魔王城にて ① 第一階層 西区 第弐拾一会議室
「計画通りには行かないこともあることは確かですが……
しかしこれらの事態は想定の範囲内であることに変わりはありませんよ」
人を落ち着かせる、低く重みのある声で神代は言った。
優し気な丸眼鏡に、常に微笑みを湛えている口元も相まって聞くものの心に深く響くような話ぶりだった。
灰色の壁に囲まれた部屋の長テーブルの一角に深く腰かけ、周りを見渡している。
目の前には、ただれた皮膚に深いクマを浮かべた男――モルテが座っている。
「現時点での状況を把握するところから始めましょうか」
そう言って神代は、隣に座る柊に微笑みかける。
それを受けて柊は頷き、手元のメモを持って立ち上がった。
「では……僭越ながら僕の方から状況整理の方をさせていただきます。
まずは先日の襲撃の話からです」
襲撃、という言葉を聞いて背筋が伸びたのは、柊の目の前に座るシアだった。
その膝の上にはまた、ティネが鎮座していた。
部屋にはほかに人はいない。
いつもこの部屋に入り浸っているハイドは、ここ最近姿を見せていないようだった。
「襲撃が失敗に終わった原因が、
勇者が魔王軍をおびき寄せるための嘘の情報を流していたためであった。
というのは過去の情報となりました。
実際はそれすらも嘘で、それこそが王国に攻め入る我々を撤退させるための策略だったようです」
シアは、それを聞いてはぁぁぁ……と大きなため息をつく。
「もー……さいあく。
しかもその噂を流したのがアイツだっていうんでしょ?」
「そうですね。
結果論ではありますが、あのまま我々が攻撃の手を休めること無く攻め入っていれば、
あの晩簡単に王都は落ちた事でしょう」
もう一度大きなため息を吐くと、シアは膝の上のフィネをぎゅっと抱きしめた切り動かなくなった。
ぎゅえっとティネの口から耳慣れない擬音が出てきたのは少し心配になるが、かまわずに柊は報告を続ける。
「王国を落し損ねたのち、その陰に彼の功績があったことが明らかになると、
神代先生は次の一手を打つことにしました。それが彼の幽閉計画ですね」
言いながら柊は横に座る神代の方を見る。
相変わらず表情を崩さずににこにことしている神代は、柊の呼吸を待って口を開いた。
「結論から言うと、計画は失敗に終わりましたがね。
彼を殺すことは契約上不可能なので、幽閉することが最も効果的だと考えて王城地下に入れさせてもらったのですが……ものの見事に脱走されてしまいました」
神代は白髪交じりの整えられた頭をかいた。
「……先生の、判断は、正しい。今回の、脱走は、王城の杜撰な管理体制に、問題がある」
眼の下に大きなクマのある無口な男――モルテがたどたどしく意見する。
「とはいえどのように牢を破壊したのかという問題や、
いつの間にか神代先生を彼に見間違えた兵士が続出したりと謎は残るわけですが」
神代は、柊の言葉を引き取るように口を開いた。
「牢獄に関しては気を使ったのですがねぇ……
番号を知られることがあるかもしれないと思い、
内側からは決して開けられないような構造にしておいたのですが、
まさか鉄格子を破壊されるとは。
報告では老朽化によるものだという話でしたが、真相は分かりません」
一度言葉を切り、テーブルの上をとんとんと指で叩く。
「後者に関してはおそらく幻視魔法の応用でしょうねぇ。
本来は人間にかける魔法ではないので、
動いて喋る人間を他者に見せかけるには相当な腕がいります。
私もどうやったのか教えて欲しい位ですよ」
肩をすくめて神代は言った。
「どうせソフィアなんじゃないの、そんな魔法が使えるのは」
シアは顔を上げて言う。
「おそらくそうでしょうね。攻撃魔法が使えなくなって以来、
ずっと補助魔法のみを研鑽してきているという話ですから。
そういう意味では……シア様とは違う方向のようですね」
「まぁそうね。私は与えられたものだけで戦おうとはしない主義だから」
シアの言葉に柊は苦笑する。
「今回の襲撃では前線に出ることは無かったようですが、
必ず貴女の力が必要になる時が来ます。その時には頼みますよ」
神代はシアに微笑みかけた。
「とまぁ、ここまでは失敗続きなのですが……収穫が全くなかったわけではありません。
それに、結局我々の目指すところというのは時間稼ぎに他ならないのですから」
柊は神代の方を見て頷くと、神代は懐から金色に光る懐中時計を取り出す。
蓋を開けて、殆ど動かない時計版を周りに見せる。
「あと七日……結局、その日を過ぎれば我々の仕事は終わりなわけです」
パチンと音を立てて蓋を閉じると、それをまたすぐに懐へと戻す。
「今の所計画に必要な材料はそろっています。
確かに予定より少し早めに勇者が来ることになりそうですが、
足止めさえできれば結果的には何の問題もありません」
焦ることは何もない、という旨を念押すように神代は言った。
「勇者がガルドに向かっているのは確定として、
アイツらもガルドを目指しているってことでいいの?」
「そうではないことを祈りたいところですが……
もしそうであってもいいように対策を施すべきでしょうね」
まだ冒険者としての歴は浅い彼がガルドに来る理由なんてものは普通考えつかないのだが、これまでの彼の行動を見るに、なぜか彼は直線距離で魔王討伐へ向かっているような印象を受ける。
直線距離どころか、ところどころワープをしてさえいるようだ、というのが柊の受けた印象だった。
「彼らの動向には気を付けつつ、我々はやるべきことを地道にやりましょう」
「そうなると……彼らを監視できなくなったのはまぁまぁ痛手ね……」
シアは言いながらモルテの方を見る。
モルテは神代の方をじっと見つめたまま視線を外そうとしない。
「それに関してはどうしようもありません。
近くで尾行するのは諦めて、風の便りを受け取るしかないかと思います」
柊は肩をすくめて言った。
部屋に沈黙が流れた。
一通り話すべきことは終わった、といった様子だ。
「そうでした。これを……」
言って、神代はメモ帳のようなものを取り出した。
「ああ、“同期”済みの奴ですか。そうですね、解除しておきましょう」
メモ帳の上に一瞬手をかざし、そのまま神代に返す。
「それではこれは適当に処分しておきます。そちらの方も忘れずに処分しておいてくださいね」
そう言って神代は立ち上がる。
「……すまないがモルテ、私の自室まで案内してくれないかね?一度や二度ならまだしも、何度も移動した後だとどうも感覚が鈍ってね……」
モルテは神代の言葉を聞いて頷き、立ち上がった。
「足元にお気をつけて」
柊は、部屋を出て行く二人の後姿を見送る。
シアの膝の上に座っていたティネは、そこから飛び降りると部屋の外まで顔を出して二人に手を振っていた。
「あのメモ帳って、例の?」
神代が出て行った後の部屋の空気をゆっくりと吸い込んでから、シアは柊に尋ねた。




