第十五話 ④ 見えた記憶
ここは……
ここは、何処だ?
倒れこんでいた体を起こそうと、なんとか腕をついて立ち上がろうとする。
低い天井、無機質な灰色の壁。
室内、それもかなり狭い部屋の一室のようだ。
壁際には本棚と計器類が隙間なく敷き詰められている。
部屋の隅には多くの機械が積み上げられていた。
何より目を引いたのは、部屋の出口を塞ぐように並んでいる、深くフードをかぶった黒装束の集団。
そしてもう一人、俺の傍には白衣の男性が立っていた。
顔に刻まれた皺からして、そう若くは無い。
彼はこちらが起き上がろうとするのに気づき、顔をゆがめた。
焦り、恐怖、怯え。
どれとも判別のつかない、苦悶の表情を浮かべた男は歯を食いしばったまま目を瞑る。
既に魔法を目の前に浮かべていた複数の黒装束は、いつでも魔法を放てるように警戒を強める。
男は部屋の隅に視線をやった。そこには倒れている男性が一人。
意を決したように男が片腕を挙げると、警戒するように黒装束の集団がどよめく。
しかしその腕が振り下ろされたのは、俺の方だった。
途端、意識が遠のいてゆく。
最後まで目に焼き付いたのは、白衣の男の苦悶の表情だった。
俺は殺された。あの白衣の男の手によって。
その事実だけが、脳裏に焼き付いていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……遅いです」
俺を待っていたのは仏頂面のソフィだった。
辺りは騒がしい。
北区には既に、人の活気が戻ってきていた。
「あー……。
そうだよな、ごめん。
奏瀬の報告は割と早く終わったらしかったんだけど……
俺の方がちょっと色々あって」
謎の発作に見舞われた俺は、あの後しばらく動けなくなっていた。
頭の中がぐちゃぐちゃになって、一時は認識の整理が出来ない状況だったのだ。
ようやく動けるようになって、奏瀬に王城の外まで送ってもらったのがついさっきの話。
そこでソフィが出迎えてくれていて、奏瀬から引き取る形で今に至る。
「でも、上手くいっただろ?
これでこの国は救われたんだから、ハッピーエンドってことでさ」
ここはひとつ、とおどけて言ってみるも……ソフィは渋い顔を崩さなかった。
「もちろん平和が戻ってきたことは喜ぶべきことです。
でも問題は、魔物達が全員退いて行っちゃったことです。
こんな大チャンスをみすみす……」
……はぁ。
そりゃ、作戦通り行ったんなら魔物達は逃げてくだろ。
というか、そうじゃなきゃ困る。
てか大チャンスってなんだよ。
訝しむ俺に、ソフィはため息交じりに口を開く。
「……忘れたんですか?私たちの目的。
この七日間で銀等級に上がって、
ガルドに向かって君の記憶を取り戻しに行くんですよ。
そのために今は、討伐ポイントを貯めないといけないんでしたよね」
……あぁ、討伐ポイントか。そういう事ね。
ようやく言いたいことが分かった。
あの状況は言わば、無数にポイントが押し寄せて来る最高に都合のいい状況だったらしい。
確かにあれなら、適当に城壁から魔法をぶっ放してるだけで相当効率よくポイントが稼げたことだろう。
こうして魔王軍が退いて行った後ではもう遅いけど、よくよく考えればかなりもったいないことしたな。
「……覚えてたんなら言ってくれよ。
あの時に二三発ぶっ放しておけばそれだけで相当、
明日の負担が減らせたんじゃないのか」
ソフィはきっとこちらを睨み上げる。
「そんな事できるわけないじゃないですか、
あの時は一刻を争う事態だったんですから。
だから先輩が帰ってきたら敵がひいていくまでの間防衛しつつ、
適当にポイント稼ぎしようって思ってたのに……」
実際には全然帰ってこないし、ぐずぐずしているうちに敵は全員退いて行ったと。
なるほどな、そりゃ申し訳ない。
遅いと怒られるわけだ。
今からでも城に引き返して、あれは嘘だったって言おうかしら。
「それに関してはごめん。
けど、もうちょっと俺の手柄の部分を褒めてくれても良くないですかね。
ソフィはまだ、俺が何をやり遂げたのか知らないかのかもしれないけど……」
俺の抗議を遮るように、ソフィは言葉をかぶせる。
「虚偽の報告ですよね。
勇者が王都から離れたのは魔王軍をおびき寄せる罠だー、
みたいなことをあの地図を証拠に報告して、魔王軍側の内通者を騙して……
それを聞いて魔王軍は慌てて引いていった。違います?」
「いや、違いませんけど……。なに、それ誰から聞いたの?」
ソフィはため息を吐く。
「先輩ならそう考えるだろうなって。最後に言い残した言葉から推理したんです」
……そうですか。賢い頭脳をお持ちで。
全部お見通しだったみたいだ。すんません、調子に乗って。
「心配だったんです」
小さな声だった。
「先輩のやろうとしてる事が分かったからこそ、凄く不安で。
分かってる事とは思いますけど、
意図的に虚偽の情報を流すことは国家反逆にも捉えられかねません。
この危険な状況で、表面上は国に不易な嘘を吐いてるんですから、
もし嘘がバレたら死刑になってもおかしくないんです」
子供がそばを駆けて行った。
建物を指さして大きな声で、後ろを歩く母親に家の無事を伝える。
その顔ははちきれんばかりの笑顔だった。
「本当は先輩の後を追いかけたかったんです。
先輩が危ない橋を渡ろうとしてるのに、
もしかしたら殺されるかもしれないっていうのに、
それでも南区の防衛をしなきゃって。
ここを離れたら大変なことになるからって」
人のよさそうなおっちゃんが、となりの住人と笑顔で無事を祝っていた。
あの時は本当に心臓が止まるかと思ったよ――なんて笑いながら話している。
「私の知らない所で先輩が死ぬって、本当に絶望的で。
何度も思い出しそうになったんです。あの時の事を」
呟くような声に、感情の起伏は見られない。
意図して抑えているのか、それとも表には出ないだけなのか。
「ありがとうな、待っててくれて」
口をついて出た言葉に、ソフィは俯いたまま頷いた。
「分かってましたから。先輩ならこのくらいの事、やってくれるって」
一国家の危機をこのくらいの事、と評するのは少しやりすぎな気もしたが、あえて何も答えなかった。
俺の成し遂げた事を訊くより前にやってしまったミスを叱ろうとしてきたのは、ソフィの照れ隠しだったのかもしれない。
ものすごく不安で心配だったのに、どこにも感情のぶつけどころがなく、そうするしかなかったのだろう。
いつの間にか見慣れた場所までやってきていた。
ここを曲がれば、その先に千鶴さんの酒場がある。
他の家々と同じく、荒されたような様子は無い。
北区は完全に無傷だった。
街並みはおろか、城門は閉ざされたままで、被害は一つたりともなかった。
これは四つの区域の中で北区ただ一つだけだったという。
北区の解放後、黄色エプロンの女性が大きな木の実をかごに入れて各地を飛び回っていたという噂が流れていたが、それは単なるうわさではなかったらしい。
本人がそう言っていた。




