第五話 家庭教師
人生で数回、自分よりも圧倒的に強い存在を感じたことが数回ある。基本的に一人の人間が本気を出せば人間一人ぐらいは殺せる。しかし、どうしても勝つこのできない、殺すことのできない圧倒的強者は存在する。この世界で初めて感じたのはジンガだった。多分このまま俺が成長してもジンガに勝つことはないだろう。そして、俺の横に立ってキョロキョロと辺りを見渡すシルビオット・カノンと名乗る人間。こいつもその種類の人間だ。別に俺が二歳の体だからという話ではない。はっきりと分かる、普通の人間からは感じない感覚。こいつからしたら俺を今ここでバレずに殺して殺人を隠蔽することが難しいことではない。やはりこいつとは距離を置こう。
「ねぇ、シダ君。ここの花は君が育てているの?」
「うん!僕が育てんだ!綺麗でしょ!」
そうここは屋敷で使われなくなった花園に、屋敷の庭とかに生えてる花たちをここに植えたとで元の姿を取り戻した俺の管理してる花園。ついさっきまで、俺以外知らない花園だったわけだが。
「シルビオットさんはどうしてここにいるの?」
「あっははは。そうだよね、屋敷に行こうと思ってるんだけどシダ君に案内してほしいなぁ」
乾ききった唇、それに少し瘦せ気味な体系、ボロボロな服。こいつ今日から家庭教師とか言ってるけど、さっきまで無人島で100日間サバイバルしてきました!とか言われても違和感がない。まぁ、水ぐらいな渡すか…。
「ちょっと待ってて、ここにいてね!シルビオットさん」
たしか花園の管理倉庫の裏手に使われてない緊急用の井戸があったはず。
やっぱりあった。バケツを垂らせば、
チャポンッ
よし、水はまだ残っている。あとは持ち上げれば。ってあれ?思いのほか持ち上がらない。そうか、俺の体は二歳。流石に満杯の水が入ったバケツを井戸の底から引っ張り出すのは難しいか…。水を減らすしかないな。
「はい!シルビオットさん!」
水の入ったコップを渡すと、目を輝かせてゴクゴクとあっという間に水を飲み干した。
「ありがとう!よく喉が渇いてるって分かったね?」
不思議そうに見つめるシルビオットは俺の顔の位置まで屈むと
「はいこれ。私からのお礼だよ」
腰に掛けている鞄から小袋を出すと中に入っている少し欠けた小さめのクッキーを俺の手のひらに三枚のせた。
こいつ!良いやつだ。俺の人生の教科書に書いてある。『ご飯やお菓子をくれる人間は良い人』だと。これからは、こいつではなくシルビオットと呼ぼう。
クッキーを噛みしめながら歩くこと数分。屋敷の玄関に辿り着いた。
「シルビオットさん、ここが僕のお家だよー!」
「ありがとう!シダ君!本当にありがとう!」
俺の両手を包み込むように手で握るとシルビオットは何度も頭を下げて感謝をしてくれた。
玄関のドアを開けるとちょうど廊下の清掃をしているミリスと目が合った。俺の後ろに視線を向けるとギョッと目を見開いて慌てて去っていった。珍しいことだ。ミリスは普段は気だるそうに仕事をしているが、常に冷静だ。ミリスのあの慌て具合から考えると、シルビオットはもしかしたらこの世界だと有名人だったりして…。
二枚目ののクッキーを口に運ぼうとした時
「これはこれは、わざわざこのような僻地にお越しいただきありごとうございます。この屋敷の当主、ジンガ・ルイルスと申します」
ジンガがダイシャとシャローネを連れて現れた。
「ほら、シダとダイシャも挨拶をするのよ。あなたちの家庭教師さんなんだから」
へ?家庭教師…………???そういえばそんなことをシルビオットが言ってた気がする。そうか、シルビオットが今日から俺とシャローネの家庭教師。なるほどね。いやいや、それならなんで服がボロボロで俺の横に立ってるんだよ。途中で猛獣に襲われでもしないとこんなボロボロにならないだろ…。やっぱり、ヤバいやつだ。
「こんにちは。僕はこの屋敷の長男、シダ・ルイルスです」
「私も挨拶するわ!私はシャローネ・ルイルス、よろしくね」
挨拶をする俺の目の前に割り込むようにしてシャローネが挨拶をした。
「コラ!!シャローネ、言葉遣いに気を付けんか!!」
なにも三歳の女の子にそこまで怒らなくてもいいだろうに。
「すいません、シルビオット様。うちの子に教育ができておらず…」
「大丈夫ですよ。私は気にしませんので。それに、シャローネちゃんはまだ幼いのでそこまで言わなくても…」
シルビオット様と呼ぶということは、シルビオットはこの国ではそれなりに地位の高い人間なのだろうか。
「そうですか。」
キッと威嚇するようにシャローネを睨みつけるとジンガは屋敷の案内へとシルビオットを連れていった。
「いい?シャローネ。さっきあなたの目の前にいたシルビオット様はカノン家という上位の貴族の人なの。だから、ちゃんとした言葉を使うのよ?分かった?」
なるほど、だからミリスは慌てるし、辺境伯家の当主であるジンガもあんなふうに接していたのか。もし、シルビオット以外の人間だったら不敬罪で死刑なんて言われていた可能性もあったりして…。上位の貴族となると相当地位の高い家系だ。クッキーをくれる良いやつから一気に自分よりも地位の高いお偉いさんだ。俺も言葉遣いには気を付けよう。せっかくの新しい人生が即終了なんて嫌だしね。
「ごめんなさい、おかぁ様。次から気を付けます.……」
「分かればいいのよ。次から気をつけなさい」
いつも通りの笑顔でシャローネの頭を撫でるとシャローネと俺をおいてジンガの仕事の整理に向かった。
「ほらシダ、早く行くわよ」
シャローネは俺に手のひらを突き出した。
「行くって、どこに行くのさシャローネお姉ちゃん」
「いいから、行くったら行くの」
突き出した右手で俺の左手を乱暴に握ると、俺を引っ張るように歩き始めた。
俺の手を強く握るシャローネの手は少し震えていた。