第九話 襲撃者
「さぁ!今日も一緒に授業を頑張ろう!」
昨日よりも元気よく挨拶をするとニコニコと笑顔を俺に向けた。
「昨日と一つだけ違うところがあります。それはいったいどこでしょう?」
そんなの見たら分かるだろ。明らかにあんたの後ろに昨日までなかったものが置かれてれいるのだから。
「どうせその黒板でしょ?」
分かりきった答えをシャローネが答えた。
「正っ解!!なんと当主様が授業がやりやすいようにと無償で提供してくれました。なので、ありがたく今日から使わせてもらいます」
意外とジンガも子供の教育にはしっかりと力を入れるんだな。てっきり子供はどうでもいいとか思ってるタイプの人間だと思っていた。
「それじゃあ、この新品の黒板を使って授業をしていくよー。まず昨日は文字の読み方を教えたはずだけど覚えたかな?」
「あたりまでしょ。あんな簡単なもの誰が忘れるのよ」
シャローネは相変わらずシルビオットのことはそこまでよく思っていない。まぁシャローネからしたらいままで屋敷にいるジンガとダイシャ以外には普通に話してたのにいきなり現れた人間に言葉遣いを家族と同じように接しろなんて難しいのかもしれない。それに今まで一番地位の高かったジンガよりも地位の高い人間が現れたのは俺だって驚いた。
「では昨日渡した本を出して、それは読んでいくよー」
昨日渡されたクリティアスという賢者の本を出した。
「まず、この本の名前は『賢者の旅路』と読むのは昨日教えたよね。この本の第一章に記されていたクリティアス様が旅の途中で遭遇した竜の名前を読めるかな?」
「ドットォーね。簡単よ」
あっさりとシャローネは答えた。
竜もいるのか。この世界は魔法も賢者も龍もいるなんてファンタジーの世界だな。いや異世界に産まれた時点でファンタジーか。
「よく読めたね。ドットォ―は読むのが少し難しいけど流石シャローネちゃん。ちなみにこのドットォ―と呼ばれる竜はめちゃくちゃ強いです。この本だとクリティアス様より少し大きいぐらいに描かれているけど実際の大きさはおそらくクリティアス様の十数倍ほどの大きさがあると考えられています。竜はドラゴン族の中でも上位の種族なので一体で一つの国を滅ぼした。なんて伝説のある竜もいるんだね~」
「質問です。ドラゴン族ってどんなのですか?」
「気になるよね。ドラゴン族はねぇ、昨日話した種族間の戦争で争った五大種族の一つなんだ。魔族、精霊族、ドラゴン族、神族、と私達人族で五大種族は構成されているんだ。ドラゴン族は幅広く色んな種に分かれてるんだけどその中でも竜種は知能が高く長寿だから戦闘や魔法についての知識が高いんだ。まぁ、竜種なんて絶滅したとか言われる程には個体数が少なく滅多に姿を現さないんだ。最後に姿を確認したのは大陸の南方にある海で嵐の中に姿が確認されたとかだたったかな。でもたぶん見間違えたんじゃないかな、嵐の中の海なんてまともに姿を見れるような環境じゃないからね」
この世界にも神はいるのか。というかよくドラゴンとか神にこの世界の昔の人間は戦いを挑もうと思ったな。それほど昔の人は強かったんだろう。
「ちなみに豆知識だけど、竜種は竜種同士の仲が悪いとされているんだ。知能があれば色んない生き方をする個体もいるからきっと考え方や生き方が合わなかったりするんだろう。私達人間ですら喧嘩をするんだから」
それなら竜種は喧嘩とかすのだろうか。ドラゴンの喧嘩……。怪獣大戦争ってことか!!いや、そんな一国を滅ぼせる存在同士が喧嘩とかしたら喧嘩した場所には何もなくなるだろ。そんな奴らがいる世界とか怖すぎだろ。
「じゃあ次いくよー。次の章の――」
ドクンっ
心臓が突然波打つ
殺気!!この殺気は何処から来ている。それにこの殺気の圧は……、ジンガよりも強い。体を舐めまわすようなねっとりとした殺気。この殺気を放っている者は俺達を既に殺せる距離にいる。それを理解したうえで俺達にあえて知らせているんだ、「自分はいつでもお前たちを殺せる」と。
書物庫を照らしていた窓の光が失われ書物庫全体が巨大な影に覆われた。
影の根元を辿るように自然と窓を見ると、大きな眼光が獲物を探す獣のごとく書物庫を覗込んでいた。この世界に来て三度目にして人生最大の圧倒的な力を感じ、心臓の鼓動が加速する。
ギラギラと光る瞳をシャローネとシルビオットは何もできずただひたすらに固まったまま見つめることしかできなかった。書物庫を満たすこの殺気によりこの場の全員が本能で狩られる側の兎ということを理解した。
「グオ”オ”オォォォ―――――――ンン!!!!!!!!!!!」
けたたましく響く猛獣の咆哮が耳に到達した刹那、書物庫ごと俺達は空中へと吹き飛ばされた。
吹き飛ばされ、パラパラとページを捲る本、木片となったさっきまで座っていた椅子だったもの、全てが平等にゆっくりと落下している様に感じる。せっかくの異世界でもう死ぬのか。早いな、結局魔法がどうやって発動するかなんて教えられてないし、クリームシチューのレシピ聞いてないし、昨日貰ったクッキー最後の一枚まだ食べてないし、またやり残して死ぬのか…。
「キャアァァァーー」
空中にシャローネの叫び声が聞こえた。
そうだ、せっかくなら家族ぐらいは守って死ぬか。まぁこの高さから生きて戻れるなんて思ってないけど、どうせなら人助けしよう。
地面へと落下するシャローネを小さい体で覆うように抱きかかえ、森の木々の間に落下した。
もう死ぬのか、シャローネに大きな怪我はないみたいだし良かった。あれ?俺も怪我してないな。木々の間を落下したからかすり傷はあるけど骨折とか血が流れてない。それに地面に足がつかないし誰かに抱き抱えられて――、
「二人とも無事みたいだな」
上を見上げるとジンガと目が合った。
なんだ、ジンガが助けに来てくれたのか。そうかなら安心だ、とはならねぇよ。そもそもこっから屋敷までの距離はざっと一二キロだ。それをあの吹き飛ばしから落下までのほんの数秒で俺達を瓦礫や木片から探し出し、俺達の落下位置を予測してそこに立ち捕まえる。こう考えるとさっきのでっかい瞳よりもあんたの方が怖えよ。
「ありがとうございます、お父様」
「あぁ、二人にたいした怪我無いならそれでいい。俺はあの竜を討伐しなければならん。二人はダイシャやメイド、使用人達と一緒にこの場から去れ」
ゆっくりと俺とシャローネを降ろすと屋敷へ向かおうと俺達に背を向けた。
竜?さっきシルビオットから学んだドラゴン族の上位種。一国を滅ぼしたとされる種か。たしかにジンガは強い。さっきの様に俺達を助けれるほどの速さがある。だけどあいつを倒すのは不可能だ。あの殺気は書物庫だけでなく屋敷全体に対する殺気だった。つまりあの竜はいつでも屋敷を消し飛ばす程の威力を持った攻撃ができる。それをしなかったのは何か考えがあるんだろう。シルビオットは長寿だから知脳が高いと言っていた。ジンガという存在を探知しながらジンガではない俺達を最初に攻撃したのはきっと計画がある。もしここで俺達とジンガが離れればそれこそあの竜の思う壺だ。
「そんなに不安そうな顔をするな。ここにはシルビオット様がおられる。もうすぐでここに到着するはずだ。それに俺はこの屋敷の当主である以前にシダ、シャローネ、二人の父親だ」
俺たち二人の頭を雑に撫でると屋敷へ目で追えぬほどの速さで向かっていた。
あのバカ、力の差を理解して挑みに行ったな。まったく、三歳と二歳の子供を森においてどうするつもだ。しょうがない俺達にはあの竜を倒す力なんて無い。ここはジンガの言った通り逃げるしかないな。
「ねぇ、おとぉ様をおいて逃げるの?」
横に座り込むシャローネが言った。
逃げるか…。
『お前はまた逃げるのか?松崎、肥後、喜智、お前はいったい何人の人間から逃げて来た?逃げてきた先でまた逃げる。しかも今度は父親を見殺しにするのか?』
心の奥底で蓋にしまった記憶が語り掛けてくる。
『なぁ言えよ。お前、本当は自分から逃げてるんだろ?そうだろ?知ってたんだよ、自分が間違っていたことなんてお前は元々知っていたんだ、自分の愚かさと弱さをな。それを隠すために必死に自分を強く見せてきた。結局お前が馬鹿にしてきた人間とお前は同じなんだ』
あぁそうだよ。俺は弱い。自分よりも優れている人間なんて何人も見てきた。その度に必死に言い訳して自分を正当化してきた。だが、俺は今を生きている。前まで守れなかったものも今の俺が守ってみせる。今の俺ならここで屋敷のミリスやハンナ達も、ダイシャ、ジンガ、シャローネ全員救ってやるよ。
「よかった、二人とも無事だったんだね」
屋敷の中からひボロボロのシルビオットが顔を出した。
「二人とも今すぐここから逃げるんだ。あの竜は私達がなんとかする。だから子供の二人だけでも今すぐ逃げるんだ」
「嫌です。僕は……。僕はあの竜と戦います」
「何を言っているんだ!あれはさっき話したドラゴン族の上位種で私達がまともに戦える相手ではない。いいかい?君がどれだけ賢くても君は子供だ。私は子供を戦場に立たせて殺すなんてことは絶対に許せない。だから逃げるんだ!!??」
森にシルビオットの叫びが響いた。
「自分からまともに戦えないと言うのに挑むんですか?僕もシルビオット様と同じように恩人を見殺しにはしません。それにシルビオット様の授業はまだ最後まで聞くことができておりません。僕に案があります」
はぁ、と大きなため息をするとシルビオットは地面に座り込んだ。
「分かった。君の意見を聞いてあの竜に挑むことにする。ただし、一つ条件がある。君達二人が絶対に無事でいることだ。私は君達二人という大切な初生徒を死なせるわけにはいかない」
服に着いた木の葉をはたき落としながら答えた。
「僕の案は―――――」
初めての子供が俺の一本の指にも満たぬ小さな手で必死に俺の指を握り微笑んだのを今でも思い出す。俺は妻と子供にもっと時間を割くべきだった。仕事ばかりで家族との時間は少なく、数年たった今でも、娘と息子への接し方が良く理解できぬままだ。俺は結局シャローネとシダが弱い存在にしか見えぬまま死ぬのだ。きっと二人は家族を残して戦死した俺を恨むのだろう。もっともっとシャローネとシダの手を握っておけば、あの子たちに残せるものもあったはずだ。
森を抜けると屋敷の屋根に陽の光に照らされ黒光りする鱗を身に纏った竜が鎮座していた。黒竜を目に捉えた時には既に黒竜の爪が眼前に迫っていた。
クソッ流石竜種!一国を滅ぼした伝説は伊達じゃない。このままでは直撃だが、この程度、俺が防げぬ攻撃ではない!!
『抜刀術 遡忌斬り』
鞘から抜かれ剣は黒竜の動きよりも数倍速い斬撃を放ち空間を歪ませ黒竜の爪を弾き返す。
こんな剣技でダメージを与えらえるとは思っていないが、この手ごたえならまだ、戦える。あの子たちとダイシャを逃がす時間ぐらいは稼げなければ『王国の守護者』第三部隊長の名に傷がつく!!!
「かかってこい、その屋敷を返してもらおうか」
「グガアァァァァ―———」
決闘の合図がこの平原、森、空へと轟いた。