19. 帝国の影
義足のリガード・ベティオルが、片杖の音を響かせながら評議の間に入室した。
「おはようレイデン公。先日はどうもありがとう。ウィンザメルのワインはやはり格別だ」
「こちらこそ、リガード公。近いうちにまた」
外務卿ヴィル・ベルクレインを挟んで、財務卿レイデン・ルーベルンと軍務卿リガード・ベティオルは椅子に腰を下ろした。
「皆早いわね。おはよう」
「王妃様」
セレナリスが入室し、貴族達は一度立ち上がる。
腰を下ろして、初めに口を開いたのはレイデン・ルーベルンだった。
「喫緊の事案とのことで。近頃は喫緊ばかりですな。槍試合の件であれば、会場は完璧に整いましたぞ」
「王太子殿下がまだです。レイデン公」
「そうだな。法務卿殿」
レイデンは法務卿アフィルド・ローミアに冷ややかな目を向ける。アフィルドは特に目も合わせることなく、涼しげな目で前を見ていた。
「喫緊と言うのであれば、先に我らで話をまとめておいた方がよいのでは」
リガード・ベティオルがレイデンに同調する。
それに対し、ヴィル・ベルクレインが口を挟んだ。
「不敬とは思わないか。これからおいでになるのが王陛下であっても貴殿らは同じことを言うのか?」
「不敬?殿下のために気を利かせたつもりなのだが…不敬か」
「ふん…」
以前から仲が良かったわけではないが、貴族達の関係が変化していることをセレナリスは感じた。
王妃の隣の席では、少しにやけた第二王子クロディアが、剣の柄を指先でそっと撫でている。
「待たせたかな諸君」
衛兵が扉を開けて、国政の長エメルディアが入室する。立ち止まり、いつものように歯を見せて笑う。
「王太子殿下」
皆一斉に立ち上がり、王太子への敬意が示される。
犬を抱かねば眠れない孤独な青年は影を潜め、凛として立つのは未来の王。
エメルディアは硬い足音を響かせ、卓の右側から上座へ向かってゆっくりと歩く。
重厚に彫られた石卓を囲み、貴族達の息づかいと王太子の足音が、開け放された窓から青空に溶けていった。
「おはようございます叔父上、西から重大な報せがあるとか」
「おはようございます殿下。有事でございます」
王の弟、アドメルディア卿が進行役を務める。
「ティアラを返還してきたヴィタール公国が、早速動きを見せました。国境近くに軍が現れ、砦の建造を始めたとのことです」
「なんと…」
「早いな。返還と同時に動いていたか」
「危惧していた通りだ」
沈黙しているクロディアと目が合う。ほら見たことかと言う目つき。
「ヴィタールを捻り潰すのは容易いが…」
「オルドがな…」
貴族達が口々にざわめき合う。エメルディアは状況の確認を続けた。
「ギリアート公のことだ。すでにロヴィリカに兵を集めているのでしょう」
「それが、挙兵の動きはありません。国境を越えて来ない以上、仕掛ける道理もなく」
「バカな、砦の建造ですぞ。せめて脅しは必要でしょう」
動き無しという状況に、レイデン・ルーベルンが口を挟んだ。エメルディアは軍務卿に意見を求める。
「リガード公。軍務卿として、そなたの意見が聞きたい」
「はい殿下。オルドが介入の口実を欲しているのは明らかです。そのため、勿論こちらから国境を越えるべきではありません。しかし砦の建造も見過ごせない。対抗策としては、こちらも砦を建造すべきかと」
「なるほど」
エメルディアが頷くと同時に、クロディアが割って入る。
「では、その二つの家が完成したとして、次はどうなる?また別の場所に造り合うのか」
「意見があるのか」
「ありますとも兄上。国境など気にせず破壊すべきだ。ヴィタールが調子に乗っているのは後ろ盾あってのものだが、こちらからも本気で脅せば兵を引くだろう。ヴィタールとはそういうやつらだ」
「それではオルドが出て来ます」
「オルドの本軍は西いる。本気で来ようにも遠すぎるだろう」
「北東に向けている軍と、ハルバジア公国がこちらに向かうやも知れません。その後に本軍を投入されると…」
「やはり一旦は砦を…」
オルド帝国の力を知る者達は、戦闘を望まず様子見策を進めようとする。クロディアは不満そうに口を閉じた。
「殿下」
これまで黙って議会の様子を伺っていた、法務卿アフィルド・ローミアが、エメルディアに発言の許可を求めた。
「アフィルド卿、何かあるのか」
「恐れながら。個人的な内容ではありますが、ギリアート公から手紙が届いております」
「個人的な手紙?」
アフィルドは小さく丸められた羊皮紙を取り出し、卓の上に置く。
「西の森、件の砦の目と鼻の先で、ギリアート公は狩猟大会を催します」
「狩りだと?」
「それがなぜアフィルド卿に?」
アフィルドは続ける。
「ギリアートの旗主以外で誘い受けたのは、私とグレンザ・ノーツァース」
「ノーツァース…?」
「それは、ヒーツのノーツァース家か?」
「ええ。ヒーツのノーツァース家です」
エメルディアの頭にフラーエンが思い起こされる。ここで名前を聞くことになるとは思わなかった。だが今は、そんなことは重要ではない。
レイデン・ルーベルンは何かを察したように、そっと沈黙者側に回り、リガード・ベティオルがアフィルドに語気を強めた。
「何故、そなたとノーツァース公だけをあの男は誘うのだ。狩猟であれば、王家に手紙を書かぬのはそれこそ不敬であろう」
「私の推測ですが。王家を誘っていないことが、この狩りの意味を明示しているかと」
「まどろっこしい。早く言わぬか」
ヴィル・ベルクレインがアフィルドに詰め寄る。
「アーレベインの戦いね」
王妃セレナリスが言い当てる。それは十三年前の、王国の存亡を懸けた決戦。
レイデン・ルーベルンは息を殺すように黙っている。
「オルド帝国が聞きたくない名前、ということか…」
「つまり、どういう理屈かは知らんがギリアート公は、狩りで砦の建設を止めるというのか?」
「いくらあの男と言えどバカげている。こちらも砦を築くべきだ」
「ギリアート家は死にたいのか?」
口々に交わされる言葉の中で、アフィルドは静かに、だがはっきりとエメルディアの目を見て意見を述べる。
「私はギリアート公を支持します。殿下のお許しがいただけるならすぐにでも王都を発ち、ギリアート公と合流させていただくつもりです」
レイデンが尋ねる。
「槍試合は?貴殿の出場を待ち侘びる貴婦人は多い」
「恐縮ですが」
父王が最も信頼する騎士の一人、アフィルド・ローミア。文武を極めるその騎士のことを、エメルディアはよく知らない。
だがこの時勢において、理屈のない直感だが、この騎士の真っ直ぐな目は、頼りになると感じられた。
エメルディアが決定を告げる。
「ベティオル公、ルーベルン公。一旦はロヴィリカの動きを様子見するが、こちらも砦を造れるよう段取りを頼む」
「承知」
「アフィルド卿、出立を許可する。何かあればすぐに知らせてくれ」
「はっ」
隣国が静かに動き始めた。来たる戦を恐れていないと言えば嘘になるが、エメルディアに逃げ道はない。
無闇には口を出さず、議会の進行を見守る母の言葉を思い出す。
"スロンディアだって、独りでは帝国には勝てなかった。アフィルド卿やガルディス公、共に戦った諸侯達がいたから今があるの"
信じられる仲間、忠義の騎士。
アフィルド卿は、父に捧げた剣と誓いを自分にも捧げてくれるだろうか。
エメルディアは、扉を叩く決意をした。




