第十七話 ③ 逃亡生活の幕開け
営業時間真っ只中のはずの酒場は閉まっていた。
黴臭い地下にずっといたせいか、柔らかい空気に満ちた酒場に今まで感じた事のない安心感を覚えた。
ずっとここに居たい。もう二度とあんなところに戻りたくない。
ソフィは上にいると千鶴さんが教えてくれたので、小さくなったイズを預けて階段を登る。
灯りのついた二階に上がると、何やらソフィは忙しそうにしていた。
「何してんの」
俺が声をかけるとソフィは顔を上げる。
「あ、おかえりなさい、今は荷物まとめてるとこです。
先輩も今のうちにやっといたほうがいいですよ」
そう言いながらもソフィは手を止めない。
「えっと……なんで?」
「なんでって……先輩、脱獄後もこの国に居続けられると思ってないですよね」
まぁ……確かにいつかは捕まるな。
「じゃあ夜逃げするってことか?」
ソフィは頷く。
「俺はともかく、ソフィはここを去るのに抵抗はないのか?」
俺の質問にソフィは顔を上げて首を傾げた。
「先輩がここを離れるんですよね?」
俺はそうするしかないだろうな。俺は頷いて肯定する。
「じゃあ私がここにいる意味は無いです」
彼女の純粋な意見に俺は反論することができなかった。
俺はソフィの言う通り、いったん下宿に帰って荷物をまとめようかとも思ったが、今は追われている身なのだ。
張り込まれていてもおかしくない。
幸い貴重品は大抵ソフィが持っているので、多少は失っても大丈夫だ。
衣服に関してだが……なぜかソフィは俺サイズの服も持っていた。
いつでも泊まっていけるようににだのなんだのと言っていたが、真実は分からない。
今回はそのおかげで助かったので直接文句は言わないでおくが。
「ソフィアー? 今日出るのは分かったけど、イズはどうするつもりなの?」
千鶴さんが腕の中のイズを撫でながら、階段を上がってきていた。
「そうですね……本当は連れて行きたかったんですけど、
多分食料が持たないと思うんです。
本当に申し訳ないんですけど、お願いできますか……?」
丁重にお願いをするソフィに、千鶴さんは軽い調子で承諾した。
「いいわよ。最近妙にソフィに懐かなくなったしね……。
長くなっても一週間くらいで帰って来るんでしょ? それまでなら全然」
大丈夫だから安心して、と千鶴さんは笑いかける。
そうか、ここを出るという事は千鶴さんとは一旦別れることになるんだ。
こんなにも急な別れになるとは想像していなかった。
「お世話になりました。
すみません、俺のせいでソフィを連れ出すことになって」
「いやいや、大丈夫よ。一日予定が早くなっただけじゃない」
それはそうなんだが、冒険者として旅に出るのと犯罪者の逃亡補助をするのでは話が全然違うだろう。
それでも千鶴さんに気にする様子は無かった。
荷造り頑張って、とだけ言ってイズと一緒に階段を下りていく。
最後まで千鶴さんの事は良く分からなかった。
本当はすごい人なのだろうけど、一方でいろんなことが抜けている不思議な人だったな。
いつかその謎も分かるのだろうか……。
「先輩の流した嘘の噂って、どうしてバレたんでしょうね」
ソフィは服を持っていく服を選んでいた。
すでに荷物はかなり多くなっているようだ。
少なくともソフィ一人では運べないだろう。
「なんでだろうな。
実際に報告をしたのは奏瀬だし、
俺にたどり着く手がかりなんてないはずなんだけど……。
もしかしたら、あいつが裏切ったのかもな」
笑いながら言うと、ソフィは手を止めずに首を振った。
「それは違うと思います。
そもそも私に先輩の窮地を知らせてくれたのが奏瀬さんだったので。
あの人、裏で色々とやってくれていたみたいですよ。
王城で私が上層部の人間と話せるように取り付けてくれたのもそうですし」
……マジか。
冗談であいつが裏切ったのかもとか言ってみたが、流石に申し訳ないなそれは。
とはいえ他に心当たりがあるわけでもない。
何がきっかけなのか、今の所見当もつかない。
いや、一つだけあるか。
「ソフィってさ、王城にいる丸い眼鏡をかけた男の事知ってるか?」
問いかけにソフィは顔を上げた。
「知ってますよ。
昨日、先輩が会った人の事ですよね?
あまり詳しい事は知りませんが、気を付けろとだけ父に言われています」
話が早い。
鼠からは敵だとまで言われたが、同じような事をソフィも聞いているらしい。
「あの人の存在が、現状をややこしくしているとも言っていました。
私が先輩にこの世界の事を教えられないのもあの人のせいです」
白いシャツと、白いシャツを真剣な表情で見比べながら言う。
……何が違うんだそれ。
「良く分かんないけど、そんな人間が上層部に居るって結構面倒だな」
「そうですね。
おそらく内通者がらみの件もそこに繋がってくるのでしょうが、
権力のせいで何を言っても黙殺されるのが現状です。
やるなら根本から潰さないといけません」
……なかなかに終わってんなこの国。
「こんな目に会わされるぐらいならこんな国なんて捨てて逃げてればよかったな」
俺が皮肉を言うとソフィは肩をすくめる。
「先輩も救われないですね。まぁいつか見返してやればいいんです……よっと」
荷物をまとめ終えたらしい。
かなり重そうだったので、俺が持ってやることにする。
ソフィはありがとう、とだけ言い荷物を渡してきた。
◇ ◇ ◇
家の外に出ると、外は真っ暗だった。
「それで、行く当てはあるのか?」
俺が訊くとソフィはこちらを見ずに言った。
「とりあえずはガルド領に向かうつもりです。元々行く予定でしたからね」
鼠の言っていたことを思い出す。
ガルドにいるソフィの父の旧友に合って、俺の記憶を取り戻すことが次の目標だったはず。
何かそれ以外にも不穏なことを言っていたような気もするが……
「あれ。でも確かガルド領に入るための条件は結局満たしてないよな……?」
「そうですね。結局は銀等級に届きませんでした。ついでにお金もたまりませんでしたね」
なぜか楽しそうに笑いながら、ソフィは続ける。
「まぁ、なんとかします。ガルドまでは長いですから」
なんとかできる問題なのか。分からんが、とりあえずは飲み込む。
「そっか。ガルドって遠いんだな」
「はい。馬での往復に一週間かかるほどなので、徒歩だと片道で一週間弱は覚悟した方が良いかもしれません」
うわぁ。これから一週間歩き続けるのかよ。
急に憂鬱な気分になってきた。
「大丈夫です。ガルド領まで行く途中にもいろんな町がありますから」
そう言ってソフィは歩き出す。
「今日は寝ずに歩く感じか」
「そうですね。この国には長くいられないので、今日は頑張ってなるべく進んだ方が良いです」
現代だとこんな杜撰な逃亡はすぐに咎められるだろうが、ここは電話も車もない世界。
人目につかないように歩いて逃げれば、すぐには何処へ行ったか知られることは無い。
幸い辺りは暗いので、何かに咎められることもない。
俺たちは堂々と大通りから王国を出て、馬車の通る道を歩く。
そういえば、ソフィはあの時どうやって俺を逃がしたのだろうか。
脱獄後はバタバタしていて聞きそびれていた。
「簡単です」
ソフィは得意げに言う。
「幻術魔法を使って、適当な人間を先輩の姿に見えるようにしたんです。
本当は誰でもよかったんですけど、ちょっと知った顔があったので」
丸眼鏡をかけてたのが不都合だったんですが結局上手く行きましたね、と付け足す。
兵士は俺の声までは知らないので、姿だけ変えてやればよかったらしい。
探している人が見つかればそれ以上探される心配もないし、検問もされなくなると踏んだのだろう。
あの人が何も分からないままに捕らえられる姿を一目見ておきたかったな。
「でも、そんな便利な魔法があるなら俺に直接かければよかったんじゃないか?」
「先輩は正直者のスキルを持ってるじゃないですか。
あの時の検閲で何か一つでも質問されたら終わりなんですから、危険すぎます」
確かに。
こういう男を見かけませんでしたか?なんて聞かれたら一発でバレるな。
「じゃあ、今頃あの人は捕らえられて、ひどい目にあっているわけか」
「魔法は牢屋に入った時点で結界にはじかれて解けるでしょうから、
そのまま牢獄で一生過ごすなんてことはなさそうですけどね。
まあ一矢報いることぐらいはできたんじゃないですか」
そう言ってソフィは笑う。
空に星は見えない。
国を救った英雄から一転、国を追われる反逆者二人は、夜通し歩き続けた。




