21. カリネと熊と近衛騎士
カリネは一人で歩いていた。
先に出た皆を追いかけてはいたが、王宮とも城下町とも異なる独特な喧騒に気を取られ、気づけば兵舎群の路地の間で迷ってしまっていた。
「おお! そこの可憐なお嬢さん!」
突然大きな声がする。カリネはびくりと肩を跳ねさせた。
振り返ると、そこには大柄で筋骨隆々の騎士がいた。顔にいくつも傷があるが、険しいというよりは山から降りてきた熊という感じの男だ。
一応後ろを確認し、自分しかいないことを確かめる。
「私…え、私ですか?」
「あなたをひと目見た瞬間、胸に雷が落ちました!
ああ――これは運命!」
「えっ、ちょっと、あの…」
「私の心は、あなたの美しさに敗れたのです!
どうか、お名前だけでも!」
怖がらせようというつもりでないことはわかる。
だが、近い、声がでかい、そして少しエールの臭いがする。
突然言い寄られ、カリネはただただ困惑する。声をかけられる展開に胸をときめかせる年頃のはずだが、騎士という男の現実を突きつけられた気がした。
ああ、所詮は私なんて、年寄りじゃなければ何でもいいなんて言ったけど……
あえて言葉を濁さずに言えば、全く好みではない。カリネは軽く空を仰いだ。
「あの、ごめんなさい。オホホ、私行かなくちゃ…」
立ち去ろうとしたカリネの前に、男は半歩動いて入って来る。
「ああ俺としたことが!アドウォルドと申します。はるばる王都に来たのはこの瞬間のため。この槍試合、あなたのために戦いたい!」
歯の浮くような言葉がどんどん出てくるというのに、全然嬉しくない。私は淡白で心の無い女。と、カリネは困っていた。
その時。
「やめとけよ。困ってるぞ」
そこに現れたのは、長髪を結い、赤いマントを付けた一人の若い騎士。
「あ?何だ貴様」
「この鎧、見てわからないか?」
白基調に馬の紋章の鎧姿は、王宮最高位の衛兵、王族の近衛騎士のものだった。
「ふん、衛兵風情が。この俺を誰だと思って」
「お前こそ、このご令嬢を誰だと思ってる。王家の客分だぞ。何かあれば王家の失態、あとはわかるな?」
そう言って、近衛騎士は剣の柄に手を乗せる。アドウォルドの眼光が飛び、空気がひりつく。
ここで斬り合うの?絶対ダメでしょ。と、カリネは肝が冷える。
令嬢達の身を預かっている以上、剣を抜く大義は王家にある。そのことは相手もわかっているようで、歯を噛み締めながら、アドウォルドは半歩引き下がった。
「岩みたいな面の上に酒の臭いまでさせて、よく声なんかかけられたな」
「口の利き方に気を付けろ。衛兵」
「失せろ。怒ったふりしてんじゃねえ」
「ふん、槍試合には出るんだろうな」
「だったら?」
「その甘い面との別れを惜しめ」
「楽しみだね」
アドウォルドは何度か振り返り敵意の目を向けていたが、何事もなくその場は収まった。
「あ、あの…」
カリネが声をかけようとすると、近衛騎士は肩を落とし背筋を曲げた。
「あーーーー、怖かった!」
「へ?」
「いや、本当に怖かったですよ。あれ、アドウォルド卿ですよ、知ってます?勝てない勝てない」
その脱力ぶりに、カリネは目を丸くする。
「その割には、ずいぶん煽っていらしたけど…」
「勢いというか、気持ち乗ってる方が、伝わるでしょ?気迫みたいな」
騎士とは思えぬ軽妙な語りに、カリネは思わず笑い出してしまう。
「ふふ、はははは…!」
「ははは、笑われちまった」
「あっごめんなさい。私カリネ・ステンサーです。助けていただきありがとうございました」
「ハレッセン・コルドー。王太子殿下お付きの近衛騎士です」
「殿下の?」
「そろそろ殿下がお出でになるけど、どうしよっか。回廊まで護衛しましょうか」
その言葉に、カリネの心臓が一瞬高鳴る。
「あっ、いた!カリネーーー!」
その時、遠くからフラーエンやメリア達が現れて大声で呼びかけてきた。皆カリネを探していたようだった。
「よかった、連れがいるんじゃん。荒くたいやつが多いから、こんなとこ来るもんじゃないですよ」
間の悪いフラーエンに心の中で舌打ちをし、立ち去ろうとするハレッセンに笑顔を見せる。
「あ、あの…槍試合、応援してます!」
トークンを作ろう。刺繍は苦手だけど、頑張ってみよう。そう思った。
「ん?あー…出ないですよ」
ハレッセンは笑って言った。
「え?」
「さっきの騎士、槍試合で俺をやれると思って引き下がったでしょ。出ないって言ったらこの場でボコボコにされてたかなってね」
「な、なによそれ〜…」
カリネの力が抜ける。
「気をつけて帰ってください。カリネ・ステンサー嬢」
ハレッセン・コルドー卿は歯を見せて笑った後、赤いマントを翻して訓練所の方へ歩き始めた。
「何よ、それ…」
その背中を呆然と見送るカリネの耳元に、フラーエンがまあまあ大きい声をかける。
「耳赤いよカリネ!どうしたの!」
「うるさ!何でもないわよ!」
フラーエンに続いて、メリアやマイス達が慌てているカリネを揶揄う。
「ははーん。あの人、近衛騎士じゃない」
「ちゃっかりやってるわねカリネ」
「何でもないってば!あんた達こそ、もう見物はいいの!」
「それが、邪魔だって追い返されちゃったわ」
「ぷっ、何よそれ」
「見せ物じゃないって。至極真っ当に」
カリネは思わず破顔する。
「だから大人しくトークンを作ろうって、皆で話してたの。談話室か中庭でね」
笑いは絶えず、花の香りは高まるばかり。
待ち望んだ槍試合が迫り、人々の胸は膨らんでいた。
その日の昼下がり。ロザリードは自室にアレインとリリアンを招き、トークンの刺繍に取り掛かっていた。
手早く針を通すリリアンが、指を動かしながら口を開く。
「訓練所を覗きに来る令嬢がいると、兄が懸念していたわ。王宮の風紀が好ましくないのではと」
「それは、好ましくないわね。お互い様だとも思うけど」
ロザリードは辟易していた。今日だけで五人の騎士が突然目の前に飛び出してきた。そのたびに丁重に断る煩わしさから、自室に篭っている状態だった。
数日はルーベルンの騎士を連れて歩かねばならない。だがロザリードは騎士達の臭いがあまり好きではなかった。
「それよりヘレネッサは?あれから姿を見ていないけど」
簡素な刺繍で切り上げて、香草茶の準備をしていたアレインがそれに答える。
「王宮を退き、城下の屋敷に移ったようです。しかし、槍試合にはまた顔を出すかと」
「そうなりそうね。ベルクレイン家から騎士が十人も出るようだから」
そう言うとロザリードは糸を切り、仕上がったトークンを顔の高さに上げる。
リリアンとアレインが、目線だけをその動きに向けた。
「そこで終わらせるわよ」




