11. 春風に揺れて
正門から回廊を回り、大広間の宮を抜けた奥にある王族の御所。その二階にエメルディアの執務室がある。
高い日が窓から差し込み、温かい微風がエメルディアの前髪を揺らす。
右の机には既に開封した手紙達。左の机にはまだ封が開けられていない手紙達。
昨夜の晩餐に参加できなかった貴族達の手紙を、エメルディアは一通一通目を通し、自らの手で返事を認めていた。
書いた返事を、従兄弟のセルディアが方面ごとに選り分けている。
足元で寝ていた愛犬のロッシュが、ピンと耳を立てて扉の方を見た。
大きい足音が廊下に響く。二度扉が叩かれ、返事を待たずに弟のクロディアが入って来た。
「やあ兄上、セルディア。そんなつまらない仕事、今でなくてよいでしょう。中庭が面白いことになっていますよ兄上」
うるさいやつが現れたと、一瞥してすぐに視線を手元に戻す。
「…昨日どこにいた。何故晩餐に出ない」
「あー、騒がしいのは好きではないんだ」
エメルディアはため息をつき、止めていた羽ペンを走らせる。
「兄上の花園が、今まさに咲き乱れているぞ。水をやるとどうなるのか見せてくれよ」
弟の戯言を無視して、溶かした封蝋を垂らし、印章を押し付ける。
兄が取り合わないことを悟ると、クロディアは机に腰掛け、エメルディアの肩を叩く。
「悪かった冗談だよ。戦利品のように扱われるのが煩わしいんだよな。それはわかる」
「何しに来た。仕事の邪魔だ」
「親愛なる兄上のために伝えに来たんだ。これは真面目に聞け。今下で起こっているのは交流会などではない。戦だ」
顔は上げないが、エメルディアのペンが再び止まる。
「ロザリード・ルーベルンが力を見せつけたぞ。ヘレネッサ・ベルクレインは撤退し、リリアン・ベティオルは軍門に降った。
手紙なんか誰かに任せろ。のんびりしていると候補が勝手に減っていくぞ」
「簡単な問題じゃない。結局は執政会に回す話だ」
「その執政会の娘達が斬り合っているというのに、それでいいのか?セルディア、お前なら誰にする?」
小姓のように執務を手伝う従兄弟に、クロディアは話を振る。
「ぼ、僕は…わかりません」
「つまらんなあ。フレディアのやつは昼前から回廊の手摺りに張り付いてたぞ」
フレディアというのも、従兄弟である。エメルディアは大きなため息が溢れた。
「もういいか?この仕事を片付けたい」
「ああそうだ、フラーエン・ノーツァースも、そいつらと同じ卓だった」
書き始めていたエメルディアのペンが、また一瞬止まる。ロッシュが尻尾を一振りした。
「お前、いなかっただろ。誰がぺらぺら喋ってるんだ」
「フレディアだよ」
「あいつ…」
「フレディアでなくても、その件は皆言ってる。特別な誠意を見せたらしいな。辺境の娘に」
「俺が馬で跳ねた娘がいたろ。兵舎あたりで」
「あの女か。まさか貴族だったとは。意外な趣味だな兄上」
「謝っただけだ。深い意味はない」
そう言いながら、エメルディアはフラーエン・ノーツァースの真っ直ぐな瞳を思い出していた。
クロディアは兄のその呼吸の変化に気がつかない。
「ふーん…まあいい。仕事を邪魔して悪かったな」
クロディアは、ロッシュの頭をひと撫でする。
「セルディア、お前も他人事ではないぞ。こんな機会はそうそうない。お前の結婚もフレディアのも、あの中庭の誰かから選ばれる」
「クロディア兄さんは?」
「俺か?俺は自分で決めるさ」
そう言い残し、戦好きの第二王子は去って行った。
この状況を楽しんで揶揄っているのがわかる。だが忠告も実際に意味のあるものだった。
寝ても覚めても目を背けられない大きな悩みに、早く向き合わねばならないという思いが焦りを生む。
愛だけで物事を決めるほど愚かではないつもりだ。だが十年前と同じように、何の意思も介されずに気が付けば結婚していたなんて結末も、勿論望んでいない。
単純作業に集中し無心となることで、エメルディアは気持ちを整理できると思っていた。
慕ってくれる可愛い従兄弟が、静かに手紙の選別を再開する。
カーテンの揺れる執務室で、羊皮紙を撫でるペンの音が小さく響いた。




