姿を見たフラーエンは、目が飛び出し顎が外れかける。
衝撃でひっくり返ったその男は、何の衣服も身に付けていない、毛むくじゃらのだらしない腹に歯抜けが目立つ中年。
見せしめに骸を晒された罪人のものなら見たことがあるが、こんな近くで生きている男の裸を見たのは、フラーエンは生まれて初めてだった。
「きゃああああああああ!!!!!」
フラーエンの絶叫が響いた。その声に楽師は手を止め、何事かと群衆の視線が集まる。
「こんなもの見てはいけません!」
一瞬で距離を詰めたヘーネがフラーエンの目を手で隠して、スコーラが男を押さえ付ける。
「無礼者が!」
巡回していた衛兵も声を聞いて駆けつけ、裸の男は取り押さえられる。
「おい、まずいぞ!」
賭場から声が聞こえ、慌てて出て来た数人の男が、裸の男に最低限の布をかけた。
「こ、これはこれは王宮の令嬢様…まさかこのようなところにいらっしゃるとは…」
歯の無い者、片目が無い者、指が無い者。どうしようもない境遇が伺える男達が、似合わない愛想笑いを浮かべていた。
息を整えたフラーエンが、戦える侍女達に命じる。
「待ってスコーラ。ヘーネ、手を離して」
二人は命令に従うが、その前に男の腕を強く捻り上げた。
「おい、布でちゃんと隠せ」
「へぇ!へい…」
王宮で起こっていることを、城下の民は皆知っている。そして目の前の令嬢も、王家の賓客の一人である。
沙汰を待つ男達の目は怯えていた。フラーエンはそれを察するように、ぎこちなくも、何とか微笑んで見せた。
「こんなことで怒る必要はないわ。特に今日みたいなお祭りの日にはね。ぶつかったのはお互い様じゃない」
そう言ってフラーエンは銀貨を一枚取り出した。
「まだお祭りは始まったばかりですよおじさん!せめてこれで服だけでも着てちょうだい」
周囲から感嘆の声が聞こえた。男が目を丸くして問う。
「か、感謝します。あなたは…?」
「フラーエン。フラーエン・ノーツァースですわ」
フラーエンがそう言うと、頭上の太陽が一層強く輝いたように感じられた。
「行きましょう姫様。もう槍試合が始まります」
「そうね。みんなありがとう!楽しかったわ!」
最初に微笑んだ少女を見つけ、フラーエンは大きく手を振る。少し照れくさそうに、控えめに手を振り返してくれた少女に、フラーエンは大きく歯を見せて笑った。
ようやく会場に到着できたと、安堵したヘーネに満足顔のフラーエンが尋ねてくる。
「ねえねえ。さっきの私、すっごく貴族っぽくなかった?」
「ええ、物凄く貴族っぽかったですよ」
フラーエンは破顔する。
「階段は一つずつ上がるもの!私はこの王都で歩いているわ!」
ドレスのスカートを掴み、ひらひらと舞わせながら一人鼻歌にステップを刻む。
蕾は少しずつ開いていくのだと、ヘーネは目を細めながら、大きく育ったその背中を見つめた。その大切な姫の心中が本当は穏やかでないことも、充分に理解していた。
時来たるは、待ち焦がれた馬上槍試合。王都の空は、今日も晴れ渡っている。




