10. 薔薇の中の薔薇
「なんて素晴らしい演説なのかしら。この前も初めから参加しておくべきだったわね」
「ありがとうヘレネッサ。あなたは気にしなくて結構よ」
「いいえ、遅参で失う信用は計り知れないわ」
ヘレネッサのその言葉に、ロザリードの微笑が一瞬固まり、アレインの眼光が鋭くなった。
ロザリードがフラーエンに話を振る。
「昨夜の舞踏会で、殿下があなたを前にしてお立ちになった理由。ぜひ伺いたいわ」
ロザリードがそう言うと。円卓の空気がすっと引き締まる。
嘘を飾る余地などフラーエンにはなく、ただまっすぐに言うしかなかった。
背筋を伸ばして、全員の目をしっかり見つめて、気後れを悟られないよう全力で微笑む。
「他愛のないことです。舞踏会の前日、つまり一昨日に私は王都に着いたのですが、裏門の厩近くで馬に跳ねられてしまって」
「馬に跳ねられた?」
「お怪我はありませんの?」
ロザリードとリリアンが相槌を打つ。ヘレネッサは静かに聞いており、ミーアは本を読んでいる。一体何の本を読んでいるのだろう。
「ええ、この通り!それで、その馬が立派な白馬で、只者ではないと思ったんですが」
「まさかその馬の主人が?」
「ええ、王太子殿下だったようです」
一瞬の沈黙。そして次の瞬間。
「ふふ……あはは……!」
ロザリードが声を立てて笑った。だがそれは、嘲るような笑いではなく、思いがけない可笑しさへの素直な笑いのようだった。肩を揺らしながら目元をぬぐい、息を整える。
「ごめんなさい、失礼ね。だって、王太子殿下に馬で跳ねられた令嬢なんて、聞いたことがなくて。それで?」
「それから、昨夜私が壇上へ上がった時、謝ってくださいました。跳ね飛ばした女だと気付いて」
アレインの口元が和らぎ小さく笑う。ヘレネッサとリリアンも目を合わせ、空気がほどけた。
円卓の外側で、さらにざわめきが広がる。
フラーエンの胸に、温かなものが満ちる。ロザリードはいい人だと、単純に、真っ直ぐに思ってしまう。香草茶をひと口。喉を撫でて落ちていく草の甘みが、不安をゆっくり溶かす。
気持ちが緩み、ふと口が滑った。
「一つの椅子を取り合う者同士なのに、こうして卓を囲むのは変な感じ」
ロザリードの笑い声がぴたりと止まる。ヘレネッサの口角と片眉が微かに上がり、リリアンが深く息を吸う。ミーアはゆっくりと本を閉じた。
いらぬ流れ矢を放ってしまったとすぐに気が付いた。円卓は静まり、フラーエンの心臓が跳ね上がった。
静寂を破ったのは、やはりロザリードだった。顔を上に向けて微笑み、杯を持ち上げた。
「正に核心ね。私達は当然、馴れ合う間柄ではない。花のティアラを戴けるのは、この中の誰か一人だけ」
彼女はくるりと視線で卓を一周させ、声をほんの少しだけ落とす。
「でも、孤独な王妃にどんな価値があるかしら。ただ王妃の座を奪い合うなら、円卓を片付けて騎士を出し合い、最後の一人になるまで戦わせるのが手っ取り早いわ。でもそうじゃない。ティアラが望むのは、美しき闘争。そう思うのは、私だけかしら」
風が通り、ミントの香が揺れた。ヘレネッサが笑い、リリアンが頷く。アレインは背筋を伸ばしたまま深く息を吸い、ミーアの視線が全員に回った。
「そういうことね」
「見苦しさはティアラを曇らせますもの」
フラーエンは息を呑み、うなずいた。言葉の鋭さと、言い切る清冽さ。羨望と敬意が胸の内で音を立てる。
柔らかな風が止むと、リリアンが口火を切った。
「よく学ばれていますのね。あなたのその話し方、日毎、王妃様に寄せているよう」
ロザリードの目が光る。白い歯が覗くほどに口角を上げ、首を傾げて言葉を返した。
「そう?毎日のようにお会いしているからかしら」
「うふふ」
リリアンが笑う。だがそれ以上は何も言わない。
「勿論側仕えは毎日ではないわよ。私はルガティアス家の者ではないから」
この話の主導権を、ヘレネッサが乗っ取る。
「うっかり寝過ごして遅参せぬよう、アレインがしっかり起こさなくてはね」
ヘレネッサが何度か口にしている"遅参"という言葉。その言葉が発されるたびに、ロザリードは口を噤み、アレインの目に殺気が宿る。
ヘレネッサがしたり顔で続ける。
「ベルクレイン家では、遅参なんて絶対に許されないの。
ねえフラーエンさん。大事な約束に遅参されるの、あなたは何回まで許せる?」
穏やかではない会話に突然引き入れられ、フラーエンは背筋が強張る。微笑のヘレネッサを見つめ返すが、視界の外では間違いなくロザリードが見ている。
「それは、事情によりますね」
「なるほど賢い。そうねえ、では例えば…」
ヘレネッサが続けようとした時、ガタリと音を立てて、アレインの杯が倒れ茶が溢れた。
「申し訳ございません。手が当たりました」
リリアンがいち早く反応する。
「まあ大変、誰か早く拭くものを」
「大丈夫アレイン?かかってない?」
ロザリードがそう言う間に、侍女達が寄って来て卓の上を綺麗にする。会話は途切れ、これが意図的にひっくり返された茶であることはフラーエンにもわかった。
だが、ヘレネッサは止まらない。侍女が卓を拭き終わるのを待たず、ロザリードに畳み掛ける。
「ルーベルン家の積極財政への報いがあなたの名誉職なんて、お父君はご不満なのでは?ルーベルンは勘定が得意でしょう?」
ロザリードは微笑みを崩さず言葉を返す。
「この上なき名誉だと思っているわ」
「あ、失礼。今はまだ清算の途中だったかしら」
「……報いなら、もっと大きなもので授かるつもりよ」
「素敵ね。晩餐の舞踏とかかしら」
「与える報いも然りよ」
アレインの前に入れ直された茶が置いて、侍女達が捌けていった。
「舞踏といえば、昨夜、殿下と踊ることができなくて残念でしたわ。私のことが嫌だったかしら。それとも父上の押し売りか煩わしかった?」
アレインの視線が、また一瞬鋭くなる。
リリアンは口につけようとしていた杯を一旦置いた。
ロザリードは笑っている。
「熱い方が香り高くて、殿下もお好きかと思ったのだけど。ロザリード、あなたはどう思う?」
「あまり熱すぎると、火傷するわね」
ロザリードがそう言うと、アレインが侍女に目配せし、清水の入った瓶を持って来させた。
「一旦水で落ち着きませんこと?」
「いいえ、結構ですわ」
「私も」
ロザリードの提案を断り、ヘレネッサとリリアは同時に茶を呷る。
ミーアはまた本を読み耽り、返事はない。
「あ、あの、私お水頂いても…?」
フラーエンが水を欲した。この場にいることですら落ち着かないのに、目の前のやり取りを見ていると無性に喉が渇いた。それに、静水を飲める機会を逃したくなかった。
「んん、おいしい」
フラーエンが水をごくごくと飲む様子を、ロザリードが目を細めて見つめる。
「私も水を飲もうかしら。混じり気のないものが欲しくなる時、ありません?」
「そうですね」
ロザリードに続いて、アレインも水を飲んだ。
杯を卓に戻し、ロザリードは柔らかく話題を転じた。
延期された槍試合の話。
「一体いつまで延期が続くのかしら。皆楽しみにしているでしょう?」
「ああそれなら、陛下の容態が安定なされたから、近いうちと父が言っていたわよ」
挑戦している刺繍の模様の話。
「リリアンのドレスは本当に見事な刺繍ね。それは仕立て屋が?」
「これは自分で。手先だけは器用ですの」
求愛してきた騎士の話。
「今まで言われた愛の言葉で、心に残ったものはある?」
他愛のない雑談が続いた。
「そろそろよさそうね」
そう言うとロザリードは、湯気が減った香草茶を一口飲んで、美味しいと微笑んだ。
そしてまた目に光が宿り、ヘレネッサに視線を向けた。
「でも変ねえ。昨夜ベルクレイン公は、小馬の手綱を引く展覧会の農夫のように、ただあなたを殿下に見せて階段を降りたはずよ。誘ってもいない舞踏を断るなんて殿下はそんなに意地悪かしら」
「あらその話?父上が誘ったのよ。私からお誘いするのは、貴族の娘としてはしたないじゃない?」
「いいえ。誘っていないわ」
断言するロザリードの眼光を、ヘレネッサが見つめ返す。
「一体何を言っているのかしら」
円卓上の空気が張り詰める。ロザリードの目が、口角を上げたままでも今までと違うとわかる。
「昨夜のあなたは、当たり障りのない挨拶をする父の横で、ただ微笑んだだけ。王妃様に首飾りを褒められても、緊張して微笑んでいただけ。今日も付けているのね、それ。私も素敵だと思うわ」
ヘレネッサの手にある杯の中が波打つ。
場の空気に呑まれ茶器を一点に見つめているフラーエンの手に、ロザリードが手を重ね囁く。
「生まれつき耳が良くてね」
ヘレネッサは少しの間固まったが、動揺を一呼吸で抑え杯を置いた。
「あらら、そういうこと…」
そう一言呟いて、ヘレネッサは侍女に椅子を引かせた。
そしてにこりと優雅に微笑んで告げる。
「素敵な茶会へのご招待、ありがとうロザリード。私はお暇させていただくわ」
「あら、まだ日も高いのに残念だわ。軽口が災いを招いたのかしら」
「口の中を火傷しただけよ。これでは二杯目は楽しめそうにないから」
一瞥してそう言うと、ヘレネッサは歩き始めた。しかし、三歩歩いたところで一瞬立ち止まり、ふわりとドレスの裾を浮かせて振り返る。
「ああ、そうだロザリード。あなたのその髪飾りも、とても素敵でお似合いよ」
「ありがとう、また誘うわ」
そして、ヘレネッサは回廊へ歩いて行った。緋色のドレスが見えなくなるまで、誰も口を開かない。
ヘレネッサの杯にはまだ茶が残っていた。
それまで沈黙していたリリアンが口を開く。
「私の靴も、もう濡れているのでしょうね」
フラーエンは横目に乾いた石畳を見る。リリアンの言葉が何の比喩かわからない。
リリアンが合図をすると、彼女の侍女が小さな箱を持って来る。小さいが、金細工が施された華奢な箱だった。
リリアンはそれを受け取り、白い卓の上でロザリードに向けて開いた。
「お近付きの印に」
その箱の中を見て、フラーエンは思わず目を見開く。
大きな水晶が使われた、美しい腕輪だった。
「まあ、なんて美しいんでしょう」
「ボーデンで一番の職人に作らせましたの」
「頂いてもよろしいの?」
「ええ、是非受け取っていただきたいわ」
ロザリードが白く細い腕を前に出す。ロザリードの身体こそが宝石とでも言うように、アレインは丁寧にその腕輪を装着させた。
「ありがとうリリアン。どうかしら?似合う?」
腕輪をつけたロザリードはその場に立ち上がり、皆に見えるよう手を少し上げる。
リリアンは一瞬目を伏せたように見えたが、花が咲いたような笑顔を見せ、勝者の姿を礼賛した。
「よかった!とても似合っているわ」
周囲の卓からも感嘆の声と、まばらながらも拍手が起こった。
腕輪は陽光を跳ね返し、ロザリードの笑顔を輝かせている。
フラーエンも同じようにその美しさを讃えたが、胸に引っかかるものがあると気がついていた。
ヘレネッサが席を立ち、ロザリードはリリアンからの贈り物を身につけ高らかに笑う。
目の前で交わされたのは剣戟。ただ和やかな茶会などではないことはフラーエンにも理解できた。
ただその交わされた剣筋は見えず、ロザリードの剣が鞘に仕舞われたのか、それとも誰かの喉元に当てられているのか、フラーエンには全くわからなかった。
「おかわりはいかが?フラーエン」
ロザリードは変わらぬ笑顔でフラーエンを見る。
「あ、ありがとう…」
ロザリードが催した類を見ないこの茶会は、陽の色が変わり始めると頃に幕を閉じた。
翌朝の回廊でカリネと顔を合わせ話し、フラーエンはその時ようやく平静を取り戻すことができた。
三本立ての茶会編、結構な文字数になりました。
最後までお読みいただきありがとうございます。




