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最も基本的な仏教の話

 基本の基本の話で、宗派で色々変わる。

 ヒンドゥー教ならともかく、仏教を理解してない人が多すぎる。

 まず仏教は神が仏と呼称されているだけだと思っている人が意外と多いが、仏教にも神はいる。仏はその神より上位の存在なのだ。

 今はそういうドラマ見てないので知らないけど昔の刑事ドラマなんかじゃ殺人事件の被害者を「ホトケさん」だとか呼んでいたし、仏教では死者は「仏になる」と勘違いしてる人も結構いるけれど、そんな簡単に仏になれたら苦労はない。

 六道輪廻…乙女座の黄金聖闘士の得意技だな。キミに相応しいのは修羅道だみたいな、いや大体修羅道なんじゃねぇの?っていう。


 六道とはすなわち「天道」「修羅道」「人道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」の事。この順番で上位から下位となる。つまり地獄道が最悪って事。ただし、修羅道と人道の順番は前後することもある。

 修羅道が人道より上なのは純粋だからだろうと。人道は欲望にまみれた汚い世界なので。

 どの世界に転生しようと、その世界での生を終えればその世界での行いによって来世にどの世界に転生するかは決まる。ただ、人道以外は行いも何もという話だが。天道から地獄道に落ちる可能性ももちろんあるのだけれど、一度天道に転生すればその穏やかな世界で他の五道に転生するような行いをしようがない気はする。

 ただし、仏教の目的は輪廻の輪から解き放たれる事であり天道に転生する事ではない。前述の通り、天道からでも地獄道に転生する可能性はある。その可能性は生きている者にとって苦痛でしかない。その苦痛から解き放たれるには転生自体やめないといけない。

 それが「悟り」であり、悟りを開き人をやめ仏になる事でようやく輪廻の輪から解き放たれる。

 「生まれ変わり」や「転生」があるならそれが希望だ、生まれ変わりたいという人は多いと思うけれど、仏教においてはそれは「苦」。生まれる事自体が苦なので、仏教では生老病死と生までもが苦痛に含まれてしまう。生まれるのも苦しいけど、一度生まれたなら死ぬのも苦しいという、何かツッコミを入れたくなる考え方だが。


 でも、地獄道に落ちてもそこでの生を終えればもちろん別の六道への来世は転生する事になる。なら地獄道に落ちる事をそんなに恐れなくてもいいのではないかというとこれがそうでもない。仏教に限らず楽園、天国の描写は適当なのに地獄はこれでもかこれでもかと人間を痛めつける詳細な描写を行う。人間は昔から変態だな。

 まず地獄道では「死ぬ」事で転生する事など出来ない。死んでもすぐに蘇生するという、やっぱり多くの人が望む世界観となっている。ただし、惨い死に方ばかりだが。

 地獄道は死ぬことで転生するのではなく、「刑期」とでもいうべきものがあり、その時間が経過する事で転生することになる。

 ただし、最も軽い地獄「等活地獄」でもその刑期は実に500年。超長生きできる。というか死んでも蘇る事が出来る。「等活」とは等しく活きる、生き返る地獄という意味。とはいえ、その下の地獄も全てそうなんだが。これが500年だ。が、最も軽い地獄だけあって「たったの」500年かとも思える。

 問題は等活地獄での1日の長さが人道とは違う事で、人道での約912万5千年が1日。有名な猿人アウストラロピテクスが古くみつもっても400万年前なので、仮にアウストラロピテクスが地獄道に落ちていたとして、彼らですらまだ半日もその刑期を終えていないという事になる。

 1年が何日かはわからないけれど、仮に365日とすると500年とは人道での1兆6600億年。宇宙の年齢は137億年とされているので、全宇宙規模で地獄道が存在するとして、この宇宙では地獄道の刑期を終えたものはまだいないという事になる。宇宙の初期に何故か地獄送りになったものがいたとしてそれでもまだ終えた刑期は4年でしかない。後496年頑張れ。まさしく地獄である。

 時間の流れが違っていて、実は人道の1日も地獄道の1日も同じ、ただし地獄の中にいる者は実際には900万年過ごしている、そう考えてもいいが、何にしても1兆年以上というのは尋常ではないだろう。

 最も景気の長い最悪の地獄「無間地獄」はもはや計算すら不能な1中劫という単位が割り当てられている。とはいえ、正直一番軽い「等活地獄」の刑期だけでもう語るのもバカらしい時間であり、絶対に地獄道には落ちたくないだろう、これでは。

 だから「悟り」を開かなくてはいけない。

 「成仏」とは迷わずあの世にいくことではない。それでは輪廻転生してしまう。

 成仏とは文字通り「仏に成る事」であり、悟りを開いて人生を終えたものだけが到達できる境地。生きたまま成仏するのは「即身成仏」であり、その生きたまま仏となったものを「即身仏」と呼ぶ。決して地面に埋もれたミイラの僧侶が即身仏なわけではない。もし彼らが即身仏なのであればあれは「生きている」のだ。


 最終的には弥勒菩薩が現れて全ての人間を救ってくれるらしいが、遙か先の話なんで、自力で成仏しろって事だな。ちなみに56億7千万年後だ。…地獄の刑期終わる前に救済されるって事か?


 ちなみにユダヤ系列には転生の概念はない。死んだら、死後の世界で最後の審判のその日まで過ごす事になる。つまり、聖者の生まれ変わりなどというものは存在しない。それは仏教の考え方。

 新たな預言者であればまだ可能性はあるけれど、イエスやムハンマドの転生体などというのはそもそもが「間違った」存在という事になる。

 宗派で変わるけど、つまりは「この世界は苦しみに満ちてるから自分を磨けよ」っていう学問的なものであって、念仏を唱えれば極楽にだの、仏が罪を許してくれるだの、それはどちらかというとユダヤ系列の考え方。

 ただ、修行だの何だのしなくてもいいならその方が楽でいいから、そっちが人気出ちゃってそれがメジャーになっちゃったっていうだけ。

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