第三話 ② 異空間の怪物
綺麗に積み上げられたコンテナ。
整然と並んでいるはずのそれらの一部が、どうにも気になった。
よくよく見てみると、積み上げられた上の方が秩序を失っている。
――大破している。
トラックでも無ければ傷一つ吐けられないであろう、巨大な鉄の箱が。
圧倒的な力によってひしゃげさせられている、というのが正しい表現か。
とにかく、その上部が破壊されており、そこから食べ物がなだれてきている。
食べ物はそのほとんどが黒ずんでおり、めちゃくちゃ汚い。
悪臭の原因はこれらしい。
幸い虫が湧いているなんてことは無いようだった。
いや、そんなことより。
このコンテナがこうしてぶっ壊れてるということはそれをやった犯人が……
――――――――――――ッ
思わず首をすくめる。
空気をびりびりと震わせる、獣の咆哮。
根源的な恐怖を呼び起こさせる、支配者の声だ。
本能が、今すぐに逃げろという信号を絶え間なく出してくる。
まっずい。
コンテナをひしゃげさせるほどの怪物に、貧弱な俺が敵う訳が無い。
それにソフィも一人で心細い思いを……しているかはちょっと怪しいけど。
一刻も早くソフィと合流しないと俺の身が……
「こら、耳痛くなっちゃうでしょ」
近くで、聞きなじみのある声がした。
まさかと思い、声のした方向へ走る。
何個目かもわからないコンテナを曲がり、少し開けた場所に出ると――
そこには、こじんまりと正座しているソフィがいた。
息を切らして走ってきた俺に気が付いたのか、ソフィは顔を上げると謎の弁明を始めた。
「違うんです。私はちょっと頭なでようとしただけなのに、なんか急にこの子が……」
「それは……なんだ?」
ソフィの膝の上には、白い毛玉が乗っている。長い毛をした犬のようだ。
「この子ですか? かわいいですよね。
私もよく知らないんですけど、ついさっき出会って……なんか甘えてくるんです」
美少女がかわいい犬と戯れている……だけならまだ良かったのだけど。
問題は、そいつがどう見ても普通の生物じゃない所にある。
白く長い毛が伸び、ずんぐりむっくりとしていて自身の毛で目が見えなくなっている……というところまではいいのだが。
皮膚がところどころ剥がれ落ち、肉や骨が見えている部分がある。
あけた口の中は乾いており、まるで標本のような歯がなかから覗いていた。ベロは破れた口から出っぱなしになっている。
それでいて苦しそうにしている様子はなく、元気にソフィと戯れているようだ。
少なくとも地球上には存在しないタイプの動物だ。
生ける屍……ゾンビのようだとでも言えば分かるだろうか。
正直言って気味が悪いのだけど……
「ね。かわいいですよね」
と再びソフィは同意を求めてくる。
『気味悪いな』
とスキルのせいで正直に言うしかなかったが、ソフィは特段気分を害した様子はなかったようだ。
可愛いのにな、といいながらわしゃわしゃ撫で回している。
正直ゾンビのような姿の犬を素直にかわいいと思える方がおかしい。
「楽しそうで何よりなんだけど……見たか?あのコンテナ」
あまりに平和な光景のせいで一瞬忘れそうになったが、今は緊急事態なのだ。
しかしソフィはあのコンテナ、と聞いてもピンと来ていないらしい。
「ほら……あそことか。上の部分が完全にひしゃげてるだろ」
積み上げられたコンテナの上部が、何かものすごい質量によってゆがまされている。
ソフィにも早く危機感を持って欲しい俺としては、少し早口になりながらも訴えた。
「はい、ここに来る間に何個か見ました。すごいですよね」
相変わらずのんびりしているソフィ。その意味が分かっていないのか。
「だから……それをやった奴が、ここをうろついてるかもしれないんだって。
早く出口を見つけないと」
ソフィはきょとんとした顔をしている。ここまで言っても分からないのか。
「先輩が何を怖がってるのか分からないですけど……出口ならあそこです」
片手で犬を触りながら、もう片方の手で奥の方を指さす。
「……ほんとだ」
指さした奥の方はさらにコンテナが込み合っていて、テトリスばりに複雑な形で積みあがっていた。
その上の方……ほぼ天井の近くにあの鏡が見える。
「でも……あそこまでどうやって行くんだ?」
かなり高いところにあるようで、歩いて行けば勝手にたどり着く……なんてものではなさそうだ。
「どうでしょう……多分コンテナを伝っていくんじゃないですか」
コンテナを伝っていく……
山積みになったコンテナは、それぞれが互い違いにかみ合わさって天井へと伸びている。
確かに、順番にコンテナをよじ登って行けばいつかはたどり着けそうではある。
しかしまぁ、どう考えてもめちゃめちゃキツイ。
良く体を動かしていたころならギリギリいけなくもないだろうが、今は……
まぁ出られなければ死ぬのなら、やるしかないのか。
というよりも。
「ソフィはあれ、登れるのか?」
「無理です」
相変わらず膝を折ったままこちらを見上げて言う。
じゃあどうすんだ。と言おうとする俺を制すようにソフィは口元を緩める。
「ま、見ててください。……ほら、ちょっと失礼しますよ」
言ってソフィはおもむろに、犬のわきの下に手を入れる。
そのまま両手で持ち上げて膝の上から下ろし、手のひらで押さえるように待てをした。
扱い慣れてんな。
お利口に犬は座り込むと、ソフィは屈みこんだ。
そのまま、犬の小さな前足に付けられた……首輪?のようなものに触れる。
何をしてんだ……?
と怪訝に思うのも束の間、
突如、犬の体が膨らみだした。
膨らむ体は留まるところを知らず、開けていたはず空間はどんどんと埋まっていく。
その大きさがコンテナのサイズを超えるのにそう時間はかからなかった。
顔だけで人の大きさほどはあるのではなかろうか。
最初は指輪ほどの大きさだった首輪も、いつの間にか腰に巻けるほどになっていた。
でかい。本当にでっかい。
あのゾンビのような見た目も、膝に乗る程度の大きさだったからいいものの、ここまで大きくなると百パーセントで怖い。
所々むき出しになった肉が生々しく、思わず目を背けてしまった。
一方ソフィはこの姿も気に入っているらしく、かわいいなぁ……と呟いている。
俺には分からん。
「これ……この子の腕についてる首輪ありますよね」
自分の頭の高さほどの位置にある首輪をさすりながら、ソフィは続ける。
「これが、自分の大きさを自由に変えられるモノらしいんです。
さっきは自分で前足を舐めて操作してたんですけど……
私がさわっても出来るみたいです」
いきなり大きくなったのはこの犬の特性というより、この装置のおかげらしい。
「最初この子が大きさで現れて、突然目の前のコンテナを破壊された時はちょっとびっくりしました」
「……怖ッ」
冷静にそんなことを言うが。
見ず知らずの場所に飛ばされて、いきなり象ほどの大きさのゾンビ犬に遭遇したらそりゃビビる。
想像するだけで寒気がしてきた。
「確かに最初はちょっと怖かったですけどね。
すぐに小さい体に戻ってコンテナに入って、
中の食べ物を咥えて持ってきてくれたんです。
それで敵意は無いんだって分かった途端、可愛く見えて来ちゃって」
ソフィの手には、すっかり変色してしまって黒ずんだ果実が握られていた。
こいつなりの親切心なのだろうか。
話を聞く限り確かに敵意は無さそうなんだけど……
その見た目のせいで、完全に信頼することが出来ない。
「なんかさっきから怖がってるみたいですけど、多分大丈夫です。
さっき、スキルでこの中にモンスターがいるかどうか調べたじゃないですか」
確かに。
その時ははっきりと“居ない”という返事だった。
「少なくともこいつはモンスターには分類されないってことか」
そゆことです。とソフィは満足げに頷く。
「で、こいつにあそこまで連れて行ってもらうのか」
高く積みあがったコンテナの、その先に置いてある鏡を見る。
「その……この子の事こいつって呼ぶのやめません?」
話を遮るようにして、ソフィは言う。
「じゃ他になんて呼べばいいんだよ」
「この首輪に……ほらここ。リサイズって名前がちゃんと書いてあったんです」
リサイズ……?
いやそれ、絶対こいつの名前じゃないだろ。
首輪に書いてあるんだし言葉の意味からしても、それは明らかに首輪の……
「ちょっと長いから……イズとか。かわいくないです?」
なんか勝手に盛り上がってる。ここで勘違いを正すのも気が引ける。
「じゃあ……今日から君はイズです。よろしくね」
ぽんぽんと自分の体ほどもある犬の足を叩きながら言う。
勝手に命名までしてしまった。飼うわけでもないのに。
……飼うつもりなんてないよな?
「で……なんでしたっけ。あそこまで連れてってもらうって話ですよね」
この数秒で名前が“イズ”に決まったロン毛の白い怪物。
こいつに鏡の所まで連れて行ってもらうのか。
「そもそもコイツ……じゃなくてイズは、言う事ちゃんと聞いてくれるのか?」
「多分。なんか懐いてくれてるみたいだし大丈夫です」
多分って……どうしてソフィはこんなに自信ありげなんだ。
「お手でもさせてみますか? 言えば多分ちゃんとしてくれると思いますけど」
「やめとく。こんな奴にお手されたら体が潰れる」
冷静に考えて……あそこまでの道中を、小柄なソフィがそう簡単に行けるとは思えない。
見た目はやはり好きになれないし、恐怖心の方が強いままなのだが、
ここは賛同するしかないようだ。
話はまとまり、謎の空間の脱出を謎の犬、イズに任せることになった。
ソフィは難なくイズの首に乗り、俺にも乗るように言ってくる。
ソフィの手を掴み、イズにまたがろうと……
したのだが、突然体が揺れて転がり落ちてしまった。
「痛ってぇ……」
痛む体を起こしてもう一度挑戦するも、
登ろうとするたびにイズは体を揺すり、俺を的確に落としてくる。
これ……わざとだな?
ソフィの時はじっと乗るのを待っていたくせに、コイツは俺が乗るのを嫌がるのだ。
「嫌われてますね」
ソフィは愉快そうに笑う。
全然笑い事じゃないが。
その後何度にもわたって背中に乗ろうと試みるも、
このちくせうはかたくなに俺を乗せてくれないようだった。
なめられている。
とはいえ、力関係で言えば舐められて当然なので文句の一つも言えない。
くっそ……
どうしても乗せてくれないのであればこっちに残された選択肢は一つ。
人間様の力を舐めるなよ。